031 その土に、幾度落ちた雨も晴れ
国外に出る前に一つ気掛かりなことがある――それは、ペットの国外持ち込み問題だ。心の隅にぶら下がっていた気掛かりの対象が、今、目の前に立っている。
「お前はどこから来て、どこに帰るんだ?」
まいはじっと俺を見つめている。
相変わらず発声機能は追加されないようで、言葉は返ってこない。
そこで俺は、まいに会ったら渡そうと思っていたものを荷物から取り出した。
赤いケープコートだ。
魔術操作によるスチームアイロンで折り皺を取ってから、まいに羽織らせる。
師匠に裁縫を教わっているときに頼み込んで作ってもらったのだが、胸元のさくらんぼのようなボンボンなど、やはり乙女のセンスで可愛らしい。
まいは特に驚くでも抵抗するでもなく、棒立ちのままコートを纏った。
「お礼ってほどでもないんだけど、まいは可愛いものが好きだろ? あげるよ」
すると、まいの横にラファが並んで両手を差し出す。
「……無いぞ?」
「私には凍えながら越冬しろというのですか」
「ラファは冬籠りするのか。それじゃ冬は一人旅になりそうだな」
「いいえ、雪に囲まれた山里から出られなくなるのです。二人は」
「雪女かよ!?」
その時、毎度お馴染みの漫才を観覧していたまいが、これまで見せたことのない動作を見せた。
小さな両手を腰の横に当てて、顎を上げたのだ――いや、正確には顎が無いので仰け反った格好だ。つまり、『ドヤァ!』ポーズである。
顔からさあっと血の気が引いたラファは、見たことはないが本物の雪女のような顔をして言う。
「恨めしや……妾が殺されようとも奪い取ってみせましょうぞ……」
「殺されたら奪えないだろ……あと、なんだその口調!?」
一方のまいは、仰け反りすぎて倒れないのが不思議な格好になっている。
俺はただ、お洒落なまいに、新たなアイテムによるコーデを提案したかっただけなのだ。それがまさかの雪女召喚アイテムになってしまうとは……。
「いいかラファ。日本の昔話には『笠地蔵』というものがある」
「やはり栗ですか? 銃声が鳴り響き――栗が、家に」
「凶弾に倒れたのが誰かは訊かないからな!?」
ラファは「ならば笠を私が……」などと呟き始めたので、そのあいだにまいには話したかったことを伝えておこう。ありがたい喩え話はキャンセルだ。
「まいは暴れん坊だから、なるべく頑丈な生地にしてもらったけど、大事に使ってほしい。それと、俺達はしばらくミシュクトルを離れる。まいは付いてきちゃダメだからな?」
魔族の生態はよく分からないが、国が変われば冒険者の有り様も変わるらしい。
あまりウロウロしていると、ランクS冒険者に討伐されるかもしれない。
「…………」
「そんなにしょんぼりするなって。魔剣を入手したら戻ってくるし、まいに負けないぐらい強くなるって約束しただろ? 今のままだと強くなれないからな」
「…………!」
やはり俺には強くなってもらいたいのか、尻尾がぶんぶんと揺れた。
「だからまいは、その激カワコートをなるべく汚さないようにな?」
「…………!!」
『激カワ』に反応したまいはくるりと一回転してから、また何処ともなく飛んでいってしまった――
そして、雪女が再び両手を差し出して言う。
「て、手拭いを……」
「笠を諦めるなよ!?」
若手漫才コンビは更に北上し、北の国ハツァリトとの国境付近を目指す。
休憩も挟みながら移動を続け、ようやくラファの故郷クローシュ村に辿り着いた頃には、空は茜色に変わりつつあった。
「やっぱ遠いもんだな。国の端っこまで来るのは」
「すみません……私の我儘で……」
「いや、お互いやりたいことはちゃんと言うべきだよ。あと、タメ口は無理?」
「子供の頃から年上とばかり会話していたので、染み付いてしまっています」
「それじゃ一度ブチ切れるぐらい怒らせてみるか」
「《ゴーレム》と結婚する。とかでしょうか!?」
「なかなか難易度の高い方法だな……」
木製の防護柵に囲まれた村は既に引き払われて、寂寥感漂う廃墟と化している。
それでもラファは崩れたまま残っている建物を見て回り、一ヶ所に纏められた墓地に辿り着くと、「ただいま。また帰ってきました」と呟いた。
詳しい話は聞いていないが、炎と斬撃によって破壊された建物と眼前に横たわる数多の石碑を見れば、何があったのかは一目瞭然だ。
来る途中に摘んだ花を墓標の前に一輪ずつ置いて回ったあと、最後に立ったのが両親の墓前のようだ。
「俺も……いいかな? 異世界式になるけど」
「はい。異世界の神様にも見てもらえるなんて、ありがたいことです」
お祈りする前に、俺は『あるもの』の存在を思い出した――
まず背負い袋から折れた剣を取り出して、ぐるぐる巻きにしていた布を外す。
少し離れた場所で残った刃の部分を拳で粉砕して戻ると、柄の部分だけになった剣をラファに見せて尋ねる。
「これ、置いていってもいいかな? 刃は《ゴブリン》とかが拾っていくと危ないから取っ払ったけど」
「はい。父様も喜んでくれると思います」
墓標の前に置かれた花の横に剣の柄を並べてから手を合わせ、ラファの両親にも感謝しておく。
「娘さんに救ってもらったおかげで、俺は今も生きてます――ありがとう」
「父様、母様……これが私の旦那様です」
「違うよ!?」
両手で優しく水を掬うような仕草――この世界では、それが俺にとっての合掌に相当するようだ。
ラファに涙は無い。もう枯れ果てるほど泣いたのだろう。
むしろ俺のほうが、遠ざかっていた感情の奔流に抗っている状態だ。
俺は祖父母より先に死んじゃったんだよな。両親と妹は泣いたのかな……。
もう会えないんだよな――――誰にも。
忘れていたわけではない。向き合わずに抑え込んでいただけなのだ。
すると隣のラファが立ち上がり、優しく暖かいフルートの音色が言う。
「さあ、涼平さん。日が暮れてしまう前に町へ急ぎましょう」
そうだ……ラファは一人で生きてきたのだ。
天人としての【加護】に恵まれた俺と比べて、成長のための鍛錬はどれほど困難なものだっただろうか……この世界では、ただの墓参りでさえ危険を伴う。
俺はここで生きている。家族は日本で生きている――――
合わせた手に額を乗せて俯いていた俺は、顔を上げて言う。
「ああ、そうだな。また来よう。俺なんかでよければ何度だって付き合うから」
「はい。ありがとうございます」
『この心優しい少女を俺も守ります。これからも見守っていてください――』
心の中でそう告げて立ち上がり、夕日に照らされる小さな村をあとにした。
§
アデメリアの町まではそれなりに距離はあったが、壁門が閉ざされる時間までに辿り着けた。
面倒臭そうに応対する門番にランクAの身分証を見せると、目と口を開いて俺達を二度見したあと、土下座しそうな勢いで怯えながら無事通してくれたが、今一つ釈然としない。
「『取って食うわけじゃない』って師匠にも言われたけど、言う側の心境はあんな感じなんだな……」
「驚く理由は分かるのですが、涼平さんは遠からず世界に名を馳せるようになりますから、慣れてもらいたいものですね」
「ラファもだろ?」
「そうですね」
少し頬を染めた笑顔が可愛い――やっぱ好きなのかなあ、俺。
そんなモヤモヤする感情を誤魔化すために、飲食店と宿を探すことにした。
明日はまたルトクーアまで走るのだ。栄養を摂取してしっかり休まねば。
宿を先に決めてから適当な店に入りメニューを眺めていると、少し離れた席からボリューム調整されていない声が飛んできた。
「おいおい、こんなガキがランクAだと? やっぱショボい国だなあ」
見事なまでに典型的な酔っぱらい客だ。
まあ、無視するしかないか……初動の対応としては。
「俺、話しかけてるんですけどー? なあ、話しかけてるよな、俺?」
「おう、そうだ! なのに返事しやがらねーよな」
「耳が遠いのかなー? ビビッてんのかなー?」
男が三人。ランクC冒険者だ。アルコールで酔うということは、天人ではない。選んだ店が悪かったのかな……と思っていると、ついに一人の男が千鳥足でこちらへ歩み寄り、テーブルの横に立った。
「マジかよ!? 二人ともランクAだとよ。ミシュクトルって国はそんなに冒険者が
足りてねーのか? それともどっかからこの国に来たのか?」
「あの……他のお客さんに迷惑だから、やめてもらえないかな?」
「俺の質問に答えろってんだよ!!」
ラファに目で合図すると同時に、まず俺が近付いてきた男を重力魔術で元のテーブルまで飛ばしてふわりと着席させると、ラファが瞬間加速でそのテーブルに移動し、治癒魔術によって三人全員の体内アルコールを瞬時に分解した。
「想像してみてください。私達は席に着いて食事をしているだけなのに、こちらに死因不明の遺体が座っている状態を」
丸眼鏡の詩人――ではなく怪談を語り聞かせるような口調のラファ。三人の男の顔からは、みるみる血色が失われていく。
どんな相手に喧嘩を売ってしまったのか、素面の頭で理解したのだろう。
ホラー説教で心底怯えている三人の処遇に悩んでいると、警察隊のサーコートを羽織った四十代ぐらいの男性が店内に入ってきた。
正規の警察隊は制服を着用しているので、臨時担当官だ。
俺とラファは「ラッキー!!」とばかりに、絡んできた男達をその人に押し付けて店を出た。向こうもこれから食事のつもりで入ってきたはずなので申し訳ないが、臨時担当官の本職は冒険者なので、厳重注意程度で済ませてくれるだろう。
もし本職の警察隊ならギルドへの報告は避けられない。冒険者の場合は短期間の活動停止など、一定の処分が科せられる可能性が高いので、それは少し気の毒だ。
「俺達、ランクAに昇格しといてよかったな」
「そうですね。ランクBまでは、こういった状況での命令権はありませんから」
あらためて師匠に感謝しつつ、その後は別の店でゆっくりと夕食を楽しんだ。




