002 二人の少女は藁ではなさそうだ
この世界のスミロドンは、明らかに新生代第四紀のそれとは違う。
体長はおそらく四メートルを超えている……動物というより、ゲームに出てくるモンスターだ。
そしてサーベルタイガーとも呼ばれる象徴的特徴の長い犬歯は、本当に剣ぐらいの長さがある。
彼我の距離は、およそ二十メートル。あの大きさなら一瞬で接近可能だろう。
少女の叫び声らしきものが背中越しに小さく聞こえてくるが、眼前のモンスターから目を逸らすことはできない。絶望で固まっている俺に向けて、また違う方向から別の少女の声が響いた。
「キミはじっとしてなさい!!」
その声を切っ掛けに、口を開き長い牙で襲いかかるモンスターと俺との間に影が踊り、モンスターが自身の体重を乗せた勢いからは有り得ない、横方向に飛んだ。
「今のは……殴ったのか?」
あまりの速度に状況を把握出来ずにいると、吹っ飛んだモンスターが慣性を反発力に変えるべく地面を蹴って飛びかかった相手は、俺ではない――
新たなターゲットは、抜き身の大太刀を構えた金髪の少女だ。
「あの金髪少女か!」
モンスターは二足立ちになり、前肢の爪で襲いかかる。
地球の巨大熊、アルクトテリウムもこれに近いサイズらしいが、凄い威圧感だ。
それでも少女は正面に踏み込み大太刀を斜め上方に薙いで前肢を断ち斬り、半身で左側面に回り込みながら返した刀で胴体を斜めに斬り下ろし、その勢いで大太刀がめり込んだ地面に弧を描いて半回転すると――静かに動きを止めた。
胴体を分断されたスミロドンのようなモンスターは、鈍い音を立てて地面に崩れ落ち、砂煙が舞い上がる。
少女が大太刀を水平に一振りして刀身の血と埃を払うと、少し離れた場所に置かれた鞘が飛来し、自ら滑るようにして刀身を収めた。……どういう原理なんだ?
目線を下げたまま何かを小声で呟きながら、少女は腰の短剣でモンスターの身体から小さな宝石のようなものを取り出し、布で血を拭ってウエストバッグに入れて数歩離れると、突然モンスターの死体が炎に包まれた。
少女はその炎に、血まみれの布を放り込んだ。
火種を使ったようには見えなかった。あれは――魔法だろうか?
そして不思議なことに少女の手には、まったく血が付いていない。
この場を大混乱に至らしめた要因であるはずの石像は、静かに直立したまま特に変化は見られないが、いくらなんでも壮大なドッキリなんてことは無いだろう。
「あ、あのっ! お怪我はありませんか?」
隠しカメラを探す俺のもとに、金髪少女とは別の少女が駆け寄ってきた。
「はい、どうにか無事です。尿漏れによる生き恥ポイント加算もなさそうです」
「なるほど。確かに生き恥ポイントカードは作りたくないものですね」
少女はフードの付いたローブを羽織り、腰の左右に短杖と短槍を下げている。
ローブ軍団は全員立ち去ったように思ったが、一人で戻ってきたのだろうか。
ペリドットのような黄緑色の瞳が美しい。大半がフードに隠れている髪は、顔のサイドから垂れた部分がアッシュグレーで、先のほうだけ明るい。
まだ幼さの残るその美貌に思わず見惚れてしまい、先程の奇妙な応答は有耶無耶になってしまった。
少女は恐る恐るといった雰囲気で近寄り、視線を例の石像へと向ける。
「今の所、動きはなさそうですね……」
「それが何で何が起ころうとしていたのか、俺にはさっぱりなんだけど……」
「あれに全員殺されていたかもしれないのです。魔族ですから」
「殺され……って、そんな危険なものがなんで無造作に置いてあるんだ!?」
「置いているのではなく『来る』のです。私達にはどうすることもできません」
「爆発するとかじゃなくて、動くの? あれ」
「はい。魔族ですから。爆発もします」
『も』ってなんだ!? 話を聞いてもさっぱりだが、さっき後方から聞こえた叫び声は、この少女だったのかもしれないな……と、考える俺を凝視するローブ少女が押しのけられ、モンスターを倒した金髪少女がこちらを指差しながら言う。
「キミは危険だから、町のギルドで教導担当者が見付かるまでは、あたしとパーティーを組みなさい!」
ギルド? 教導? パーティー? クリスマスや誕生日の催しとは違うようだ。
考えるだけ無駄だろうな――
俺は空気の箱を両手で持ち上げて、右に置いてから尋ねる。
「そうやって人を指差すのって、この世界ではどうなの?」
「えっ、どうって……ごめん。それじゃこういう場合はどうするのよ?」
「手を差し伸べてウインクしてくれると嬉しい」
「絶対に嫌」
うーん……冗談が通じないタイプのようだ。
それでも今は情報が欲しい。理由はよく分からないが、俺は危険人物らしいし。
この世界の住人との交流は重要だ。ここで嫌われたくはない。
すると、俺達のやり取りを黙って見ていたローブ少女が口を開く。
「この方は、私とパーティーを組みますので」
「えっ?」
「組みましたが?」
一秒で過去形に……。
「あの……俺は危険な男らしいけど大丈夫?」
「はい、簡単に殺せますので。大船に乗った心持ちでいてください。瞬殺です」
それじゃ泥船だ。こっちもなんだか変な子だなあ。
剣士少女は、あからさまに不機嫌な顔をしてローブ少女を睨んでいる。
この世界が『あ、ムカつく』ぐらいで殺されるような倫理観であろうと、ひとまず状況を整理したい。情報がほしい。
当面はこの物騒な少女達しか頼れる相手が居ないのだ。
俺は恐る恐る提言してみる。
「と、とにかく場所を移動して落ち着いて話したいんですけど? その前に、あの石像はなんなの? 魔族って何?」