181 過去も今も遠ざかる速度で
まだ全員起きている時間だ。そもそも俺達は寝なくても平気だけど。
なので俺は、ノーレに『二人で町をぶらぶら散歩しよう』と提案した。
忍の者には『気配を感知したら、猛烈な勢いで減ってるリップを没収するぞ』と警告しておいたので、少しは自重してくれると思いたい。
夜の町はひっそりとしている。防犯目的の街灯はあるが、一般人は出歩かない。
壁門も閉じてしまうし店も早く閉まる。
そんな町に、二人の足音がコツコツ響くこともない。
町や街道の土は適度に硬質化させているので、舗装も石畳も不要なのだ。
程々の雨なら吸収するし、災害級の大雨は雨雲を吹き飛ばすので有り得ない。
ノーレは伊達眼鏡を着けず、少し袖の長い服を着ている。師匠の新作だ。
月明かりの下でも、ぼん! ぎゅっ! となっているのはよく分かる。
よく着てくれたものだ。エロい。農民シモンも悩殺されるだろう。
ノーカラーのショートジャケットを羽織っているが、フロントは元々合わせない作りなので、ほぼ袖と背中だけの服みたいなものだ。
前回収納された服よりも胸の露出度が高いビスチェの下は、フロントとバックで長さが違うプリーツスカートなので、戦闘すればそれはもう大変なことになる。
「よく似合ってますよ。ノーレ用に誂えたみたいだ」
「こんなの二度と着れないわよっ! だけど、丁寧に作られてるわね」
「いや、足踏みミシンじゃないと不可能な速度で、瞬時に作ってますから」
「まさか……自動より速いってこと!?」
「師匠ですから。ミシンの摩耗パーツもすべて特注です。すぐ壊しちゃうので」
「本当に世界は知らないことばかりね……」
「ノーレは服とか作らないんですか?」
「私はそういう世界とは縁遠いところで生きてたから。芸術系もさっぱりだし」
「ああ。絵とか酷かったですよね!」
「うるさいっ!!」
少女のように膨れっ面をする。こうしていると年齢を感じさせないな……。
「今、失礼なこと考えたでしょ!?」
「いいじゃないですか。『年相応だな……』って思われたいんですか?」
「だったら敬語をやめなさい。タメ口でいいから」
「うん。それで、話って?」
「私は……ブレーキ役として必要だと思う?」
「必要ないかなあ」
「うう……やっぱり後片付け専門なのね……」
「俺達に必要なのは、『まだその程度か』と言いながら背中を蹴る人なので」
「私には無理ね……自制心が勝ってしまうから」
「だからノーレは蹴られる側で」
「嫌よ!?」
「引率の先生がいいと?」
「それは違うけど、『うわあ、無理しちゃって』とか思われたくないし……」
「既にじわじわ感染してると思うんだけどなあ」
「貴方達がおかしいのって、感染症なの!?」
自覚が無いって素晴らしい。
眼鏡かけてタイトスカートで戦闘してる時点で、かなりおかしいのに。
いっそ今の服でガンガン戦ってもらいたい。
「しないわよ!?」
「今後俺が何もしなくても、みんなと念話が成立しそうだなあ……」
「わ、私だって『いい歳して』って思ってるわよ。それでも今までのままじゃ何も変わらないって思ったから。だけど……元の生活に戻るのなら、結局宙ぶらりんで終わってしまうし……」
「いや、戻りたくなければ戻らなくていいんじゃないかな? 一度そのままで戦闘したら、何か得られるものがあるかも」
「多くのものを失うわよっ! だけど、本当にいいのかしら……戻らなくても」
「ベージュの補正下着に?」
「そんなの持ってないわよ! 失礼でしょっ!!」
「嘘だ……俺は信じてたのに。絶対他人には見せられないような補正下着を買ってみたものの、そのままタンスにしまってあると……」
「特殊性癖!?」
「いや、そういう女性って可愛いなって。性癖とかじゃなく、いじらしくて」
「さっきからなんの話をしてるのよ!!」
あれ? なんの話だっけ……。
「ああ、そうか。ノーレが田舎に帰って工場の事務員に戻るって話だ」
「違うわよっ!!」
「俺は仲間をコレクションしてるわけではないし、すべて本人次第だと思ってる。ノーレがそんなに年齢を気にするなら、俺から言えるのは『あの張りなら二十代、しかも前半で通用するのでは?』ってことぐらいかな」
「せ、セクハラよっ!?」
スッキリ収納されてよかったのかもしれない……あれは人間をダメにする。
あんなものは、きっとこの世界にあってはならないものなんだ……。
「遠い目をしながらその手付きはやめなさい……警察隊に引き渡すわよ?」
「打たれ強くなってきたなあ」
「貴方達と一緒に居ると、いろんな意味で強くなるのよっ!」
「じゃあノーレがもっと強くなりたいなら一緒に行こう。今のままでいいなら田舎の工場の事務員で」
「怒られるわよっ!?」
「いや、なんか健気で可愛いじゃないですか、スナック通いのおっさんどものセクハラを軽くあしらいながら、逞しく生きてる感じがして」
「日本ってそんな感じなのね……って、だからなんの話をしてるのよっ!?」
師匠作のコスプレみたいな服を着て帯剣した天人のお姉さんと、日本の事務員の話をしている――うん、意味不明なシチュエーションだな……。
ふと、頬を撫でる空気が冷たい。だけど月明かりは柔らかい。
潮汐作用も俺達天人が居た世界と同じで、月が三つも四つもあったりはしない。
だけどヴィスティードには、『歩く核兵器』みたいな存在がゴロゴロ居る。
ノーレもずっとそんな化け物と対峙してきたのだ。
「ノーレは『何もかも放り出して、のんびり暮らしたい』と思わなかった?」
「また唐突に話題を変える……『のんびり』が実現可能なら、誰だってそうしたいでしょ? 花や服を売ったりカフェを営んだり。私達はそういった人達を護る側の人間だから。それだけの力がある」
「『もう辞めていい』ってなったら何がしたい?」
「うーん……お菓子屋さんとか? ケース越しに選んでるときのお客さんの顔っていいと思わない?」
「やっぱり女の子だなあ。じゃあそれを目標に、この世界をどうにかしよう」
「どうにかできるものなの?」
「師匠に菓子作りを学べば、すぐに大人気店になると思う」
「そっちじゃなくて! ……君は本当に先を見据えてるのね」
「振り返ってる時間で前に進まないと、またリアンみたいなのが現れるので」
「そうね。カルナァトに戻れば、もう二度と貴方達の背中には追い付けないかも」
「レオノーレ・クーアは、無茶苦茶な俺達と一緒に走るか、それともそこに留まるためだけに走り続けるのか。俺達はもっと速く走る――留まっていても何も変わらないから」
「そんなこと――」
言葉と同時に抱き締められ、唇を奪われた。
モロに歯が当たったけど、ぎゅっと目を瞑るノーレが可愛い。
唇が離れ、間近で頬の染まった顔をよく見ると、唇には艷やかな光沢。
ああ――よかったね、イスクラさん。『魔のリップ』を使ってくれたようだ。
だけど販売中止だな……これは。
身体を離し顔を背けたノーレが、辛うじて聞き取れるぐらいの声を零す。
「とっくに決まってるから……そうでなかったら、こんな服着ないわよ……」
「では、引き続きその服でお願いします」
「嫌よっ!? 露出狂じゃないのよ!」
「では、今の台詞を師匠の前で言ってもらいます。会わせる約束をしたので」
「ちょっと待って!? 私は仲間よね? 殺されないわよね?」
「お菓子作りの弟子になるなら殺されはしないかと。ついでにノーレも鍛えてもらおう。弱いし」
「うう……これでもランクS相当なのに……」
すると、夜の帳が下りた町の一角から、ヒソヒソと聞こえる声が――
「どの時点で分かるのよ? 妖怪の超能力でしょ……」
「ルベルムさんもいずれ身に付きます。涼平さんが極端に鈍いだけなのです」
「……」
建物の影から【∞】と書かれたスケッチブックが掲げられた。
まいはテレビ番組のADか。
当然ノーレも気付いている。どんどん顔が赤くなっていく――このままではまた倒れてしまうので、俺は闇に蠢く者達に告げる。
「ノーレも正式に【ファーシカル・フォリア】のメンバー入りするからな!」
「知ってました」
「ノーレまで毒牙に……」
「……!!」
まいは【かにゅう】と書いたスケッチブックを掲げたが、おそらくあれはノーレではなく、自分自身のことだろう。
うーん……ミュリエルさんに掛け合ってみようか。
『《ゴーレム》がパーティーの正式メンバーって可能ですか?』と。
まいには化粧品をあげられない……本人も理解してくれている。いい子だ。
なので俺はだっこして、ブレンダさんの家まで一緒に帰る。
ノーレは『どこから見られてたの……』とかブツブツ言っているが、慣れだ。
ラファが本気で隠密★隠蔽魔術を使えば、ランクSではどうにもできない。
というか、俺はこんなに幸せでいいのだろうか……明日死ぬのかな。
「涼平さんは爆散しても復活させますので。空に大写しになった笑顔の化け物に、人々が五体投地で感謝の意を表する怪現象の発生は、断固阻止してみせます」
「あれはイメージ映像だよ! なんでそんなシチュエーションを知ってるんだ!?」
「『日本の怪現象特集号』です」
訊いた俺がバカだった……。
そんなことより本当に肉片になっても戻されそうで恐い……死ねない地獄か。
「天国を地獄と思うのは価値観の相違にすぎません。今日一日で、何人と口付けを交わしたのですか? それは地獄なのですか?」
「天国です……だって俺はハーレム野郎だから……」
「なんで悄然としてるのよ!? っていうかなんでラファは知ってるのよ!!」
「ルベルムさんも隠密接吻術を身に付けるべきですね。私など、涼平さんが眠っているあいだに何度も……」
「おいラファ!? 俺のプライバシー!!」
「そこは私の自制心を評価するべきでしょう。何故なら、私は全裸で――」
「やめて! それ以上恐くて聞きたくないからやめて!!」
ノーレはドン引きしている。今頃脳内では『後悔』の文字がピンチアウトされているに違いない。いや、ノーレの世代はまだガラケーだろうか。
「今、失礼なこと考えたでしょっ!?」
「というか、ノーレは平気なんですか? しょんぼりハーレム野郎ですよ?」
「そ、そういうのはよく分からないから……ルーは平気なの?」
「たぶん、涼平は一人で数人分生きてるので。そう考えるようにしてます」
「なるほど……」
「一日で数人どころか一度に数人相手するのも、涼平さんには容易いのです」
「うん……だっておいらは……ハーレム野郎ナノダカラ……」
「ラファ、涼平が壊れてきてるわよ……」
ハーレムって、実は男のほうが追い込まれていくのではないだろうか。
『この獲物をみんなでシェアしようぜ!』みたいな……。
すると腕の中のまいが、窮屈な体勢でスケッチブックに【せいさい】と書いた。
「まいだけが俺の癒やしだなあ」