178 機運が背反
まず、エッタとドゥトクアへ移動して、宿の荷物を纏めて引き払う。
宿代が滞納気味だったらしく、部屋でエッタが困り顔になっている。
「やっぱりお金がちょっと厳しいので……ここに残ろうかと思います」
「寂しい理由だなあ。俺はこの宿丸ごと買えるぐらい余裕があるから、立て替えておくよ。返すのはエッタが大金持ちになってからで構わない」
「それはそれで、わたしが買われていくみたいで生々しいです」
「確かに、そう見えるかもな……それならカルナァトのミュージシャンから、スカウトされたってことにしておけばいい。そしてミニスカートで町を出る」
「絶対にいかがわしい店だと思われますよ!」
そのへんの分別はあるんだな……一応。
その時、ドアがノックされて、エッタの元教導担当だった人が訪ねてきた。
ルトーエラ・ノェニネリと名乗ったランクA冒険者は、エッタを心配してやってきたのだろう。町を離れたまま数日間戻らず、気配も消失していたのだから。
ヴィスティード人で、年齢は三十代半ばぐらいの優しそうな女性だ。
「ハリエット、無事でよかった……魔王に襲われたと聞いていたから、もう諦めていたんだが、【疾走する諧謔】と一緒ならば世界一安全だな」
「涼平さんって有名人なんですか?」
「国際ギルド連盟に殴り込みをかけて、大改革を求めた人物だぞ?」
「暴れん坊さんなんですねー。涼平さんは」
殴り込みじゃなく、呼ばれて行ったんだけど……当事者以外の伝言ゲームだと、そんな感じになるんだろうなあ。
ルトーエラさんは、やはりクーナシムロドのバカ大統領から『来ないか』と声をかけられ、きっぱりと拒否したらしい。
「彼は今、楽しそうに農民をやってます」
「何か大きな動乱があったとは聞いたが、あれも君なのか」
「ちょっと大陸を割ったぐらいで『女を寄越せ』だのネチネチうるさかったので、ミミズと一緒に運びました」
「み、ミミズと……なんという拷問……さすがは、情け容赦ないと言われる人物の所業だな……想像を絶するよ」
いや、大量のミミズが入った袋とシモン元大統領は、別々に運んだぞ?
まあいいや。面白いから勘違いさせておこう。
「『今後エッタに悪さした人間は同じ目に遭う』と触れ回っておいてください」
「ああ、心得た。エッタのことを末永く幸せにしてやってほしい。君なら安心だ」
「えっ!?」
「末永く幸せにしてください。ウルルも一緒に」
「うーん……俺はウルルより先に死ぬと思うぞ? ……たぶん」
何やら話がおかしな方向に行きそうなので、そのまま三人で町に出て、エッタの顔見知りに挨拶廻りをしながら、ルトーエラさんに俺の凶悪伝説を広めてもらう。
すると、宿の主人までもが『大幅に値引きいたしますのでミミズだけは……』と怯えてしまったので、滞納分に延滞金を上乗せして払ったあと、言っておく。
「エッタは、俺や別の誰かに買われていくわけじゃないから。もし、変な噂が流れたら真っ先にこの宿に来ますから、くれぐれも気を付けてくださいね?」
「は、はいっ! もしそんな噂を流す奴が居たら即、特定します通報します!!」
「お願いします。ミミズはいくらでも用意できますからね?」
ルトーエラさんも顔色が悪い……苦手なんだな。
町を去る前にギルドに寄り、ルトーエラさん以外のランクAにも島を作った理由を詳しく説明しておいた。
どうせ隠してもバレる。好奇心は冒険者を死なせてしまう。
「最古の幻獣を利用しようとする者は、たとえ冒険者であろうと魔族と同等に扱いますから、そこは絶対に判断を間違えないようにお願いします」
そう告げたあと、俺は爽やかな営業スマイルを浮かべ、『農場はいつでも新たな家族を待っていますからね?』と付け加えておく――
全員ドン引きしているが、脅しではなく本当に危険なのだ。
穏やかなドゥトクア王国も、周囲の国をそのままに一瞬で消え去る。
そして本人の話しぶりから想像していた以上に、エッタは周囲の人々から可愛がられていたようで、多くの人が壁門まで見送りに集まってくれた。
「エッタ! 幸せになー!!」
「新しいお菓子の試食を頼めなくなって、悲しいよ……」
「子供ができたら見せてくれよなー!」
「一生食いっぱぐれないから、沢山食べろよー!!」
時折よく分からない言葉も混ざっていたが深く気にしない。気にしたら負けだ。
俺達はドゥトクアの小さな町、ナイカテアをあとにする。
「結構親しい人が多かったみたいなのに、強引に連れ出した格好になっちゃって、ごめんな?」
「いえいえ。食いっぱぐれないのはとても大事なことです。幸せにしてください」
「どういう意味!?」
「わたしは涼平さんに幸せにしてもらえるように、頑張りますよー」
「う、うん。バイオリン頑張れ!」
いや、まあ……惚れてるとかじゃないだろう。とにかくご飯を沢山与えよう。
それで何も問題は無いはずだ。……たぶん。
大きな荷物を浮かせた状態のまま、エルベリアのカルナァトまでふわふわと飛んで移動後、ノーレの家に到着。「あらまあ」と何かを察したリリアさんとビーチェが出迎えてくれた。
「ビーチェ、喜べ。ミュージシャン仲間が増えるぞ。この子はバイオリンが弾けるので、敏腕スカウトマンの俺が直々に声をかけて来てもらったのだ!!」
「…………」
「おい!? 無言で二回刺すなよ!! 死んだらどうするんだ」
「今朝……知らない人が訪ねてきました……不愉快極まりないので刺しますね」
俺は腹にスティレットが刺さったままで、ウエストポーチから素晴らしいお土産を取り出して言う。
「鍼師ビーチェのおかげで疲れが吹き飛んだぞ。ありがとう! これは心ばかりのお礼だ。受け取ってくれ」
「死なない場所の研究成果。これ……開けていい?」
「折角だからリビングに行こう」
リビングに移動してエッタを紹介したが、ビーチェは箱を凝視している。
刺す道具としては小さいので、不満なのだろうか……。
「開けていいぞ?」と促すと、リリアさんが胸を挟むように両手を差し出した。
「ありませんよ?」
「わたくしにどうしろとおっしゃるのでしょうか? これはもう……ランジェリーショップまで一緒に来ていただく以外、方法がございません」
「着けてる下着の問題じゃないですからね!? 俺に透視能力はありませんから!!」
「この場で脱げと、わたくしのダイエットの成果を見せろとおっしゃるのですね」
「どんだけ見せたいんですか!?」
よく分からないけど、何かがコミットメントな感じなのだろう……頑張ったね、リリアさん。よく分からないけど。
そしてビーチェは小さな箱から取り出したリップで唇を染め、いそいそと持ってきた手鏡で確認している。可愛い。
イスクラさんに、それぞれの女性に似合う色合いのリップをお願いした。
こればかりは肌の色合いとの相性が分かる人に頼まないと、好みだけで買うわけにはいかない。
同じピンクベースでも、女性は『これとこれって違うの!?』という色まで見分けてしまう。その領域になると、無頓着な俺にはちんぷんかんぷんだ。
「どう? イスクラさんに見繕ってもらったから、色は大丈夫だと思うけど」
「15分……いえ、25分……」
「ベッドには行かないからな!?」
「えーっと……お二人は夫婦なんでしょうか?」
「そう……だからこうして……私の好きな色を、選んでくれる……」
気に入ったようで何よりだ。あと、ラファが居なくて何よりだ。
しかし、忍の者は透明になって気配を消せる妖怪なのだ。
あなたの後ろに居るかもしない。
なので、じんわりと喜ぶビーチェと不貞腐れて服を脱ごうとするリリアさんに、エッタをこの町へ連れて来た理由と、渡辺さんの店でバイオリンの練習をしてもらうつもりであることを説明した。
「それはそれは。素晴らしい才能をお持ちなのですね」
「いえいえ。もう何年も触ってませんから、同じように弾けるかどうか……」
「私なんて、歌ったこともないのに無理矢理……涼平さんに、無理矢理……」
「俺が極悪人みたいじゃないか!?」
「じゃあ……キスして」
「繋がらないなあ……」
優しく口付けすると、ビーチェは上目遣いのまま、リップを引いた唇をついっと撫でて、小悪魔のように微笑んだ。
おのれ……いつの間にそんな技を!?
何故か目を閉じて待っているリリアさんのおかげで、俺は平静を取り戻した。
「だから脱ごうとしないでください!?」
「滝原様は、わたくしの何が不満なのでしょうか?」
「え? ……名字で呼ぶところとか?」
「では涼平様、口付けを」
「エッタ、この人はこんなんだけどランクSだから、エッタを護ってくれる」
「はい。分かります、分かりますとも。【魅了】の【加護】を使ったんですね!」
「何を分かったんだよ!? それだとエッタも危ないだろ?」
「え? はい……危ないのでしょうか……私でも」
うーん?
いや、無い無い。いくらなんでも無いだろう、それは。
ビーチェは袖を引いてベッドルームを指差してるし、長居するのは危険だ。
二人に『エッタが落ち着いてから、渡辺さんの店に連れて行ってあげてほしい』と頼み、逃げるように家を離れた――
名残惜しいが口を丁寧に拭って、次はルーの居るバカ宮殿へ移動する。
あれだけ激おこ状態になるのも珍しいが、それだけストレス――というか負い目が蓄積していたのだろう。ルーの性格などお見通しだ。
俺が変態一家をけしかけた理由は、ルーも理解しているはずだ。それも悔しいのだろう。なんでも一人で抱え込んでしまう性格なんだよなあ……小百合さんは。
クーナシムロドへ飛びながら、嫌な気配が高速接近するのを感知した。
漫才師魔王だ。それだけではない。巨大な何かを抱えている――魔獣だろうか。
俺が漫才師の背後に回った瞬間、魔獣を魔王が蹴ろうと足を振りかぶったので、その足を斬り飛ばす。
だが、魔獣は何故か超高速で宮殿へ撃ち込まれた――
「俺を殺せてもあれは防げんやろ?」
そして気配は他にもある。飛行型の魔獣が数百体。こんなものが数万体居ようと俺の敵ではないが、なんのつもりだ?
「俺はあのクソみたいな城をぶっ壊しにきたんや。まず一発ぶち込んだ。なんならこの悪趣味な町ごと吹き飛ばしたるわ。止められるもんなら止めてみいや!!」
「いや、お前は弱すぎて俺の相手にはならない。お前をぶん殴るのに相応しい相手が上に居るぞ?」
漫才師がゆっくりと見上げた先には、ルーが憤怒の形相で見下ろしていた。
折角嫌な仕事を引き受けてくれたのに、仕事が増えたもんなあ……。
「ルーの姐御。やっちまってくだせえ!!」
「誰が姐御よっ!?」
「相変わらずツッコミだけは完璧やな……」