174 ふわふわオムライス
シモン・フェレールと觜崎麗華。彼等のように若くして国を取り仕切ろうという野望を抱き、幽明の狭間に他人の命を並べたがる人達は何を考えているのか、常々謎だったのよね。
女装のためだけに、骨格変えて筋肉細くして脂肪を増やして喉仏を指で握り潰す人間も、かなり異常なんでしょうけど。
シモンはお楽しみモードに入ってるけど、変態貴族女のおかげであれこれ遠回しに探る必要がなくなった。
なのであたしは、単刀直入に訊くだけでいい。
「閣下は【収納】の【加護】で、これから世界をどうなさるおつもりですか?」
「っ!?」
「人は大義のために命を擲つこともあるかもしれませんが、閣下の大義はいったいどのようなものなのでしょうか?」
「君は、何者なんだ……ここがどれだけ危険な場所かは知っているだろう?」
「確かに、乙女にとっては危険な場所かもしれませんね」
「滝原涼平――彼に何か探るように言われて来たのか?」
「彼は何も知りません。これはあたし個人の質問です。閣下はこれから世界をどうなさるおつもりですか?」
「君はもう、彼の元へ帰ることは叶わない。むしろそれを望んでいるようにも見えるが、その覚悟に免じて教えてやろう。私は世界を救うための力を有している」
シモンはサイドテーブルに置かれたケースから細身の葉巻を取り出すと、片方にパンチカッターで穴を開け、もう片方に火炎魔術で火を点けると、小さなランプが灯るだけの暗い室内に煙が揺れた。
「【加護】の力は絶大だ。ランクSでも神の力には抗えない。それが偶々手に入れた力だとしても、誰も勝てなければ相応の役割を担わなければならない」
「魔王とは戦ったのですか?」
「そう簡単には出遭わないんだよ。向こうも相手を見て、勝てそうな冒険者に襲いかかるんだ」
「ランクSと戦ったことはあるのですか?」
「勝ってしまえば、この世界から一人防衛戦力を失ってしまう。そんな矮小な存在ではないんだよ、私は」
【収納】の【加護】を持ってるだけで、ここまで自己評価が高くなるのか。
このなんだかよく分からない雰囲気作りには、付き合っていられない。
「でしたら、お一人で世界と対峙なさるべきではありませんか? 冒険者を集め、労働者を集め、世界各国からあたしのような人質を集める。そのようなやり方は、率直に申し上げるなら、『小賢しい』と形容される手段のように思えます」
「君は何も分かっていない。力は未来を見据えるための土台にすぎない。私一人がいくら強くても、何もない世界に私一人立っていては意味が無い。世界とは人だ。だからこそ人が豊かになれば世界も豊かになる。今はそのための準備を進めているだけだよ。強い相手と戦って勝利しても意味が無い」
「では、閣下の【加護】を無効化できる敵が立ちはだかったときには、どのようになさるおつもりですか?」
「それは神のことだろう? 私は神とは戦わない。力をくれた神も、私と戦うはずがない」
「閣下はご自身のことを、『神に等しい』とお考えなのですね」
「人間に私と等しい者が存在しないだけだ」
「残念ながら、閣下には誰も救えません――試しにもう一本葉巻を取り出してください。閣下が火を点ける前に、あたしが取り上げてしまいますよ?」
「君は何を言っているんだ……魔術の発動より速く動けるわけがないだろう?」
苦笑してそう言いながらも、シオンは新たな葉巻を取り出して先程と同じ動作を反復し――手元から葉巻が消えた。
これでも全然遅い。あたしは今、筋力が大幅に落ちてるのよね。
そんなあたしの手に、パンチカッターで穴の開けられた葉巻がある。
「君は……冒険者なのか?」
「はい。閣下では勝てませんよ? 涼平様はもっともっと強いです」
「残念だ……だが、君を痛めつけるつもりはないよ。世間知らずなだけだからね。力の差というものを知ってもらおう。【オムニア・ヴァニタス】――」
スッキリ収納されてみよう。外にラファが居ればどうとでもなるでしょう。
ラファには止められたけど、実際に喰らってみるのが一番手っ取り早い。
ところが――
異空間に収納されたのは、あたしの服とおっぱいと、ズラだけだった。
「き、君は――――」
あたし――いや、俺は現在、坊主頭で股間にテープだけという、この世界でただ一人だけへの大サービス状態になっちゃったわよ。エッチな【加護】ね。
何故、股間のテープは収納されなかったのか……拒否られたのだろうか。
【収納】も、なかなか厄介な【加護】のようだ。発動条件が厳格すぎる。
おそらく、術者の認識と対象に差異があると、スッキリ収納してくれないのだ。全身気ぐるみで中身が入れ替わってる場合も、俺と同じ状態になるだろう。
俺の場合は『クルフラ・フォールフィールドという女性を形成する要素』だけが収納された。ジゼルさんは発動前に離脱して有効距離を測り、既に戻っている。
『視認距離どころか至近距離限定ね。百マト以内よ』
それじゃ近すぎて、オムライスだの唱えているあいだに斬撃で瞬殺されるじゃないか……。
そして俺を【加護】でスッキリ収納したければ、クルフラ・フォールフィールドではダメだ。『女装した滝原涼平』を、正しく神域に認識させなければならない。以前見た姿でもダメだ。体型も変わっているし坊主頭だし。
そう考えると、変態貴族女の男装にも意味があったのかもしれないな……。
『男装していない觜崎麗華』を正しく神域に認識させなければ、収納されるのは変な衣装だけになる。それはそれで多くの男性にとって大サービスになるが、視認距離に居るシモンは一瞬で反撃されるだろう。
茫然自失の大統領の意識を取り戻させよう。
「言っとくけど、このために女装したんじゃないぞ? これは結果的にそうなっただけで、吸い込まれてから自力で出てきてやろうと思ってたんだからな!」
「バカか君は……そんなこと、できるはずが……」
「俺はそのぐらいできないと勝てない相手と、プールに浮かんだ台の上で漫才しなきゃならないんだよ」
「欠点を見抜いたところで、二度目は無い。【オムニア・ヴァニタス】――」
「あの、涼平さん。お召し物を。私的にはそのままでも眼福なのですが」
「ありがとう、ラファ。俺もこんな身体じゃなくて、もう少し仕上がってる状態で見てもらいたいかな」
「どこから現れた!? 無視するなっ! なんで異空間に収納されないんだっ!!」
「忙しいな!? 二度目が無いのはこっちも同じだ。その【加護】は初見殺しでしかない。『原理は【ナンバー・スリー】と同じ』と知っていれば防げてしまう」
「そんな馬鹿な!? 【ナンバー・スリー】も、発動前に防がなければ吸い込まれる高位魔術だぞ!」
「だから、目指してる場所が違いすぎて話にならないんだよ。これだけ騒いでいるのに、誰もこの部屋に来ない理由が分かるか?」
「まさか……」
既に透明化した妖怪によって昏倒させられている。
ラファがその気になれば、世界など容易く沈黙させられてしまう。そんな行為になんの意味も無いからやらないだけだ。
「さっきから丁寧に話を聞いてあげたらグダグダと自画自賛するばかりで、結局のところ具体的に何も考えてないだろ、あんたは」
「わ、私はこの世界のことを思えばこそ、人を殺さないこの【加護】を有効に使いたいと――」
「違う。あんたが死んだら、異空間に収納された人達は助けられない。その意味を考えてほしい」
「そ、それは……私が死ななければ……」
「人は死ぬ。それも突然呆気なく死ぬ。だからそんな使い方をしていたら、誰かを道連れにすることになる。大統領は死ぬときにお供が必要なのか?」
「わ、私はっ! どうすればよかったというんだ……」
「俺には分からない。いくら凄い【加護】でも、人までスッキリ収納しないほうがいいとは思うけど」
「私は、この世界を……こんなに容易く……防がれるなんて」
「この先の選択肢は二つあるけど、【加護】は完全封印させてもらう」
「【加護】が無ければ、私は生きていけない」
「それが間違ってるんだよ。他の人達は何ができるかではなく、どうなりたいかで考えているから、大統領とは話が噛み合わないんじゃないかなあ」
「そ、それは……」
【収納】は便利だ。おそらく《ドラゴン》でもスッキリ収納するのだろう。
但し、視認外距離からの攻撃を受けて生きていられたら――という話であって、結局は相応の理性と実力を身に着けてからでないと、使えない【加護】だ。
この世界で問題行動を起こす人間の共通点が見えてきた。
それぞれ『己にとっての現実』を、『実現可能な夢』として他人にも強要する。
だけど他人はどこまでいっても他人だ。俺とラファがそうであるように、人間は他人と同じにはなれない。
だからお互いの言い分を聞き、折り合いをつけるしかないのだ。
「大統領。俺達は計画のすべてを知った上で訊いています。その【加護】を捨てて普通の冒険者として生きるか、抵抗して農場へ行くか、どちらを選びますか?」
「君こそ何様のつもりだ。神が与え給うた能力を奪うなど……」
「一つの国だけが豊かになればどうなるか、もっと考えるべきだ。地球人なら分かるだろう? 人の欲望は際限がない」
「そんなことはない。普通は『ある程度』で満足するはずだ」
「『ある程度』なんて成立しないから、俺達天人がこの世界に呼ばれている。この世界の歴史をもっと知るべきだ」
「クーナシムロドのように安全な場所にある国が富むことに、なんの問題があるというのだ? ここが世界の中心であるべきだ。そうなれば世界はもっと安定する」
「それが地球人の発想だって言ってるのが分からないかなあ……」
「時間の無駄です。農場行きで」
あーあ。ラファは短気だなあ……大統領も昏倒させられてしまった。
シモン大統領は、俺――ではなくクルフラを、殺そうとしたわけではない。
おそらく【収納】でしばらく閉じ込めておいて、時間が経過してから外に戻し、ドヤ顔で詫びを求めるつもりだったのだろう。『この力に勝てるのか?』と。
彼は極悪人ではないが、ふわふわした理想を掲げる前に、この世界について知ろうとする努力を怠った。
テアムルトが世界経済の中心に置かれている意味も、おそらく分かっていない。
なんでも地球基準で考えるから、思考が硬直化する。
シモンの気配が消えたことで、ノーレ姉様がやってきた。
あ、まだ服を着てなかった……ほぼ全裸でどんな話してるんだ俺。
「せ、セクハラよっ!!」
「姉様のおっぱい……収納されちゃいました……」
姉様は慌てて自分の胸に手を置いた。やっぱり面白い人だな。