161 旧知の仲
スアトーエアは、約十六年前の転移者達も訪れた町らしい。
誘拐事件に巻き込まれたり、盗賊に襲われたり――それでも普通に日本へ帰っていった、バイタリティ溢れる人達だ。
どんなに化け物じみた強さになっても、そういった状況を楽しめる余裕みたいなものは失ってはならない。特に天人は。
焦り、恐れ、怒り、悲しめば、やがて魔石は暴走する。
人間の弱さが、何もかも振り切ってしまえる『忘我』を求めてしまう。
俺達は旅をしながら、『三竦み』に変化を齎す方法を考えなければならない。
それは主神と獰神の悲願でもあるだろう。自業自得でもあるけど。
このままでは、地球人が来ても来なくても同じことを繰り返し続ける。
ならば変化とは何だろうか――――
昼食のために入った店で、正面に座ったノーレ先生が真剣な表情をしている。
右手にはレモン。皿には巨大なトンカツ――ではなく、シュニッツェルか。
一人ぶんではなく、みんなで切り分けるらしい。
「いや、かけてもらって構わないですよ?」
「で、でも……たったひと搾りのレモンが、すべての人間関係を崩壊させる可能性だってあるのよ?」
「無いですよ!? どんな世界で生きてきたんですか……」
時々面白いな、ノーレ先生は。
そして、ルーの前に置かれたラムチョップの香草パン粉焼きの上には、不思議なものがあった――旗だ。
国旗ではなく絵が描かれているのだが、その絵がどう見ても有名な『叫び』の絵なのだ。
ノーレ先生の解説によると、元々は転移者の美邑静香先生が始めたもので、その絵は叫んでいるのではなく『ほっぺたが落ちそうなほど美味しい』と表現しているそうだが、逆効果だ。異世界に何を残して帰ってるんだよ……。
食事を終えてテーブルの上が片付くと、まいのスケッチブックを借りて、小百合画伯に『幼女時代に憧れたお姫様を描いて』とお願いしてみる。
すると、絵には自信があるのか、嫌な顔もせず応じてくれた。
手早く描かれた絵は、フリフリの可愛らしいドレスに『ピエス・デストマ』という胸当てを装着した十七~十八世紀のフランス風に、ティアラを着けたお姫様で、全員が『上手い』と絶賛。画伯もドヤ顔だ。
この世界に転生した十三歳という年齢で、既にかなり難解と思われるような本を読解していた小百合さんでも、幼い頃は年齢相応の漫画を読んでいたのか、やはり微妙に昭和を感じさせる絵柄というか……絵ってそういうものなんだな。
いい意味で面白いと思った俺は、みんなにもささっと描いてもらった。
ラファはファッションデザイナーみたいな絵で、お姫様というよりウエディングドレスを描き、まいは他の絵を参考にして、写実的に可愛らしいドレスを描いた。
そのドレスを着てるのは、どう見ても俺だ。
そしてノーレ画伯は、絵心だけはルーと正反対だった――
本人曰く、『人物は難しいのでドレスだけ描いた』らしいが、誰が見ても丸めたティッシュにしか見えない何かが描かれていた……。
「普通こんなものよっ! みんなが上手すぎるのよ!!」
「特にまいさんはずっと絵を描いていただけあって、見事な涼平さんですね」
「なんで可愛いドレスを着てるのよ……」
「いや、楽しいなこれ。今度は真愛達も参加させて、みんなでやろう」
「……!!」
「わ、私はもういいわよ……こんな屈辱……」
【れんしゅう】
「まさか《ゴーレム》に、絵の練習を勧められるなんて……」
項垂れるノーレ画伯を引き連れ、次は【たゐにや】だ。
今回の目的は女教師スーツ探しなので、目的のものがなければさっさと店を出るつもりで入ったのだが――
恐ろしいことに、要求に沿うデザインの服が置かれていた。
さすが師匠。俺の好みまで知り尽くしているのか……たぶん偶然だろうけど。
何がなんだか分からないまま目がぐるぐる状態のノーレ先生を、妖怪が試着室へ引き摺り込み、中から「もっと足を開いて機能性を確認するのです!」と、怪しい声が聞こえて数分後――
「これで戦闘も問題ありません。タイトスカートであるにも関わらず、両サイドのインバーテッドプリーツに使用された超伸縮素材によって、平素はシックな装いでありながら戦闘時には太腿にフィットしたまま裂けず捲れ上がらず、うっかり顔の上を跨いでしまうセクシーイベントが起きても暗黒空間で見えないという、完璧な構造になっているのですから」
「な、なんで私がこんな服を……」
「まだ不満があるというのですか!? あの野暮ったいパンツスーツで、涼平さんがときめくとでも思っているのですか?」
「あ、あれはただ、動きやすかったから……か、感謝されたし……」
「個性を獲得したいのでしょう? ならば『スカート姿の冒険者』という個性を、今まさに手にすることができるのです。夢が大空へと羽ばたく時がきたのです!」
ノーレ先生は可哀想だが、ラファの悪夢のようなセールストークが面白すぎる。
倍ほど年齢の離れた相手をなんとも思っていないラファもラファだが、ぐるぐる目のまま振り回されているノーレ先生が可愛くて笑ってしまう。
そうして、田舎から出てきた少女が、都会のショップで店員に勧められるがまま変な服を買わされるような状態から、先生はさらなる進化を遂げた先生になった。
「うう……なんでこんなことに……」
「ノーレ……一緒に田舎に帰りましょう。お洒落ショップ店員は危険です。ドレスとか勧められますから」
なるほど――それでドレスを着たんだな。あと、ラファも一応客だ。
そうは言いながらもルーはルーで、こっそり可愛い系の服を何度も手に取っては戻していたのを、俺は目撃しているのだ。
身も心も都会に染められてしまったノーレ先生は、強制的に服を購入させられて可哀想だったので、代金は俺が払っておく。
『会計をしておくから』と店内に残り、先程ルーが見ていた服も買っておいた。
サイズはよく知っているので問題無い。
楽しい気分で店の外に出ると、ぶち壊しの人物が居た――カルロ君だ。
やはりこの町を拠点にしているんだな。またルー達にちょっかいを出している。
「折角また会えたんだし、さっきの後始末のお礼もしてもらってないよね? みんなでお茶でも飲みに行こうよ。いい店を知ってるんだ」
「あのー。俺も奢ってもらえますか?」
「君、酷いじゃないか。一番価値のある魔石だけ持っていってしまうなんて。解体して焼いたのは俺達だぞ? ランクはそっちが上かもしれないが、礼の一つぐらいあってもいいと思うんだけどな?」
「ありがとう、カルロ君。斃したのはルーだけど」
「俺だって昇格試験を受ければランクAだ。そんなに差があると思うのか?」
「それじゃランクSに喧嘩売りにいきましょうか!」
「ははっ!! 笑わせてくれるなあ。君なんか魔王に出会ったら泣きながら逃げ惑うだけだろう」
「いや、五体ほど単独で討伐してます。証明書見ますか?」
そう言って背負い袋をごそごそやっていると、三人の男達の嘲笑する声が聞こえてくる。
ラファが珍しく何もしないのは、『自分が前に出たらぶち壊しになる』と思っているのだろう。そういうところの加減は絶妙なんだよなあ……。
「はい、証明書です。俺は有名人なので、破かれてもちゃんと再発行されますよ」
「見栄を張るためだけに、公文書偽造まで――って、【疾走する諧謔】だと!?」
「はい。だから有名人だって言ってるじゃないですか」
「う、嘘だろ……魔剣【ブルレスケ】に選ばれ、【最強】に勝ち、自らギルド連盟に乗り込んで【赫炎麗麗】を圧倒した化け物って……本物なのか!?」
「ギルド連盟には呼び出し喰らっただけだし、ミュリエルさんとは一緒に宇宙飛行して戻ってきただけですよ」
カルロ君と仲間達の顔色が真っ青になった。
彼等の脳内では現在、『農業』の二文字が大写しになっているのだろう。
やれば楽しくなるのに。
そこに女性の大声が響き渡る――
「ちょっとカルロ!! まだバカやらかしたの!? いい加減にしないとギルマスから昇格試験見送りにされるって何度も……って、【氷麗の獅子姫】様!?」
「おいおい! 町の中で何を大騒ぎしてるんだよ……って、ノーレじゃねえか!?」
若い女性に続いて、人垣を押し退けながら大男がやってきた。
この町のギルマス、【割砕撃槌】クルト・ハインズさんだ。
最初にギルドに寄ったので、挨拶は済ませてある。
毎度の如く、状況がぐちゃっとなってしまった。
まずカルロ君を叱りつけた人物からだ。
「そちらの女性は、どういったご関係ですか?」
「あたしはこのバカの妻で、元冒険者のリオナ・ファリーニよ」
「レオノーレさんと名前が被ってますね」
「そそそ、そんな! 【氷麗の獅子姫】様と被ってるなんて滅相もない!! すぐに改名します」
「そこまでしなくても……」
タイトスカートのノーレ先生を見ると、ドヤ顔をしていた。子供か。
そしてギルマスこと、クルトさんが言う。
「なんだか分からねえが、なんとなく察しは付く。またカルロがやらかしやがったみてえだな?」
「そ、そんな……ギルマス、俺達はただ……」
「あのなあ。【疾走する諧謔】に喧嘩売る奴なんざ、ランクSでも居ねえんだよ。この町ごと吹き飛ばされたら、てめえら責任取れるのかよ?」
「いやいやクルトさん。俺はそこまで凶暴じゃないですから」
「折角寂しい独り身のノーレと遊びに来たってのに、クソガキどもがデートの邪魔しやがって。留置場にぶち込んでやるよ!」
「ちょっと、クルトさん!? どさくさに紛れて何言ってるんですか!!」
「あの……ギルマス、【氷麗の獅子姫】様、どうかこのバカの農場送りだけは……あたし、妊娠してるんです。生まれた子の父親が、ロディトナで強制労働なんて、あまりにも酷だとは思いませんか? どうか寛大な処置を!」
なんか大事になってきてるな……俺のせいか。
というかリオナさんは、俺には何も言わないんだな。よく分かってる。
とにかくこの場は『魔獣の後始末をやってくれて感謝している』ということで、カルロ君は奥さんと一緒に家に帰ってもらった。
そしてクルトさんはノーレ先生に、「いい相手を見付けたじゃねえか」と言って殴られていた。二人は昔からの知り合いなのだ。
「もう行くのか? 一泊ぐらいしていきゃあいいのに」
「お騒がせしてすみませんでした。今日中にルズーレクに入っておきたいので」
「そうか……また来いよ? ノーレの面白い話聞かせてやっから」
「はい。是非」
「クルトさん! もう一発いっときますか?」
「早く行けって。のんびりしてたら皺々のババアになっちまうぜ?」
綺麗なアッパーが決まった。