159 その想いを表現するならば
レオノーレ先生を優しい目で見送ってから、祐さんが俺に向き直って言う。
「涼平、ノーレをよろしく頼むよ。僕にとっても大切な人なんだ。絶対に、絶対に死なせたらダメな人なんだ」
「それって……」
「違う違う。以前話しただろ? 転移してきたみんなとの約束があるんだよ」
「寄せ書きの人達ですね。絶対に死なせませんから、俺を愛さずレオノーレ先生の老後の面倒をみてあげてください。リクライニングベッド代は俺が出します」
「いろいろとおかしいよね……それ」
「本当のところは、どう思っているのですか?」
「彼女は僕なんか見てないよ。この世界すら、見てなかったのかもしれないね……涼平が来るまでは」
「やはり、八号……」
「ラファは鋭すぎるのよ、そういうとこ」
「九割九分を占有しなければなりませんから」
そもそもラファは、女性すべてに対して警戒しているだけだ。
蛮族のミュリエルさん相手だろうと、牙をむいて唸るだろう。
そこからは、リリアさんも当事者の一人だった『アパートごと転移事件』の話で盛り上がり、グノレノクで開催されたライブイベントの話には、まいも前のめりになって聞き入っていた。
やはり音楽が好きなんだな。
今後、リリアさんとビーチェはレオノーレ先生の家で生活する。
変な宿に泊まるより安全だろう。
防犯対策はラファ監修の下、強化された。
そもそもリリアさんが居る時点で、一歩も入れないだろうけど。
二人は運動がてら、冒険者としての鍛錬も続けるらしい。
祐さんも明日ヤトリエスに戻る。そのヤトリエスに居るもう一人のランクSが、蛮族こと、ミュリエルさんなのだ。
「年齢のことを言ったら殴られちゃうからね。『僕が頼りないから二人配置』ってことにしてるんだよ」
「まだまだ引退する気はなさそうですよね……」
「うん。僕ももっと強くなって彼女を安心させないとね」
「勝ったら結婚を迫られますよ?」
「そうだね。旦那さんは居るんだけど」
「マジで!?」
蛮族の掟は奥が深いなあ……。
§
なんであの子達はみんな、明け透けに性的な話をするのだろうか……。
私はそもそも男が苦手なのに。死んだ理由からして男絡みだし。
変な男連中に言い寄られて、全力で逃げたところに車が来た――
つまらない死に方だった。
この世界に来ても男の視線は嫌だった。原因が自分の身体にあることは分かっている。心から打ち解けられた男性はただ一人、鹿生雅人だけだ。
異世界言語がまったく通じず、英語も無茶苦茶でまともに意思疎通ができない。そして彼のすぐ傍には、思いを寄せ合う少女が居た。
そんな相手だったからこそ、上辺だけではない交流ができたように思う。
たった一週間だけど、お別れのときはわんわん泣いてしまった。
若かったな……もう、十六年以上前のことだ。
祐もあのアパートの住人だったことから、親交が続いている。
真面目で素直で優しいけれど、奇抜な発想力という点では物足りない。
あれは天性の才能なのだろうか……勉強して身に付くものではないように思う。
そして奇抜の塊である涼平は、三倍以上歳の離れた相手がいようと物怖じせずに言った――『みなさんは何も変えようとしなかった』と。
そのとおりだ。私がランクS昇格を推薦された頃から、何も変わっていない。
背負わせ、落胆してみせることで、何もできない自分達の権威を維持する。
けれど彼は、私やミュリエルさんのように怒りをぶつけてほしいのだ。
できない人間に『何故できないのか?』と言うのは、不条理だと分かっている。
だから毎回『文句があるならかかってこい』と宣言する。
『俺が代わりにやってやる』と言えてしまうのだ……凄い。
彼は楽しそうに言う――『世界を旅したい』と。
私も腰を落ち着ける前に、もっといろんな国を廻っておくべきだった。
男嫌いを拗らせて、あちこちの町を巡るのも嫌だった。
けれど今は違う。好奇心が上回る。彼はこれから何をするのだろうか。
あの変人漫画家の、羨ましそうな顔を思い出す――
「静香……私も、この世界を面白いと思っちゃったわよ……」
§
翌日――
ビーチェとの別れも真愛達と同様、あっさりしたものだ。
中央大陸は狭い。泣いて別れるほど会うのが難しくなるわけではない。
「なんなら一日十回ぐらい来たっていいぞ?」
「それはうざいです……夜だけ来て、一緒に寝てください」
「ベアトリーチェさん。夜は十五分で済ませてください」
「そういう問題かよ!?」
「せ、セクハラですよっ!!」
そして、先生は先生になっていた――
「なんで眼鏡をかけてるんですか? ありがとうございます」
「こ、個性が無いと指摘されたので……お礼を言わないでっ!」
「なんでスーツを着てるんですか? 感謝の意を表明します」
「着てみたら意外とストレッチ素材で動きやすかったから……感謝しないでっ!」
「パンツスーツとは中途半端ですね。そこは後ろにベントの入ったタイトスカートでしょう。それでは涼平さんの女教師マニア心を満たすことはできません」
「戦いづらいでしょっ!」
「中央大陸で【たゐにや】の支店を探して、機能性を備えたエロタイトスカートを購入しましょう」
「エロは必要ありません!! 何故【たゐにや】なのよ?」
「あたし達、創業者と知り合いなんです」
ああそうか、そんなことも話してなかったんだな……いつも逃げるし。
正直、レオノーレ先生とは合わない部分が多いので、一緒に旅するのは難しいと思っていたけど、これからお互いを知っていけばいいか。
考え方が合わないのは当たり前なのだ。相手はひと回り以上年上なんだし。
「また失礼なことを考えましたね?」
「思考を読まないでください。あと、敬語はいいですから」
「では、私のこともノーレと呼びなさい。堅苦しいのは嫌いなんでしょ?」
「はい。じゃあノーレで」
先生は何故か真っ赤になった――
ラファは「八号……」と呟き、ルーはどうやって個性を獲得すべきか、エロ方面で勝負すべきか考えている。
「考えてないわよっ!?」
「思考を読むところまで同じって、実は同一人物分離説?」
「涼平のことは、あたしのほうがよく知ってるわよ……」
「ほう……」
「ラファ!? そ、そういう意味じゃないからねっ!!」
一方で、すっかり話題を掻っ攫われたビーチェが、ご機嫌斜めになっている。
「ごめん、ビーチェ。ノーレ先生弄りが面白くて。だけど十分後にまた来るから」
「来なくていい……邪魔だから」
「じゃあ、いつ来てほしい?」
「毎日……は、無理……? まいちゃんも一緒に……他はいいです」
「ベアトリーチェさん? 今、『他』と言いましたね。『奥様』と言いなさい」
「そこかよ!? というかラファは同い年なんだし、もっと仲良くできないのか?」
「そういうプレイをお望みですか。やりますよ、ベアトリーチェさん」
「はい……『フォーメーションX』ですね」
「何それ!?」
まあ、俺には分からない辛辣コンビならではの意思疎通があるのだろう。
ビーチェがちょいちょいと手招きして言う。
「あの……涼平さん。大事な髪にゴミが……取るから、屈んで」
「ん、ありがとう。髪が本体だからな」
キスされた。
ラファは怒るどころか、平然とノーレ先生に向かって言う。
「私達のいつもの挨拶ですから。ちゃんと守ってください」
「なんでよっ!?」
「あたしはしないからねっ!!」
やっぱりルーとニコイチの存在になりつつあるなあ。
「違うわよっ!? ルーもなんとかしなさい!!」
「あたしは大太刀を持った地蔵ですから……個性なんてどうでもいいんです」
「充分個性的だと思うけどなあ……語尾に『っぱい』とか付けてみる?」
「斬るわよっ!!」
二人とも漫才師魔王の発言を気にしすぎだ。今度会ったら殴っておこう。
そしてビーチェの頭をぽんぽん。とやってから、俺達は壁門へ向かった。
背後から声がする――ビーチェの歌だ。
全然ゆっくり聞いてあげられなかったなあ。
だけど未だに俺の顔を見ると、緊張して歌えなくなるのだ。
ノーレ先生が、伊達眼鏡をクイッと上げながら言う。
「あれは、一九四〇年代のジャズバラードの名曲ね。渡辺さんのバンドでよく演奏してくれたわ。歌詞の意味は――君は知らないほうがいいかもね」
「やっぱり上手いなあ……俺の見込んだとおりだったな」
「上手いなんてもんじゃないわよ。大陸中に知れ渡るのも時間の問題ね」
「俺達の見込みどおりだったな、ルー。これからどこに行っても、『カルナァトに凄い歌姫がいるらしい』って噂が耳に入ってくるようになるぞ」
「カルナァトでは『痴情の縺れから、あの【疾走する諧謔】を刺殺しかけた少女』として、違う意味で既に有名人になってるわよ?」
「そのあと仲直りした様子を見せておけば、誰もちょっかい出さないかなって」
「そこまで計算して刺されたの!? 君って……本当に凄いのね」
「涼平さんは凄いのです。ですから八号さんにも凄いエロスが必要なのです」
「ど、努力するわ……」
「しなくていいですよ!? ノーレ、乗せられちゃダメです!!」
「……」
まいが掲げたスケッチブックには、【さみしい】と書かれていた。
すっかり仲良しになったんだな……だから俺は言ってあげた。
「五分後に来ようか?」
「早すぎるわよっ!!」
俺は壁門を出る前に振り返り、町中に響き渡る声で叫んだ。
「ありがとう、俺のビーチェ! 毎日来るから嫌な奴が居たら報告しろよーっ!!」
歌声に多くの人が集まっていたので、効果絶大だ。
そしてビーチェは、あのノイズの無い美しい大声で言った――
「私は、あなただけのものです!!」
それでいい。俺はハーレム野郎なのだ。手を出した奴はロディトナ送りだ。
門の外には、リリアさんと祐さんが居た。
「この町を、ビーチェをよろしくお願いします」
「涼平なら、僕より速く来ちゃうだろうけどね」
「わたくしも、下着を揃えてお待ちしておきますね」
「リリアさんの場合、本気なのか冗談なのか分かりにくいんですよ……」
「あらまあ。本気であればよろしいのですね?」
「ラファ! 誓約書を渡すなっ!! からかわれてるだけだよっ!?」
「十号です」
『私を含めるなエロガキっ!!』
そもそも、師匠とまいも数に入れているのだから、無茶苦茶だ。
ノーレ先生はいつものように頭を抱えている。
俺にとって思い出深い町がまた一つ。
ジェイの好物のチョコレート屋さんも、なかなかのものだった。
メネチトア王国へは空から行かず西隣のグノレノクから南下して、ルズーレク、イゴエルラと西へ移動する予定だ。
その前に――
「グノレノクのライブ会場跡も見に行こう」
「……!!」
まいが喜んでいる。俺も楽しみだ。
第六章終了。
まだまだ続きます。