144 裏の裏の裏
まさか疑惑の渦中にある当人が、向こうから訪ねてくるとは……。
涼平が飛び去り、リリアさんを家に招いてすぐに、【最強】リアン・カーベルが町に来た――タイミングがよすぎる。
そして彼の気配は、当然のように我が家へ近付いてくる。
「やあ、ノーレ。近くを通りかかったんだが、珍しいお客さんが来ているみたいだから、挨拶をしておこうと思ってね」
「用件はそれだけですか、【最強】?」
「君と僕の仲じゃないか、そんなに構えることはないだろう?」
なんの仲よ!?
一方的に求婚されただけで、私は断ったはずだ。
それに、今はリリアさんだけでなく他の客人も居る。
そのうち一人は、この男とは会わないほうがいい部類の冒険者だ。
ところが――
「おや、【最強】リアン・カーベルさんではありませんか。残念ながら、現在この家には数人の客が居ますので、いいムードからの『【最強】ベッド・イン』には、耳目が集中することになりますが、見られるほうが燃えるタイプでしょうか?」
「せ、セクハラですよっ!?」
狂人が、しれっと会話に参加した。
レイチェル・セネットは、この子にどんな教育をしたのよ……。
するとリアンが、顎に手を添え首を傾げながら言う。
「君は……いつぞやどこかで会ったような……ああ、リヴィー・ルセンタと一緒に居た子かな?」
「いいえ。そのような人物は存じ上げませんが?」
「そうか……まあいい。僕は【夢遊の雛芥子】に挨拶をしに来ただけだよ。ノーレとはいつでも会えるからね」
「来られても困るんですけど……お断りしましたよね?」
「婚前交渉ですか?」
「殴るわよっ!?」
「あらあら。わたくし一人をぽつねんと取り残して、賑わっておられますね?」
「お元気そうですね、【夢遊の雛芥子】。お久しぶりです。ついに【ブルレスケ】を持ち出した者が現れたようですね?」
「お久しぶりです、リアン様。【ブルレスケ】は持ち出せませんよ? 自ら戻っていらっしゃいますから」
「……上がりますか? リアン」
「いや、僕はこれで失礼するよ。ついでに寄っただけだからね」
「どちらへゆかれるのでしょうか?」
「グノレノクの南部で何かあったようです。みなさんの中に、心当たりのある人は居ますか?」
「ええ。私の夫が『ちょいとひと暴れしてくらぁ』と、その方向へ向かいました。具体的な話は聞いていませんが、何があったのでしょうか?」
「僕も詳細は聞いていないんだが、そう遠い距離ではない。行けば分かるだろう」
「お気を付けてゆかれますように、リアン様」
「ありがとうございます、【夢遊の雛芥子】。それでは失礼します。ノーレ、また二人きりで会おう」
「二人きりで、それはもう【最強】な感じに過ごすのですね? 一夜を」
「ちょっと!?」
軽くウインクして、リアンは去っていった――
ラファを殴ろうとしたら、普通にランクSクラスの強固な障壁を張った。
なんなの、この子達は……。
ビーチェと《ゴーレム》は、渡辺さんの店で音楽の授業を受けている。
なんで《ゴーレム》が音楽を学んでいるんだろう……頭が痛い。
そこに入れ違いで、狂人の片割れが変な服を着た女性を担いで帰ってきた。
「今、リアンとすれ違わなかった?」
「はい。かなり遠くから気付いていたので、荷物を布で覆って気配遮断状態でやり過ごしました」
「ランクSで【最強】と呼ばれている冒険者にバレないって……無茶苦茶ね」
「俺は無茶苦茶なんですよ? レオノーレさん」
「その塵を早く下ろしてください涼平さん。匂いが移ったらどうするのですか」
生粋の変人というものは、どこの世界にも居るんだな……。
§
ラファに命ぜられて風呂に入ってから居間へ向かうと、【朦蟾】への強制尋問が続いていた。
「どう? リアンの名前は出た?」
「それだけでなく、他のランクSの名前も挙がりました」
「そうか……現役?」
「引退したことになっている人物も加担しているようです」
「レオノーレさんとリリアさんは、全員分かりますか?」
「ええ。全員……知っています」
「そうですね。わたくしも、みなさま存じ上げております」
「かなりヤバい感じですか?」
「そうね……【朦蟾】を、この家から出せなくなったことだけは確定的です」
「涼平さんが普通に【最強】と挨拶を交わしていたら、この町は消されていたかもしれませんね」
「あ、危なかったんだな……ただ試してみただけで深く考えてなかったよ、俺」
レオノーレさんが頭を抱えている。
何故か慣れた仕草に見えるのは、気のせいだろうか……。
【朦蟾】の本名は、キキョウ・ミカゼというらしい。
年齢は三十歳。【鼈鏡】こと、ゲンナイさんよりは年下かもしれない。
顔を覆っていた布を外された状態だ。まっすぐ切り揃えられた前髪と姫カットの黒髪。頬は窶れ、目の下には隈ができていた。
そして、《ストリゴイ》は鯉ではなかった……当たり前か。
レオノーレさんもリリアさんも、『そんな魔族は存在しない』と言っていたが、ルーは何か知ってるっぽかったので、戻ってから訊こう。
【最強】さんが行くとは思っていなかったが、今頃南へ大きく迂回するルートで戻ってきているはずだ。そこは予め打ち合わせしてある。
ルーとリヴィーさんには申し訳ないが、こちらの挙動で『バレていることがバレてしまう』のを避けるために、【朦蟾】が《ベールゼブフォ》を使っているという予想は内緒にしていた。
『蛙の魔獣を使っている』と思い至った切っ掛けは、実にくだらないものだ。
レオノーレさんの剣を弁償しなければならない俺が、普段使いの財布以外の所持金を確認すべく、師匠に貰った蝦蟇口財布を手にした瞬間に閃いたのだ。
俺の場合は、外側ではなく中身が消えたんだけど……。
そして俺は蛙の口から【朦蟾】と魔王が出てくる瞬間を目撃した。二十マト以上ある蛙型魔獣に、障壁に覆われた状態で呑み込ませていたのだ。
魔族固有の生体情報さえ認識してしまえば、姿と気配を消しても通用しない。
勝てると高を括っていたのか、町を襲撃したせいで手札を見せてしまった。
今回のように姿と気配を消す魔獣が他にも居たら大問題だが、おそらく【朦蟾】固有の魔術なのだろう。忍術なのかもしれない。
交戦状態になってから少し様子を見たが、姿も気配も消さずに戦っていたので、自分自身には使えないようだ。
そんな術を使ってロディトナで暗躍していたのだ――極刑は免れないだろう。
やったことが悪質すぎて、救いようがない。
だが、ラファは『このままでは廃人になってしまう可能性が高い』と言う。
そうなってしまった要因は、かなり複雑だ。
キキョウ・ミカゼの記憶の深くに、【最強】リアン・カーベルの存在があった。
当人はすべて忘れているが、リアンの【加護】は、ラファが言うには『キスした相手の記憶を改竄できる』というかなり凶悪なもので、それを知っている冒険者は一人も居ないらしい。リリアさんも「初耳です」と言っていた。
その内容があまりに荒唐無稽に思えたのか、レオノーレさんが問う。
「リリアさんは、リアンにそんなことができると思いますか?」
「【加護】でしたら可能ではないでしょうか。条件が限定的なところも、彼らしいのではないかと思います」
性格が出てるってことか……。
つまり、それを知ってしまった俺達は、彼の熱いベーゼを避けなければならないのだが、そこでラファがレオノーレさんに猜疑の眼差しを向ける。
「危険人物が居ますね」
「ちょっと!? 私はしてませんからね!!」
「えっ!? 【最強】とレオノーレさんって、そういう関係だったんですか?」
「違いますっ!! 向こうが一方的に言い寄ってきて、困っていたんです!」
――ということは、彼はレオノーレさんにも何かしようとしていたのか。
ラファの推理では、まず《ストリゴイ》になる前のランクS冒険者にキスをしている。男同士で。
そして彼をなんらかの方法で魔王化させた。
次にキキョウ・ミカゼ本人は忘れているが、キスされている。
その時に植え付けられた記憶が厄介なのだ。
『《ストリゴイ》のために死ぬまで尽くす』という内容。その《ストリゴイ》は既にリアンに洗脳されている――ややこしい。
空白があるのは『どのように魔王化させたか』の部分だが、これは【朦蟾】の記憶には無いので、彼女が見ていない場所で行っていたのだろう。
それでも魔石が暴走していない……【最強】リアン・カーベルは、新たなるクズ冒険者として俺達の前に立ち塞がるようだ。
「うーん……邪魔なのでぶん殴りに行ってもいいですか?」
「ダメよ。証拠を揃えてからでないと、他のランクSと対立するでしょ?」
「まず、キス対策をしておくべきです。曲がり角を曲がったところでぶつかって、うっかり――などという可能性もありますから」
「絶対無いでしょ、それは……」
「レオノーレさんは、ルー互換機能を備えているので助かります」
「ちょっと!? 君は年上の先輩をなんだと思ってるの!!」
「完璧ですね」
「うん」
頷き合う俺とラファを見て、またレオノーレさんが頭を抱えている。
俺達が当面やるべきことは、危険人物の洗い出しと所在地の把握。
そして信頼できるランクSとの情報共有。こちらは難しいだろう。
更に国家の上層部への浸透度も難しい問題だ――レオノーレさんの話によると、【次世界の縄墨】という珍妙な組織が暗躍しているらしい。
その本拠地こそが、神託の塔なのだ……何してるんだか。
「ぶっ壊しに行ってもいいですか?」
「完全に犯罪です」
「涼平さんが魔王化したら、私とお腹の子以外には止められなくなりますね」
レオノーレさんが半眼になって俺を見ている。
リリアさんは「おめでたなのですね」と面白半分に信じている。
「してないからっ!?」
「セクハラですっ!!」
なかなかやるじゃないか――中央大陸。来て早々から複雑な状況だ。
そこで思わぬ人物が、状況を掻き混ぜた。
「レオノーレ様は、滝原様と付き合っていることになさればよろしいのでは?」
「はあ!?」
「なるほど……ですが、妻としては許容しかねます。主にある一部分に問題が」
「どこを見て言ってるんですか!! わ、私にも選ぶ権利があるのよっ!」
「日本人はダメとか?」
「そっ……それは……別に……」
「あらあら。でしたら問題はございませんね」
「リリアさん、面白がってますよね?」
ルー、よかったな。弄られ役が一人増えたぞ。