141 居間の暇人達
レオノーレさんが『魔王が出現した』と、出ていってしまった――
私は『カルペ・ディエム』という名前の、ライブハウスのような店に居る。
その店の経営者である初老の男性、渡辺さんと二人きりになってしまった……。
『いかがわしい店ではないから安心しなさい』と言われたけど、どうすればいいんだろう……とにかく今は、戻って涼平さんを刺したい気持ちでいっぱいだ。
「どんな音楽が好きなのかな? ポップス? ロック? それともクラシック?」
「あまり詳しくはないです……ガチャガチャしたのは苦手です……」
「じゃあ、静かでゆったりとした曲が好きなのかな?」
「はい……よく眠れるので」
「あはは、寝るときに聞く音楽かあ」
優しそうな人だな……これから私は一人で生きていかなきゃならない。だから、できることを示さないと、飢え死にしてしまう。
それとも冒険者に戻って、魔獣と戦うのかな……それは無理。
だけど、グイグイ系の涼平さんが手を引いてくれるのも、ここまでだ。
最後に背中を押され――いや、蹴られた気分だ。……刺したい。
「『夏の名残の薔薇』って曲は分かるかな?」
「と、トーマス・ムーアの詩ですよね……歌詞と、少し弾いてもらえたら……」
「丁度いい。練習用の簡単な楽譜があるんだよ。歌詞もある」
そう言って渡された譜面を見ると、本当に簡単なものだった。
こんな楽譜で弾けるんだな……演奏家って凄い。
私も音符ぐらいは読めるけど、転調とかはよく分からない……。
よく考えたら、こんなので歌手とか……死にたくなってきた……死のう。
「なんでいきなり死にそうな顔になってるんだい!? 難しく考えなくても、耳から聞こえた音に合わせて気持ちよく歌う。それでいいんだよ」
「そ、それなら……歌いながら死にますね……」
「死ななくていいから!」
そう言って、渡辺さんはバイオリンを手にすると、歌の旋律を演奏してくれた。
知ってる曲だ。だけど発声は異世界言語になるんだ……不思議な感じ。
小川のせせらぎのような優しい旋律に聞き入っている私を、呼ぶ声がする。
「どうかな? 歌えそう?」
「は、はい……歌ってみます……」
「伴奏はピアノで入れるから、好きなように歌ってくれていいからね?」
「はい……」
切ない歌詞だ……周りはみんな枯れてしまって、独りぼっちの薔薇。
荒涼とした世界に取り残されて……私みたいだ。
違う。涼平さんは、私がうんざりするぐらい何度も来てくれるって――
だけど……きっと無理だ。分かってる。
泣いたって困らせるだけだから……私はここで待ち続ける。
涙が、止まらない……泣いちゃダメなのに……。
「ベアトリーチェさん、見てごらん?」
「え……?」
また知らないあいだに歌い終わっていた。
何故か店内に沢山の人が居て、拍手してくれている……泣いてる人まで居る。
「君は独りぼっちの薔薇なんかじゃない。みんなの心を潤す清らかな川なんだよ」
「た、たまに毒が入っても、大丈夫でしょうか……」
渡辺さんが苦笑いしている。拍手が鳴り止まない。
私は……ここに居てもいいのかな……。
そこに涼平さん達とレオノーレさんが入ってきた……遅い。
一番遠くから、大きな声が飛んでくる。
「ビーチェ! 全開にならなくても大丈夫か?」
刺してやる――
§
俺達が魔王と戦っているあいだに、オーディションは終わっていた。
ライブハウスに行くと何故か客が入っていて驚いたが、たぶん外の通行人が歌に吸い寄せられるように集まったのだろう。セイレーンになれる逸材だ。
ビーチェは将来、自画像の描かれたカップを使って、カフェをやるといいかもしれない……夢が広がるなあ。
「涼平さん。わりと死にそうな位置にスティレットが刺さっていますが、治癒しますか?」
「うん、頼む」
ラファにそう言い残して、俺の意識は途絶えた――――
「うっ……うええっ……ぐすっ……」
目が覚めると、何故か部屋で膝枕されていた。
視界にあるのは殺人未遂犯の泣き顔だ。
「よう、ビーチェ。もう一回刺すか?」
「本当に死ぬなんて…………人間じゃないって……」
「うん。やや人間じゃないほうに寄ってるけどな」
「生き返って……よかったです……歌、まだ聞いてもらってないし……」
「そうだな。だけど俺はにわかファンじゃないから、ちゃんと練習した凄いやつを聞きたい」
「します……練習……聞いてほしいから……」
「がっかりさせるなよ? ビーチェは凄いんだからな?」
「はい……メロメロにさせてみせます……」
そして俺達は、レオノーレさんの家に泊めてもらうことになった。
話すことは山程あるので、そのほうがありがたい。
まず、魔王やレオノーレさんよりもビーチェが強かった件――って、俺がわざと刺殺されただけなんだけど、何故か大百合さんは凹んでいる。
「くどいわねっ!! 私は百合じゃないからっ!」
「そんな……ルーが悲しむじゃないですか」
「もう一回刺されたいのかな? キミは」
俺が死んでいるあいだに、ルーが魔王討伐の事後処理をしてくれた。
そもそもカルナァトのギルマスよりレオノーレさんの権限が上なので、手続きはスムーズに終えたようだ。あとはあの仰々しい討伐証明書を受け取るだけらしい。
今回出現したのは『無色』の魔王。討伐依頼は出ていない。
「中央大陸って、いつもこんな感じなんですか?」
「いいえ。今回の襲撃には、二つ疑問点があります。『どこで魔王化したのか』と『魔王化した人間の元の強さ』です」
水平移動や高高度からの下降なら、気配が『線』で感知できる。
ところが今回は『点』で出現した――
そして、拍子抜けするほど弱かった。身元不明だが、野良冒険者かもしれない。
「つまり、私の隠密★隠蔽魔術をパクった者が居るということですね」
「そうだな。早く見付けださないと『こっちが先だ!』って主張し始めるぞ?」
「重要なのは、『どう隠すか』ではなく『何を隠すか』ですから。つまらないものを隠すなら、まるごと滅してしまえばいいのです」
「今回のケースは、『気配遮断して連れて来た人物を魔王化。首謀者は消えた』と考えるべきでしょうね」
「だけど、そんな方法を繰り返していたら……」
ルーの顔色が悪くなるのも当然だ。ロディトナの悲劇が再現される。
現状の『三竦み状態』は、最古の幻獣にとっては片手間にすぎない。
主神と獰神は最古の幻獣に怯えながら、終わりのないゲームを続けている。
その真実を知る者は少ない――師匠にも『軽々に話すな』と釘を刺された。
厄介な相手だな……しかし、こちらにも隠密のプロが居る――
「ラファはどう思う?」
「忍の者ですね」
「やっぱり【朦蟾】だよな……」
「貴方達は、相手を知ってるの?」
「はい。おそらく――ですが、ロディトナの傀儡化に関与した疑いのある、女忍者でしょうね」
「確かにロディトナの一件は、裏で糸を引いていた人物が居ますね。よくここまで捕まらずに逃げ続けられるものです」
「【朦蟾】すら、誰かの駒として動いているのかも」
「もしそうであれば、相手は世界有数の実力者でしょうね……」
「レオノーレさんは、今回の一件をどう処理しますか?」
「『魔王が出現して、斃された』で終わりね。捜査人員を割く余裕はないから」
そうだろうなあ……首を突っ込むにしても危険な相手になる。
そこは暇な俺達に任せてもらうしかない。
何より、行く先行く先でこんなことが発生していたら、どこの町にも入れてもらえなくなってしまう――
なので俺は、『この町で網を張って迎撃しつつ、こちらからも打って出る方策を立てる時間がほしい』とレオノーレさんにお願いした。
「好きなだけ泊まっていきなさい。明日には【夢遊の雛芥子】も来ます。貴方達と合わせれば、一つの町の防衛戦力としては過剰なぐらいになるでしょう」
「ありがとうございます。俺達もしばらく不眠不休で、どう動くべきか考えます」
「えっ!? そんな……」
「ラファ、人様の家で何をするつもりだったんだ……」
「私の家で、せ、性行為は許しませんよっ!!」
「あたしは追い出しちゃったほうがいいと思います」
「なんでルーはそっち側に居るんだよ!? 小百合さん特権か?」
「特権って何よ!?」
レオノーレさんは額に手を置いたまま、仕事のために家を出ていった。
明日はリヴィーさんが町を離れる。ラファの武器については保留状態のままだ。
みんな働いている中、俺もぼーっとしていられない。
「……!」
「まいもお絵かき以外のことがしたいのか。だけど町の外は変なのがウロウロしてるからな。ビーチェと音楽のお勉強をするといい」
「……!!」
スケッチブックには【ろつく】と書いた。
「まいはロックな女なのか。可愛いだけでなく、カッコいいのも好きなんだな」
「……!」
「だけどこの世界のロックは、ちょっとだけおとなしめだと思うぞ?」
「……」
「ま、まいちゃん……アコースティックでも……床にギターを叩きつけたり、鳥の血をぶちまけたりすれば……ロックになるから」
「何教えてるんだよビーチェは!? 実行したらどうするんだ」
【がつき だいじ】
「見ろ! まいのほうがビーチェよりも音楽のなんたるかを知ってるぞ? 濁点もマスターした。ビーチェには何ができるんだ?」
「く、悔しい……です……」
「待てビーチェ、スティレットは必要ない。その悔しさは俺の心臓ではなく、歌にぶつけるんだ!!」
「ずっと見ていられますね……」
「いえ、リヴィーさん。調子に乗ってこっちをチラチラ見るようになりますから、無視したほうがいいですよ?」
「ルー!! お客さんに失礼だろ!」
「レオノーレさんのお客さんでしょ!?」
そうだっけ……そうだな。
折角のコントタイムが、百合の二人に水をさされてしまった。
「違うわよっ!!」
「心を読むなよ!?」
「視線で分かるのよっ!」
「あの……私はルベルムさんがよければ、別に……」
「えっ!?」
これはなかなか高度な返しが必要なやつだぞ……。
『そういう感じだからああなるんだよっ!』などと口が裂けても言えないので、俺はそっとルーを差し出した。
「ちょっと!?」
「あとは大百合小百合の二人に任せて、我々年寄りは退散しましょう」
ラファの言葉に同意した俺達は、ルーとリヴィーさんを残してリビングを出た。
俺個人としては、嫌いじゃない――
そしてリビングから、ルーによる熟練のツッコミが飛んだ。
「漫才コンビみたいに言わないで!!」