113 空っぽで透明
空っぽな人生だった。
周囲に馴染めないまま、なんとなく生きるだけの日々。
男も女もデートして、キスして、セックスする――頭の中はそればかり。
国が、世界がどうなろうと、みんな深く考えず自分のことばかり。
そんなある日、ちょっとした流感が広まった。呼吸器系の病気だ。
それでもみんな自分のことばかり。私は少しだけこじらせて入院して、死んだ。
大嫌いな世界から逃げても、やっぱり灰色の世界。
同い年の男の子が血まみれで戦って生き延びて、なのにギルドを追い出された。
わけが分からない――
私に優しくしてくれたし、毎日笑わせてくれた。血まみれのときも、「オレはこの世界を救う男だ。だから格上の敵でもこうして斃せるんだ」って笑ってた。
この世界のことはよく分からない。それでも彼は優しかった。
けれど町から姿を消し、その後は会えていない。
教導担当者を名乗る女性は、私のことが好きみたいだった。
別に構わない。私はあのひとを好きじゃない……それだけだ。
変な服を着せられ、飼い犬を自慢するように町へ連れ出し、時々壁の外で魔物と戦わされる。そっちが本来の役割だったはず。けれど私は弱い。絶望的に弱い。
神様から貰った【加護】は、【透明化】――なんの意味もない能力だ。
この世界の魔物は、透明になって隠れても私を見付けてしまう。ある日こっそり部屋を抜け出そうとしたら、あのひとにもバレてしまった。『気配で分かる。逃げても無駄』と言われた。
本当に私は、空っぽな人間なんだな……。
そう思っていたら、町に変わったパーティーがやってきて、あっという間に状況が一変した。そして、私に「やりたいことは何?」と訊いてきた。
何もない……だから適当に『歌とか』と答えたら話がどんどん膨らんで、何故かまた知らない場所へ連れて行かれることになった。
それは構わない。この町も嫌いだ。生まれ故郷よりも嫌いだ。
だけど、あの変わった人達は、何故私に『何か』になるよう求めるのだろう?
私には何もない。なのに優しくしてくれる。『身体を売る』って言ったら、恐い顔で叱られた。『この世界でもトップクラスに強い人』に。
滝原さん――だったかな。どうして私なんかに構うんだろう……。
人前であんなに大声を出したのは初めてだ……恥ずかしい。忘れよう。
荷造りしながらそんなことを考えているあいだに、次の予定が決まっていた。
「もう一つ訊いておきたい。ワヤルハ君とは会っておかなくてもいいのか?」
「え……居場所が分かるんですか?」
「なんとなく。探せばすぐ見付かる。それよりツイン子が会いたいかどうかだ」
ツイン子って誰だろう……私か。
この髪型も好きじゃない。あのひとの好みでやってるだけで、何歳までやる髪型なのか疑問に思う。
それは置いといて、ハヤルワさんか……会ってどんな話をすればいいんだろう。
連れて行かれたら話をしなくちゃいけない。話題を考えなきゃ……何もない。
だけど謝らないと。『ごめんなさい』って言わないと。
なんで? 私が悪いのかな。全部あのひとがやったことなのに……。
「あのな、ツイン子。物事はふかーく考えるべきことと、反射みたいに考えることで分けていいんだぞ? たぶん考え込むタイプだろ? ルーみたいに」
「あたし!? 巻き込まないでよね!」
「反射……ってどんな感じですか?」
「まず、『ワーテルローの戦い』について話そう。『何故ナポレオンが衰えたか』には諸説あるが、俺が思うに――」
「なんの話よっ!?」
「これだ」
え? よく分からない……。
「承認欲求が強いタイプは、ここで経済の話を絡めて薀蓄合戦を始める。だけどルーは反射で断ち切った」
「そうなんですか……」
「今はそんな雑談してる場合じゃないでしょ?」
「『言葉を選びながらゆっくり話す人ほど、頭の中は言葉が入り乱れてる』って、母さんが言ってたんだよ。だからツイン子もそうなんじゃないかなーって」
「そんなには……考えてませんけど……」
「ワヤルハ君と会うか会わないか、どうしたい?」
「会っても話すことがないです……」
「そうか。だったら俺達の宿へ直行するからな?」
「はい……」
不思議な人だな……そしてたぶんマザコンだ。
私の国もマザコンが多い。それは別に悪いこととは思わないけど、面倒臭い。
そんなことを考えていると、また顔を覗き込んで言葉を投げかけられた。
「次に、飛ぶときは俺を絞め殺すつもりで抱き付いてもらう」
「絶対嫌です」
「うぐっ!?」
「今度は反射的にぶった斬られたわね」
「面倒なので気絶させましょう。雌型の肉を運ぶのです」
「言い方! まあでも、そうなるかな……」
どういう意味だろう? 空なんて飛んだことがないから分からない。
横抱きならまだ我慢できるけど……ああそうか。私は人の体温が苦手なのかも。
基礎体温が低いから、他人の体温を熱く感じるのかもしれないな……。
「ほら見ろ、ルー。この一瞬でも何かいろいろと考え事をしてるぞ?」
「そうね。もうガバッと抱いてビューンと行っちゃったほうがいいわよ」
「俺が大阪で道を尋ねたおばちゃんみたいになってるぞ?」
なんの話をしてるんだろう……と思っていると、意識が――
§
俺はツイン子を抱えて、ラーナーチギルドに向かっている。
「ラファ……いきなり気絶させるのはどうかと思うぞ?」
「日が暮れてしまいます」
「それはそうだけど……それだと見送りしてもらう意味ないだろ」
そう言ってツイン子を起こす。
ギルド前には先程の冒険者が待っていてくれた。律儀な人達だ。
ジーマさんやガルシアさん達も外に出ている。
「ほら、ツイン子。冒険者のみんなが見送ってくれるってさ」
「え……いいです」
「失礼だな!?」
それでは集まってもらった意味が無いので、ちゃんと俺から挨拶しておこう。
「えーみなさん。足元の悪い中お集まりいただき、恐悦至極でございます」
「さっきからここに居るよ!! あと晴天だ今日は!」
「十五分ほどのくだらないネタではございますが、しばしのお付き合いをば――」
「何を始めるつもりだよ!?」
これぞまさにコール&レスポンス。いい反応だ。
ツイン子に別の道を示せなかったことに慚愧の念を抱いているのか、あまり晴れ晴れしい表情とは言えない面々に、あらためて伝えておく。
「ツイン子は自分の足で前に進むと決めたので、ここに居るみなさんも背中を押してあげてください。この世界は殺し殺されるだけじゃない。楽しんだっていいじゃないですか。ですよね?」
「当たり前だ!! 辞めていく仲間に悔いを残させないために、俺達は強くなるんだからな!」
「じゃあそれで。次は俺達にも勝ってください」
「え、それはちょっと……」
「殺しに参りますので。皆殺しです」
「さっきと言ってることが矛盾してるだろ!? 楽しめるかっ!」
ジーマさんは苦笑いしている。
場が温まったところで、ツイン子を一歩前に押し出す。
「彼女が何者になるかは未知数ですが、誰も可能性を否定しせんよね?」
「おう! 好きに生きればいいんだよ!!」
「この世界は危険だけど、面白いことも沢山ありますよね?」
「音楽だって芝居だって絵描きだって、なんだってアリだぜ!」
「それではみなさん。可能性に向けて、多大なる声援を!!」
拍手、口笛、歓声――
呆気にとられたツイン子の大きな瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
この町の冒険者も、それぞれ内に秘めた思いはあったはずだ。ランクAに対して『それはおかしいでしょ』と意見するのは簡単ではない。『合法的殺人』が容易い世界なのだ。強くなければ法を盾にしても結局は勝てない。
それでも町に残った冒険者達の吹っ切れたような笑顔と声が、か弱い少女の背中を押してくれる。それは俺ではダメなのだ。
何故なら、俺には現在、妖怪がへばり付いているのだから――
「ラファ。これから飛ぶのにどんどん重くなるやつはダメだからな?」
「やはり来年は瘤デレ推しでしょうか」
「絶対トレンド入りしないからな……」
瘤未満の妖怪を引き剥がし、賑やかな声援に送られながら三人で壁門を出た。
ツイン子はしゃくり上げるように泣いている。
彼女の人生は、ここからリスタートするのだ。
「さて。もう一度気絶するか俺に抱き付くか、どうしたい?」
「っ……どちらも、あまり――」
「では気絶で」
ラファは気が短いな。だが、グダグダやってる暇は無い。
再び気を失ったツイン子の身体をロープで括り付け、慎重に離陸した――
§
物凄い速さで雲が流れていく――
分かる。空を飛んでるんだ。
強く抱き締められている。嫌って言ったのに……。
だけど落ちたら死ぬ……雲は上ではなく、下に見えている。
時々、切れ間から見える地表には、人工建造物が見当たらない。
「あ、目が覚めちゃったか。もうすぐ下りるから暴れるなよ?」
顔は横を向き、左右の手を合わせたような体勢で飛んでいる。
たぶん……私に何もない上空ではなく、地上の風景を見せるためだろう。
そして、嫌だった体温は気にならない。そもそも相手の体温を感じない。
なるほど、相手は人間じゃなかったのか……だから強いんだ。私には無理だ。
「寒くないか?」
「え……大丈夫です」
「血流と体温、酸素濃度は調節してるけど、ツイン子は一般人並みに貧弱だ。少しバランスが崩れただけで失神するからな」
「体温……調節できるんですか?」
「冒険者の基本だぞ? 灼熱でも厳寒でも魔族は現れる」
「そう……なんですか……」
私の苦手って克服できるんだ……この世界、悪くないかも。魔族は嫌だけど。
こうして抱き締められていても嫌な感じがしない……むしろ、快適だ。
すると、仲間の女の人が私達の下を仰向けで飛びながら、据わった目でこちらを見ると、親指で背後の地上を指し示した。
どういう意味だろう? 下りるのかな……と思っていると、滝原さんが応じる。
「落とすかっ!!」
ああ、そういう意味だったのか……。
だけど……もう少しだけ、この風景を楽しみたいな……。