099 ファーシカル・デート 其の三
二日目も朝からハードスケジュールだ。
俺は、幸福という名の付いた労働を強要されているのではないだろうか……。
そんなことを思いながら町を出る――
俺としがみ付くラファを見た門番のおじさんは、大型犬に抱き付かれる飼い主を見るような優しい目で、うんうんと頷いていた。
「ラファはどこに行きたい?」
「日帰りでジィスハ往復は難しいですか?」
「日帰りというか、昼までだからなあ……向こうでゆっくりできないぞ?」
「でしたらまたの機会に。近場でまったり過ごしましょう」
「だったらハシャートクの町でいいじゃん」
「飛ぶ必要がなくなります」
「俺が楽でいいじゃん」
「ずっと抱き付いていても構わないのですか?」
「――どこに行こうか?」
結局、制限時間ギリギリまでルトクーア国内から出ずに過ごすことにした。
ハシャートク付近には遺跡などもあるので、のんびり廻ってみたいところだが、今回はラファの要望に応えて、動き回らず高台からの眺望を見下ろしている。
ブランケットに座ると、ラファが自分の太腿をぺしぺしやって、「膝枕を!」と要求してくる。頭を乗せると、横ではなく縦位置に向きを修正させられた――
つまり、片膝枕ではなく両膝枕の状態だ。
「眠かったら寝てください」
「いや、それだと来た意味が無いのでは……」
「私は常にこのような状態を望んでいるのですが?」
「魔族と戦うのは嫌なのか?」
「それは過程であって目的ではありません」
「ああ、そうだな……試験に出るとこだなそれ」
「大事です。涼平さんが唯一ペケを貰うところです」
「ペケって可愛い表現だな」
「そうやって女性を落としてきたのですね」
「俺がそんな高等テクニックを使えると思うのか?」
「私は……死んで涼平さんの背後霊になりたいのかもしれません」
「ラファは死にたがりやさんだな。死んだら触れられなくなるぞ?」
「霊体の自由度も魅力的なのですが……やはり接触していたいです」
「うっかり祓われて成仏するかもしれないからな」
「はい。なので、涼平さんの瘤になって引っ付こうかと。瘤デレです」
人面瘡ってやつか……ラファは未来に生きてるな。
俺は瘤に愛される生き方を知らない。
「だけど戦闘の時に邪魔になるかもしれないだろ? 瘤が」
「そこで予め用意してあるのが、背後霊です」
「料理番組かよ!? ――というか、ラファはテレビも知らないんだよな。まだまだ死ぬには早いぞ? 文明の進歩ってやつは過程が面白いのに」
「ですが、やはり完成形が洗練されているのではありませんか?」
「面白さの種類が違うからな。手品と物理学ぐらい違う」
「手品は酒場でオネエチャンを口説くためのものでは?」
「オネエチャンて……別に魔術でもいいんだけど、こういうのだよ」
そう言って空の掌を閉じてもう一度開くと、小さな釣鐘型の白い花が現れる。
ブランケットを敷く場所を探すとき、日本でも馴染み深いアベリアのような木が自生していたので、摘んでみたものだ。
ラファは一瞬目を見開き、その花を指で持ち上げてしばらく観察したあと、俺の鼻に乗せた。あの独特のツンとした香りが鼻腔を擽る。
「なるほど。結果を見るのと、量子テレポーテーションの原理を考えるのとでは、また違った楽しさがありますね」
「うん? ……うん。生きていれば、過程からの結果を見られるだろ?」
「はい。結婚しましょう」
「過程はどこ行ったんだよ!?」
「いい響きですよね……家庭って」
魔族が居なければ、また違う過程と結果があったのだろう。
だが、魔族が居なければ、俺は地球で死んだままになり、ラファがラファとして生まれていたかどうかも分からない――
それを因果と言うにはつらい出来事の多い世界だとしても、俺達は今ここに生きているのだ。
「俺は……『誰よりも強くなって獰神を斃したい』とか、そういうのとは少し違うのかもしれない」
「では、どうするのです? いきなり挙式でしょうか?」
「ラファは発想の跳躍力を幼児の筋力まで戻してくれ。だけど……方向性としてはそういう感じなのかもな」
「獰神と結婚するのですか?」
「計測不能まで飛ばないで!? うっかり見初められたらどうするんだ」
「斃して奪い返します」
「動機が不純すぎるだろそれ」
「世界なんてどうでもいいのです。涼平さんさえ居れば」
「嬉しいけど受け入れられないな。俺はもっと多くの人と生きたい」
「涼平さん自身は、何を望むのですか?」
「俺は……みんなで楽しく世界を廻りたいかな」
「やはりハーレム野郎ですか」
「ハーレム野郎かも」
「望むところです」
「いいのかよ!?」
予想外の反応に驚く俺に、ラファは目を閉じて嘆息した――
「涼平さんは勘違いしています。私は涼平さんが居ればいいのであって、他の女性は刺身のツマのようなものです。それは妻ではなく端なのです」
「日本文化に詳しすぎるだろ!? だけどラファは嫉妬するよな?」
「当然です。どれだけ女性がいようと、私が十で他は零ですから」
「一でもダメ?」
「無理です。『零でよければ居てもいいですよ?』というだけです」
「じゃあ俺が百持ってたらどうするんだ?」
「む。そうきますか……どうあっても浮気する構えですね?」
「そうだ。俺はラファに全部やれないぞ? どうする?」
「むむむ……九割で」
「いや、よくて七割だ」
「いえ、八割で」
「六割にすることだって有り得るからな?」
「むむむむむむ……無理です! この浮気者!!」
「そうだ! 俺は浮気者なのだ!!」
「……分かりました。左半分ということで」
「どういうこと!?」
こういう話をしていればよかったんだな……もっと前から。
ラファは俺の顔に上から手刀を当てて、縦の切れ目を考えている。
女性を侍らせて取っ替え引っ替えしたいわけでもなければ、薔薇の花弁を敷き詰めたベッドで、蕩けるような一夜を過ごしたいわけでもない――
そんなものは俺ではない。
『キモイ』
そう。ジゼルさんも共感してくれたように、俺は愛と殴り合いたいのだ。
『いい愛持ってんじゃねえか』『フッ……お前もな』とか、そういうエモいやつがいい。
『チガウ!!』
……あれ?
とにかく俺はラファの中の『俺比率』を下げて、『他にも楽しいことがある』と発見してもらいたい。俺にとって良き理解者であると同時に、つまらない固定観念から解き放ってくれる、良き破壊者なのだ。
その一方で、『弛めて、手放さない』自分自身へのジレンマも感じる。
「俺はラファに嫉妬したいのかもしれないなあ……」
「そんな性癖があったのですか……では、アイスに嫉妬を」
「残念なお知らせがある。それはエロくて許容してしまうやつだ」
「むしろご褒美でしたか」
「言っとくけど、ラファだって世の男どもにモテモテだと思うぞ?」
「どうでもいいです。涼平さんは昆虫にモテて嬉しいですか?」
「俺が昆虫なら嬉しいだろうな」
「涼平さんは概ね人間です。だから困っているのです」
「ラファだって時々犬とか妖怪だけど、概ね人間じゃないか。だから俺も困る」
「妖怪夫婦として、山でひっそりアイスと暮らしていくべきなのでしょうか?」
「うーん……概ね人間だからなあ。どうしたらいいんだろう、ジゼルさん?」
『シルカ!!』
雪崩のように本題が崩れたまま、喧嘩するでもイチャイチャするでもなく、俺達は残りの時間をのんびり穏やかに過ごした。
町までの帰途、ラファは俺と一体化できないものかとばかりにしがみ付いたが、当然ながらそんなことは起こらない。瘤デレはニッチすぎるのだ。
別の個体として生まれてきた意味を、あとから消し去ることなどできない。
だからこそ――せめて心ぐらいは、もっと通わせるべきなんだろうな。
§
「あまり高くまで上がったら、死にますか?」
午後の部である――
真愛は遠くではなく高くに行きたいようだ……らしいと言えばらしいが、飛行を体感するのに上空に上がるだけなのは勿体無い。
「上がるだけならこの場で上昇して下りるだけになるけど、いいのか、それで?」
「え!? 私だけそんなの寂しいじゃないですかあ!」
「自分が言い出したんだろうに……どこか行きたいとこ――」
「海!!」
食い気味に即答するなら先に言えって……。
そして真愛やフリシーには、もう一つ問題がある――メリンダさんは特別枠だ。
「ちゃんと抱き付かないと落ちるからな? 俺もバランス崩すし。それが嫌だったら抱えて上がって下りるだけにするけど?」
「いえ、絞め殺す勢いでいきます!!」
「殺さないで……」
マックスの件もある――男性恐怖症になるぐらいなら、適切な男女の距離感のままでいいのでは? と思っていたら、当人は然程気にしていないようだ。
真愛もランクが低く血流操作などもできないため、速度は出せないが、なるべく最短距離で海に出られるルートを考えて飛んだ。
本人はこうして空を飛べただけで大感激しているが、いずれ自分で飛べるようにならなければ、冒険者として行き詰まることになる。
まあ、フリシーも居るし、急速に昇格するのは難しいかな……。
「あのう……涼平さん?」
「ん? 何だ真愛?」
「いえ、『心ここにあらず』といった状態だったので……」
「ああ、悪い。考え事してた」
「わ、私のことですか?」
「そうだ。どうしたら成長できるかなーって」
「む、胸ですか?」
「なんでそうなるんだよっ!?」
「努力しますから!!」
「それじゃ、もうちょっとだけ速度上げるぞ?」
「はい!」
やはり海までは、それなりに時間がかかってしまう。ハシャートクは大陸の丁度真ん中辺りだからなあ。
やがて、地平線の向こうに光る水面が見えてきた――
「ほわあ!! 海ですよ海!!」
「そうだな。この世界の海は泳げないのが残念だけど」
「やっぱり魔獣ですか?」
「深い所には四十メートル級のが居るぞ? 《ドラゴン》はそれ以上だけど」
「どんだけですか!?」
「ここらで上昇するぞ?」
海が見えたところで、速度を落としつつ高高度まで上がりながら、真愛の体温と周囲の酸素濃度を調節する。
「凄い!! 宇宙まで行けるんですか?」
「不可能ではないけど、今回はそこまで上がらないぞ? 時間がかかるからな」
「それでも、ちきゅ――じゃなくてヴィスティードの端っこ見えてますよ?」
「それだけ大気層は分厚いってことだな」
「ほわあ……気象衛星の映像で見たやつみたいに、大陸が……」
「残念ながら、そろそろ降下するぞ?」
「はい。いつか自分で上がれるようになります!!」
速度を上げながら、斜角で海岸へ降下していく――
真愛は言葉を忘れたように口を開けたまま、眼下の光景に見入っていた。