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ハウル・アンセスター  作者: ありき かい
第二章 露呈
56/57

5.8


 ある女性の残像

 年代不明

 時代背景や風景から年号が改められる前後の日本だと推測される



 その女性のこころの中は虚ろなままで、溜息ひとつ吐きでることがなかった。

 だというのに、顔には余所行きの表情がこびりついていた。

 そう、こびりついていた。


 何をするにも、うだるような暑さだった。

 往来には胸元をはだけさせまいとしている人々や欲求にしたがうまでとしている者が点在していた。


 その中で、女性は異質さが際立つような、とってつけたような理由のようなものがあった。

 たったひとりであれば、そのことが理由で距離を置かれたり、言いがかりの類を受けていたかもしれない。

 けれど、女性は一人ではなく、連れられていた。付き添いとして、上流階級の男女に。



「ねえ、──? 今日はどうしましょうか」


 見知らぬ者──聞く者がいるから掛けられた、耳当たりの良い問いかけだった。

 ほんとうは質問でもなんでもないことを女性は知っていた。

 それでも、余所行きの笑みを作って男女に顔を向けた。

 嫌になるほどの微笑みがそこにあった。その顔は、表情は面白がっているのだ。


 わたしが、どこにも行けないということをわかっていて、何も決められはしないということを知り尽くしていて、自分たちとおなじように選択肢があるように振る舞う。それを与えてやるという心の広さに酔ってもいるのだ。


 女性は失ったと思っていた、苦しさが沸き上がってくるのを感じた。

 それでいて、ただただ、余所行きの表情のままに受け答えをまた、繰り返した。



 見送り人たちの波、物売りの波、少しでも職務を全うして明日を繋げたい者たちがごった返す港。

 声が大きく反響している。屋外だというのに、女性にとっては反響している錯覚を与えさせた。


「かならず、帰ってくるわ。だって、あなたが居る場所がわたくしにとってのホームですもの」


 涙を浮かべてタラップに吸い込まれていった女が言った。

 その言葉を聞いて女性は消化されたはずの昨日の昼食が出てきそうになった。あれから一度も固形物を摂っていない。

 与えられてもいないし、仮に与えられていたとしても喉も通らなかっただろう。


 寂しさやそれに似た感情からではなかった。

 歓喜。

 夢だとしてもかまわないと思うほどの歓喜。

 それゆえに、何も喉を通らず、ひたすらにぼんやりとしてしまっていた。


「あまりに寂しいから、何も手が付かないのね。今日はゆっくりとなさい」


 そう女主人に言われた時は、周囲への根回しをしてくれていた女と男へはじめて感謝をした。

 そう思われたことが時間が経つと、無性に腹が立った。

 こうして帰り道に着いていると、表情を取り戻していくかのような気分になった。

 だから、これから待ち受ける運命に逆らいたくもあった。



 同じくある女性の残像


 運命は残酷だ。女性はそう思い、我が子を抱え直した。

 腕の中に居る我が子の体温を感じることも、体温を分け与えることもできない寂しさが痛みを覚えさせようとする。

 そんな女性のこころを察して、腕の中の幼子が身じろぎをしながら手を動かした。


「めぐむは、おとうさまとくらすのよ。かあさまはいつでも、いつだってそばにいるからね」


 気を落ち着かせるために、そう声を掛けると幼子は瞼がまだ閉じたままの目をどうにかして開けようと動かした。

 その顔がいとおしかった。

 離れたくなかった。

 このまま三人で、それが無理ならば二人だけで生きていきたかった。



「待たせてすまん。──、無事に産んでくれてありがとう」


 幾度となく抱きしめても物足りない。

 いとおしさを抱きしめなおしていると、男性が呼吸を整える暇も惜しいかのように、声を掛けてきた。


「いいえ、まつのもたのしいですから。ほら、よくみてあげて」


「ああ……君に似ているね」


「どうかしら? あなたににてほしいわ」


 三人は月明りを浴びて、ひとつの絵画のようだった。

 最初で最後の、家族団らんのひと時だとはふたりだけしか知らない。ふたりはそれでもかまわなかった。

 そう思うほどの何かがあった。

 感情か、気持ちか、こころか。

 理性や体裁、一般的などを超越するものがあった。




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