21.
カジュアルな店、と言えばいいのか。ロマンチックな店だと言えばわかりやすいのか。
とりあえず、照明は絞られており、ソファ席と数席程度の椅子席、バーカウンターだけの店だった。
アメリカの黄金期と呼ばれる時代によく見られた内装で、気になってさっと調べたらそのままだった物件をシャイン一族の会社が買い取って、独立を目指したシェフたちの支援をしているらしかった。
「コンセプトはハリウッドとニューヨークの黄金期を再現、か。このフレディー・J・シャインはロレインの伯父さん?」
携帯電話がいつしかスマホになり、その画質の良さとあっという間になんでも調べることができることに驚く。
「正式には祖父よ。でも、世間は誰も知らないままでいる方を選んでいるみたいね」
意味ありげに一瞬笑って、ウェイターが運んできた料理に目を輝かせた。
二人とも肉料理を選んでいた。注文してくれたのはロレインだし、どういった部位を調理しているのかも教えてくれたのはロレインだった。
イタリア料理だと思って生きてきた料理がほんの窓口でしかなかったことに驚愕してしまう。
大胆さと繊細さ、じっくりと時間を掛けておきながらもそれを見せないマンマの笑顔を一口、二口と舌にしたらもう何も考えられなくなった。
イタリアにも足を運んでおけばよかった。
皿を空にして、夢から覚めた気分になっているとロレインが小さく笑った。
「子どもみたいに泣きそうにならなくても。美味しかった? お代わりする?」
「え? 感動しただけだから……」
「料理はヒトが編み出した術の中で、最高傑作。これに関しては、人外は関与していないの。だから、料理には不思議な力があるのかもしれないわね」
ロレインも鮮やかな手つきで最後の一口を咥内に隠していった。今度があれば、ロレインが頼んだ品を頼もう。
この後にももう一品、料理がくる。分けて食べられるパスタをロレインは注文していた。
「ねえ、ダイアナが何をしていても私は友だちだと伝えておいて欲しい。それはね、ロレインに対してもそうなんだ」
ひっそりと、心の中でタロウに対してもと付け加えた。
ロレインがタロウをどう思っていたのかはいまだに聞けないでいる。
私がリジー・バンクスへの思いを口にしないし、ロレインが聞かないということと似ているのかもしれない。
パスタが運ばれてくると同時に、ロレインはダイアナが関わっている一連の出来事を話し出した。
包み隠さずではないことぐらいわかっていたし、それだけの関係でもない。
なによりもロレインだって、知ろうとしてもできない事柄はたくさんある。
美味しい料理を前にして話す内容ではなくても、そうしないと話す勇気がなかったことが漂っている。気づまりになって、フォークに巻き付けたパスタを口にすれば感嘆とともに舌が回る。
戦の前に腹ごしらえをした数多の戦士たちの気持ちが理解できたような気分だ。
「ダイアナは自棄をおこしているとかないのかな」
ジョンが亡くなったと聞いて、真っ先にそれを考えた。
「だとしても、ケイが居ても同じよ」
辛辣な言葉の裏に、沈んだ想いがあった。どう返せばいいかと悩ませていると、フォークを置いたロレインが見つめてきた。
「でも、ケイだからこその何かもあると思うの」
嬉しい言葉だった。
明日にはトカゲが降るかもしれない。
穏やかなまなざしを向けてくるから、聞いているときから思っていたことが言葉になっていた。
「だったら、一度日本に帰る」
ロレインはホッとした顔と寂しそうな顔を共存させた。無理やり笑顔を作ろうとしている。
「違うよ。準備や何があっても、日本に戻って来られない場合を備えにしに帰るの」
ワイングラスを傾けて喉を潤す。それからはロレインが口を挟みこめないように一気に喋る。
「ダイアナが潜入調査もどきに作家が都合がいいなら喜んで利用される。ロレインだって、ダイアナの手綱を握れるでしょ。シャインだって、また違った目線で情勢を見れる。
ビジネスだと、唆しているのかもしれない。でも、私にだって利点はあるよ。
ずっと、何かしてきた、成した人だとかは何を考え、何を思って、何を守りたかったのかをひたすらに知りたかった。本屋に入り浸るようになった時からずっと」
そこで伝える言葉が切れた。
母国語ではないことがもどかしかった。もっと伝えたいのに、と唇を噛む。
「正気なの? わかってるの?」
ようやく口を挟むタイミングをもらえたロレインが、眉を寄せて言う。
「友だちでもあるし、大切な人たちだからだよ。自分の役割を全うしたいと自分が叫んでる。
その人たちが築こうとしている毎日を、ただ画面越しで「へー」って言いたくないって。その人たちの気持ちに寄り添いたい。もっと言いたいことがあるけど、言葉が出てこない気持ちから。
それにね、私が送ってきた毎日とかでも突き動かされているんだ」
もうロレインは絶句していた。
私の人生は誰も歩めないし、ロレインやダイアナの人生も私が歩もうにもできない。
無謀だとわかっている。知って文字にしても、一瞬で命が終わるかもしれないことも。
「日本で暮らしていても、連絡は取れるし安全なのよ」
私が無謀だよな、と思った隙を突いてロレインは優しく声を掛けてきた。左右に首を振って、私の決心を聞かなかったことにしたいような素振りを見せていた。
「そうかもね。ロレインにダイアナ、タロウが動くことで──変えられなくても、無力でも傷ついても、自分を偽ることなく、ほんとうに生きていくってことを教えてくれたんだよ」
遅すぎた友だちとのやり取りとその温かさは、微睡みがしあわせな瞬間だと実感する昼寝のようだった。それができないから、無茶な行動を選択してしまうほどの自棄があるように取られても仕方がない。
どれだけ批判されても──これからは耳をふさぎたくなるほどあるだろう──、対岸の火事を眺めたり、目を逸らしたりするだけで居たくなかった。
もしかしたら、私は人ではないかもしれない。
そのことが後押しさせているのかもしれない。それを知ることが可能になる何かを期待しているのかも。
「ダイアナの筋書き通りにはいかせないし、そのバックのもね。
ロレインとシャイン一族とかのも。
私は私が知りたい、探りたい視点で行くから。
ね? 利害一致でしょう? それにこの国で出版できなくても、日本人である私は母国でするから」
晴れやかな笑顔というのはどういう時に浮かべるのかをほんとうに知った。
受賞式で浮かべた笑顔が違うのではなく、その時以上のこころ模様があった。
ロレインは呆れてものが言えない、どう制止すればよいのかと悩ませていた。
あざやかに会計精算が終了し、ウェイターにカードを返してもらっても、握りしめたままだった。
「ごちそうさま。さ、帰って帰国準備しなくちゃ。笹木さんに、先に企画持ち込みの相談みたいなのもする段取りしないと」
その言葉がロレインを席から立ち上がらせることに成功させた。
「ケイ、ちょっと待って。あんた熱でもあるの? 酔ったの? 明日には覚えていないとかないでしょうね?」
「グラスワイン一杯では酔わないよ」
慌てふためくロレインが見れたことは嬉しかった。
だから笑ってしまった。思いのほか大きかったのか、他の客やスタッフの注意を引いてしまい、軽く会釈しつつ謝罪の仕草をしてクロークに向かう。
ドアに手をかけて、ガラス越しに見える風景が違って見える。錯覚とかだとはわかっても、口について出る言葉があった。
「素敵な夜だ」
「ああ!! もう!」
ロレインはどうにもならないと悟ったのだろう。そう言うと急ぎ足気味に車に向かった。
変わらずに笑顔を浮かべている私に、月も伝染したようだった。
すぐ近くに雲があった。月には興味がなさそうな、色濃い雲はゆっくりと向かう先を定めていた。
これからどんなことがあろうとも、今日までの時間は変わらないし、裏切りたくない。
世間の最大関心から有耶無耶になった“アビリティーズ”が人々の中に紛れ込んでいっても、私は小さくとも声を出し続ける。
叫ばないと、聞こえないのだから──誰にも。
第一章 完結。
まだまだ未熟な当作にも関わらず、ブクマや評価をしてくださいまして誠にありがとうございました。
読んでくださる方が居るということが、一番の励みでした。
第二章も早めに公開できるようにしたいと思っております。よろしければ、引き続きお読み頂けましたら嬉しゅうございます!!!