14.5
セシル記念病院の一室でロレインは溜息を飲み込んで、ダイアナに連絡をする。
さきほどの巡回で、ケイが目覚めていたことに驚きはあった。
けれど、彼女はどこか焦点が合わない顔つきと逃避にも似たような気配を漂わせていた。
「一応、目は覚めた」
ワンコールで繋がった。
そのことにロレインは吐き出したい気持ちよりもただ、それだけを伝えた。事実だけを伝えることに専念すべきと理性が守りに入る。
「っ……! 今日はそっちにいけそうもない」
ダイアナは感情を抑え込んでいる。
たぶん、これからストレスMaxになる政府との会議だかがあるのだろうとロレインはおおそよの検討をつけた。
精神状態がいまにも崩れていきそうになっているとも言える。
これから伝えることは、追い込むことに繋がるとは思っても一応の覚悟はしてもらわないとロレイン自身が保つことが難しくなる。
「ケイの容態は安定しているとも言える。それは身体的に見て、医学的に言えばの話。精神的ショックが大きすぎるせいで、それこそノマッドでのこともあって、一気に出てきてしまっている状況とも言える。あたしのことも──」
「今から行くわ」
話を遮り、突発的に行動しようとするダイアナをロレインは、大きな声で引き留めた。それが無機質な物体を通してだろう引き留めることに構わなかった。
「聞いて、ディー! あたしのこともあまりわかっていなかったのよ? 頭が回らないとかじゃなくて、一時的じゃなくて、放棄するかしないかの瀬戸際に居るような鈍い視線を受けたの」
「それでも……ケイは大切な──」
「あたしたちにはケイだけじゃない。これから、いまこの時にもこれまでにも背後から銃口を向けて撃鉄の音を利かす卑怯者をきちんと指弾する。
“アビリティーズ”が掲げたものでもなく、アカデミーのように潜んで幅を利かすだけのものでもない。なかったことにされて、コソコソとしたり独自の世界で満足したりなんてうんざりだと話し合ったでしょう。ただ、素直に生きたいんだって」
「ロリーとわたしは一緒に成長してきた」
「バカみたいな合いの手はやめて」
呼吸の乱れを整えるためにロレインが話を止めたとき、ダイアナはつぶやくように言った。それがロレインの頭に上った血を一気に下げさせた。
「とにかく、今のあんたはケイに付き添うよりも全国で起こった事案やそれで感化されたことの映像でも観て対策を早急に考えて政府の力でもなりなさい。アカデミーの主要メンバーを殺した数人も確保されていない。逃がす囮だけが捕まっただけなんだから」
そう言うと挨拶もなく通話を切った。
感情のコントロールができなくなるのが怖かったからだ。
その瞳はどこまでも遠くを見ていた。
心の中も、周囲との間にも、明確なカベなどなかった頃の光景がそこにはあった。
境界線は自分や刷り込みによってつくられていくのだと思っていた。
目の前にあるのは、やさしい人たちだけだった。
それは自分が育った状況がそうさせているとは夢にも感じなかった。
ヒトという残酷な存在が混在する中で育てば、やさしさなど持ち合わせを隠してしまえるなども想像もつかなかった。
キラキラと、ふわふわとした時間の流れを漂っているとき、リジー・バンクスに出会った。
大学の中で一番、自分の世界にしか興味がないと言わんばかりの顔をしていた。
学校社会のカーストでは、浮いて生きてきたことを窺わせた。
肌は北欧出身だと言えそうなくらいに白く、髪はロレインよりも綺麗なブロンドだった。瞳の色はここからではよく見えない。本に屈みこむようにして文字を追っているせいだった。
「こんにちは。ここの席、いい?」
気が付けば声を掛けていた。
挑むような視線もなく、溜息が聞こえただけだった。
「使えば」
消え入りそうな声で言うと違う席に移動していった。
瞳の色が見たかっただけなのに。もっと言えば、顔をじっくり見たかった。
諦めずに、何度も何度も声を掛け続けた。
観念したのか、彼女はぶっきらぼうに頷いた。
「座れば」
嬉しくなり、満面の笑顔を浮かべた。
その日以降、彼女と話す時間は勉強への熱意とおなじくらいに貪欲になっていく自分を知ることになった。
笑った顔がくしゃくしゃとして、とても好きだと思った。鼻には無数に皺が寄って、もっとくしゃくしゃにしたくなった。
「ロレインってお嬢様なんだ」
ふとしたきっかけで発されたその一言は、どんなときでも使われるようになった。
冗談だったり、からかいだったその言葉は次第に濁ってくるようになった。感情によって濁ったその言葉に心とも心臓とも言いたくない部分が突き刺さるような感覚があった。
運命は分岐路を無数に与えた。
それは慈悲だったのだろうとロレインは感じている。
家族に正式に紹介するときに覚えたざわめき、ダイアナが鼻を顰めていたとき、なによりも将来の展望を話すリジーの顔に違和感を覚えたとき。
すべて見ないふりをしてしまった。
祖先たちもこうした声や警告、違和感を無視してしまったのだろうか。
「先生、ここにいらっしゃたんですか。良かった、帰ってなくて。これ先生宛の郵便なんですけど」
セシル記念病院の秘書がそう言って大判の封筒を差し出してきた。
差出人を見れば、R・Bとあった。ごてごてと飾り文字にしているけれど、ロレインにはたやすく読み取れた。
「ありがとう。一度、自分の家に帰るけど、オフィスからの連絡はこっちに掛かってこないように連絡をするわね」
そう言って、労いの挨拶を交わして駐車場に向かって歩き出した。
お読み頂きまして誠に、誠にありがとうございます。
ほぼ週一回の更新しかできておりませんが、誰かが読んでくださっていると思うとそれだけで励みとともに心にあたたかいものが出てきて、後押しをしてくれます。
どうぞ、第一章完結まででもお付き合いしてくださると幸いです。




