14.
私はいつも想像した。
一軒家じゃなくとも、アパートや団地の一室で家族と囲む食卓。
騒々しい兄や姉との会話に、それを窘めつつも叱り飛ばす母や晩酌の邪魔をするなと怒る父。
誰かが──うるさいだけの母の気配でもある生活とはどんなものなのだろうか、と。
誕生日のケーキにたてた、ロウソクを上手く吹き消せないからと兄や姉がこっそりと風を送ってくれる。それに気が付いて、泣きわめく自分の姿。おかしそうに笑う父母たち。
幼稚園や保育園、小学校などに通っては友だちと会話を交わすという時間はどんなものだろうか。
毎日、想像した。
その中の世界と現実が重なることなんてないと理解していた。
その中の世界を補強させるために古本屋や立ち読みができる本屋に行っては、世界を強固にしていった。
自分の私物はあまり所持できなかったから、買わないで入り浸る子どもに本屋さんは苦笑どころか、嫌気が差していたと思う。
誕生日はその分、どれだけでも好きな食べ物を強請っても良かった。
学校を休んで遠方に行くでも良かった。
一日中、お菓子だけを食べても怒られはしなかった。
ただ、お腹に消えていくその祝いが、とても悲しかった。
それは六歳のころに感じたはじめての虚しさだった。
寝る前にそっと零れ落ちていく涙がしっかりと刻み込ませたのか、風変わりな夢を見た。
気が強そうな外見。その実、ほんとうはとても頼りないのを隠している人。
化粧と長い髪だけで女性だとわかった。その人を知らないから女性的、と表現する方が正しいのだけれど、直感が告げていた。
その人はやさしい唄を口ずさんでいた。
子守唄というようでもないメロディが私を包んでいた。
その瞳にはやさしさというよりも、予期せぬ行動をされないかという不安をもっていた。その奥にはまさに、やさしさがあった。夢だからそれを感じ取ることができた。
でも、夢なのにずっと間近で聴いてきたような、切なさもあった。
穏やかでいて、哀しそう。
やりきれなさが唄にのって、届けられてくる。
その人のことを、夢の中の私はじっと見つめている。
その目を通してなのか、もう一人の私が居て、それを見つめているのかはわからない。
唄が止んで、その人は穏やかな顔で何かを私に言った。
それがどんな内容だったのか、どんな声だったのか。
思い出せないまま、朝になっていた。
それ以降、誕生日になると見るようになった。
内容は一緒だった。
部屋もおなじで、飽き飽きするほど一つの家に暮らしていると思うような景色だった。嬉しくもあった。
でも、その人が発した言葉は覚えていない。
起きた直後でも、覚えていない。
そして、今日も覚えていなかった。
誕生日でもない今日、その夢を見たことで頭がぼんやりとする。
機械が立てるさまざまな音が鳴る部屋に見覚えがなかった。腕に刺さっている管も、無機質な部屋も。頭が働かなくて目だけで周囲を窺う。
「起きたかしら?」
一瞬何を言われたのか、脳が処理しきれなかった。
声をした方をそろそろと見ると、金髪女性がそこには居た。
なおも何かを言っているようだった。唇をはっきりと動かしていることはわかった。
指先や手を振ったりとしていることもわかった。
ただ、それは何を言っていての行動なのかが理解できないから目で追うしかなかった。
女性からすれば私は知っている相手なんだろうことは表情というか雰囲気で察した。
知人リストをひろげられないほど、ぼんやりとしている。
顔の判断がつかないほど、脳を酷使したのかと考えてみたけれど無謀な挑戦だった。
まだ夢の中を漂っているような感覚があった。
焦れたのか、女性が少しだけ上体をこちらに向けてきて、
「ケイ・ササキで間違いない?」
問う声が一枚のガラス越しに聞こえる。
この名前は自分のものであり、どこかよそよそしいものにも感じられた。与えられた服──新品の趣味のよさすぎるもの──を着ているような馴染みのない居心地の悪さを覚えた。
「自分で言えそうなら、言ってみて。難しいなら大丈夫だから」
言語を処理する部分があったまってきたのか、聞かれたことがようやくわかってきた。
その問いに頷くけれど、そのままを復唱したいとは思わなかった。
「ササキ ケイ」
聞こえたのかどうは判断がつかない。
それでも良いと思った。
一瞬の間があったけれど、その女性はまた喋り出した。
表情に不安の色が差すから頷いていた。
さらにと話していたけれど、面倒だと感じて聞き流していく。そうすると女性は紙に書きつける音をさせて出て行った。
懐かしい世界に、手を引かれて導かれ、戻っていく。
やさしい唄声が心地よかった。




