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ハウル・アンセスター  作者: ありき かい
第一章  真実
23/57

12.5

 タロウがあの時──カフェで構想を練っていたとき、タロウの店に居たとき──に見た女性を止めていた。


 まるで二人がかち合ったことによる音が空間の中で鳴っている。

 ずっと耳にすると頭痛がするような、時計の針の音を聞いている感覚にも似ている。


 何がどうなって、タロウがここに居るのか、この女性がどうして私を探していて見つけたのか。この建物の所有者たちがどこに居るのかがわからない。

 わからないことだらけで、ほんとうに現実とは物語とは違うこともおかしいだろと言われることも起こるのだと客観的に思う。

 意識をこのことに集中させて、整理をしていくための質問をしたいけれど、喉が貼りついてしまったのか言葉を出せない。



「ター、そこをどきなさい」


「ヒーネ。これは間違っている。“アビリティーズ”のやることもオレたちがなそうとしていることも」


「だから?」


「オレは、正すんではなくて……ヒトと人外が背を向け合った結果、オレたちのような思いをする子どもが生まれてしまったんだ。

 オレたちはそれがどんな生き方かを知っているから──イヤだったから、こうして椅子の上に立ったはずだ」


「そうよ。人外もくそ! ヒトもくそ! 金を持って蚊帳の外を決め込んでいるともわからない奴らはもっとクソよ!」


「だろ?」


 タロウが話していることわからなかった。

 人外否定主義者だったのだろうか。

 わかるのはヒトが裏切ったことではなく、お互いに背を向け合ったということ。何がほんとうのことか、私には知りようもない。


 二人が話していることで音は静かになっている。

 長針と短針だけのシンプルな盤面デザインの時計が立てる音。

 息がしやすくなっても、緊迫感は漂っている。



「完全なる復讐はこの場所をただ、ヒトに見せしめにして“アビリティーズ”の場所を、かりそめでも人外に教えてしまえばいい。

 その役目はオレがやる。ヒーネはこれからオレたちが苦しんできたことを誰も受け継がないようにアドバイザーの役目を担ってほしい」



「NO!!!」




 その言葉とともに地鳴りがし、空気が武器になってすべてを歪めていく存在に変わった。


「ヒーネ! 落ち着け! すべてが、ほんとうにすべてがムダになるんだ……そんなことをしたら」


「ムダでも、そんな未来はイヤよ! どうしてアドバイザーが必要だと言うの? 誰も傷つかない未来が来ることなんてない。ヒトと人外は背を向け合った。それはおいしい思いをするだけのふんぞり返る者だけで決めたこと」



 タロウはご機嫌を損ねた幼子を宥めるように近づいて行き、ヒーネと言う女性を抱きしめようとした。


 私とタロウ、タロウとヒーネという立ち位置に変わった。


 変わったことによって、空気はさらに鋭さを増していく。

 剥き出しになっている肌がピリピリとしてくる。乾燥もしている。ちょっとしたことで切れてしまいそうだ。


 立ち位置が変わらず、タロウが片手だけを先に伸ばして引き寄せようとした。


「そういうこと……だから、そんなに必死になって二人で考えて計画してきたことを無しにしようとしたのね」


 何かに思い至った様子のヒーネがそう溢した。


 途端に空気の濃度が濃くなり、薄くなる。たった数秒程度かもしれないけれど、空気がどれだけ重要かを突きつけられた。

 数秒だとしても無限の時間を味わうかのよう。それが唐突に止んだ。


 代わりに髪のようでいて、糸でもあり、生き物のようなものが私の口元と喉を押さえ付けていた。

 空気が和らいだと思うのもつかの間、すぐに呼吸ができなくなる。



「モヒニー!」


「何やってくれてんのよ!!」


 タロウの叫びと重なる声。

 この三か月、聞き慣れた声が発する怒声。

 ヒーネなのかモヒニーなのかを止めようとタロウは全身でその身体を抱きしめて、周囲すべてを切り離そうとしている。

 頭に血が上っているダイアナは、咆哮を上げて腕を二つの身体に振り下ろした。



 すべてはスローモーションだった。

 映画を観ているみたいな錯覚。

 ノマッドでも感じたように、いま口元と喉を押さえ付けている生き物は自分の身に起こっていないと脳が否定しているからだろうな、と客観的に思う。



「ディー! ちょっと!」


 ロレインの声がする。

 それは遅すぎた差し水のように、吹きこぼれた血潮はかまど全体にかかってしまった後だった。火を台無しにし、煙とその臭いを充満させていく。

 誰もが今日一日、どうすれば良いのかと嘆く顔をしていた。


 そんな中でも私の口元と喉は圧迫し続けていた。

 消えることもなく、その力が萎えることもない。


 ロレインがそのことに気が付いたのか、美しく描かれた怪物という表現の顔でモヒニーに襲い掛かった。

 その身のこなしには溜息が漏れるほどの俊敏さがあった。こんなときでも、小説にその姿を映したいと思った。


 ロレインの行動がダイアナには力強いということはわかった。

 けれど、タロウだけに向けてその腕を再び下ろそうとするのは嫌だった。

 口を薄く開けようともがく。

 もがけば口の中に侵入される。

 さらに呼吸ができにくくなる。

 二人を加害者と被害者にはしたくなかった。



「やめて……ともだち……」



 どうにか言えることはそれだけだった。

 脳が酸素不足を起こしている。

 言えた言葉が日本語だったのか、きちんと英語で言えたのかは定かではない。

 ただタロウが首を左右に振っている。伝わったという動作かはわからないけれど、その瞳に浮かぶのはダイアナを止めるなと語っていた。

 さらに振り絞って、閉ざされていく視界の中で名を呟く。



「ダイアナ……」



 ダイアナの腕がタロウを薙ぎ払った。

 モヒニーは気が付いたのか、それとも枯渇した力からなのか。私に張り付いていた存在は消えた。

 消えたことで私の身体も意識もずるずると落ちていった。



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