11.5
アカデミー襲撃時 ある男の足どり
タロウは“アビリティーズ”との活動と姉であり親友でもあり恋人でもあるモヒニーとの行動で自分の中の自分を見失っていくのを感じていた。
数多くの思い出が、閑散期の別荘のように窓を閉められて家具に布を掛けて、ドアは頑丈に施錠されていく。
馴染みのある光景でもあった。
タロウ──タウスとモヒニーは別荘が数多く建てられている地域で生まれ、育った。
その場所で生活する者の大半は、車を一時間ほど走らせた地域にある別荘を所有する層が居なければ生活しにくい。
ゴールドラッシュに沸いた時代は比較的暮らし向きは穏やかだったけれど、七十年代にはすでに忘れ去られた場所だった。八十年代には若者がすべてを捨てて都会や夢を目指して走り去っていった。
そこにあるのは、カウボーイたちがこぼした酒と流れた涙が見せる古き良きアメリカしかない。
そこに居残った者たちは、ひたすらに毎日を過ごしていた。そうするのがここのふつうだと思ってもいた。
タロウ──タウスの母親もそんな一人だった。
別荘地に赴き、仕事を請け負って喉まで出る不平不満を、汚れを落とす際に必要な力を入れる時に一緒に押し潰していた。
少女時代から一人の女性となった時にも、その何でも屋のような仕事を両親と共に請け負っていたから、子どもができた時もそれが変わることはなかった。
なぜならば、子どもの父親を誰かに知られてはならないと理解していた。
からかい気味に周囲の人々は父親を訊ねた。
けれども、彼女は頑なに口を閉ざしていた。
彼女を両親はふしだらな子どもと罵るほどの余裕もなかった。何よりも収入の半減とトレーラーハウスの中にはもう部屋はなかった。向けられるのは溜息とお腹への視線だけだった。
彼女は無事に出産し、朝もやが立ち込める中、導かれるように別荘がある地域に近い森に向かった。
今日を逃せば、しばらくは難しいと本能が知っていた。
昼過ぎに食堂にアルバイトに行かないといけない。
ミルク代とおむつ代は市がいくらかは負担してくれても、これからの生活には足りない。
でも──希望を抱いている。
そう思って足どりは軽快になる。
その場所に着いたとき、彼女は満面の笑みだった。
待っていた者も不器用ながらに彼女に慈しみの表情を向けた。
ひっそりと人目を避けてふたりは家族になっていった。
家庭にはなりえないけれど、ふたりはすべてをお互いに癒し、必要としていた。断ち切ることのできない、家族を築いていた。二人目の子どもができるのも時間の問題だった。
タロウ──タウスが知らないふたりの物語は、母親によって遮断されていた。
その中で他の住人たちが噂していることは耳に入ってきていた。
二人にとっての祖父母は、人ならざる者に殺されたのだと。
大人と子どもの三人だけの生活はそのことによって終止符を打った。
アカデミーに見つかった。
すべての均衡がさらさらと崩れていく。
砂浜でつくった城が波によってさらわれて、跡形もなくなっていくように。
もともと夢見がちだった母親は、さらに自分だけの世界に入り浸るようになった。
二人は泣き叫び、母親に手を差しだした。その時ばかりは母親もその手に触れようと努力をした。
だけれど、アカデミーは希望を砕いた。
すべては妖精だった父親のせい。
そう考えるようになった。
アカデミーで学ぶふりをして、各人外の弱点や掟を頭に叩き込んでいった。
すべては──そう何も能力がない自分たちのせいなのだ、と奥歯を噛みしめて。
その気持ちに覆いが掛けられていく。
現在居る場所に意識を戻す。
アカデミーの教室棟、本部棟からも離れて、職員宿泊棟からもなおも離れて進む。
目指すは幹部らが隠している建物。
そこの玄関にたどり着いた時、タウスとタロウの過去はほんとうの意味で遠くに過ぎ去った。どこか身体も心も軽くなっていくような感覚がした。
“アビリティーズ”の活動部隊と一緒に行動しているモヒニーがこの場所にたどり着くには時間がまだある。充分とは言えないけれど、猶予はある。
タウスなのか、タロウなのかわからないけれど、それが囁く。
今のタロウにとって、駆け引きはくそくらえだと中指を立てるものだった。
別に日本人であるケイ・ササキを狙いにするつもりは、“アビリティーズ”にはなかった。クイーン・セキュリティ社とシャイン一族が持つコンピュータにハッキングした同胞のハッカーが見つけた情報がそれをさせただけだった。
フランスでの生還者。日本人。帰国していない。
そこから導き出される答えは?
──生還者をそそのかし、思うままに操ろうとしていたダブルスたち。ナチュラルであればそんなことはしない。なぜならば、共存こそが相応しい未来だから。その未来への道だけを照らすには、誰もがしっかりとその足で立ち、歩むのだから。
そそのかしたダブルスを作ってしまった教育機関であるアカデミーを襲撃したことを正当化するシナリオ。
あとは好き勝手に、その情報の受け取り手が考えていく。
行政府内やアカデミーなどの根幹にいる、隠れ生きてきた者たちにとっての最悪な結果が一番望ましい。
それは思想を縛ってしまい、返り討ちに合う危険性が高いから、随所随所で整えていけば良い。
“アビリティーズ”はそう考えた。
タウス──タロウもそのシナリオに何も抱かなかった。
なぜ、抱く必要がある?
結局、誰も彼もが己だけにしか目を向けない。タウスやモヒニーのような人生があっても、一瞬だけ情をかけるだけ。
だったら別に、一人や二人、痛めつけられすぎる人が増えても構わないだろう。
そんな正当化された想いだった。
いつしか変化していった。
きっかけが何だったのかはわからない。
ロレイン・シャインとダイアナ・クイーンへの調査をしてからか?
モヒニーと相談し、ロレインだけを焦点にあててからか?
ふたりの友情に亀裂を入れるはずだった。
シャイン家とクイーン家はどの時代でも友好関係を保ってきた。変わり者のシャイン一族の心を開くにはクイーン一族しか居ないと言われるほどに。
おなじ空間で、おなじ時期にアカデミーで過ごしたモヒニーとタウスが拗らす役割を担うのは至極当然だった。
“アビリティーズ”は狼煙の準備に専念すれば良かった。
そうすればダイアナとロレインが、反アカデミーを率いてくれるだろうと単純に思っていた。
現実は違った。
行動をしても、言葉で扇動するでもなく徒党を組むわけでもなく、表立つこともしなかった。リストに上がるアメリカの“名家”たちも沈黙したままだった。
ようやく知りえた情報では、一人の日本人を保護していたからだと結論づけられた。
所詮、寄せ集めの集団でしかない。
単純に物事を考えて、行動をしてしまう。
クイーン・セキュリティ社への攻撃も、政治家への暴行なども。
知恵を絞って、瓦解させていくには、その日本人を引き離せる状況を作れば、舞台に上がるしかないという道筋に誘導するしか出なかった。
誤算、それも大きな誤算は、アカデミーが動いたこと。
タウスもモヒニーも面食らうしかなかった。自分たちがやるつもりだったことは後回しにするしかなかった。
廊下をそろそろと歩きながら、とてつもなく大きな何かにこの建物が呑み込まれているような錯覚がしていた。
殺気のようでいて、まったく違う。しつこく絡まってくるそれ。
「あんたの血が流れれば、“名家”が断頭台に望んで上がるしかない。だから──死んでよ」
行動部隊と一緒のはずのモヒニーの声がした。模様のやその色だと思っていたものが違うと知ると胃がひっくり返りそうになった。
タウスは選ぶしかなかった。
ただ、選ぶしかできなかった。