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ハウル・アンセスター  作者: ありき かい
第一章  真実
18/57

10.

二か月前

セシル記念病院


 世界が様変わりしていく。

 とても頭も心も追いつかない。

 敏感に察知しているのか、逃亡されるのを防ぐように誰かしら、病室にやって来ていた。


 どこかくすぐったい笑いが出てくる。

 誰かにそうして世話を焼いてもらった経験がないから、自分よりも年上で血縁者だからそうしているまでの温かみを手にしている。

 だけれど、私はそんなやさしさをもらえるような大層な何かを持っているわけではない──その気持ちがじんわりと広がる温かさを一蹴する。



 特別治療室とでも言えばいいのか、この部屋から一歩も出られない。

 出ようと思えば、出られるのだろうけれど、何種類かの管が刺さっており、ずっと動いていない脚に早急に行動しろと命ずることは難しい。

 これまた、映画や海外ドラマのようにはいかない。


 たぶん、こうして代わる代わる訪ねてくるのは、私が彼女らの秘密を知ってしまったからだろう。日本に帰りたいも思っても、しばらくは無理だろうな。


 涙腺が緩みかけていくから、さっと室内を見渡す。

 目に入るものが同じで、聞こえてくる音声も電子音と微かに聞こえるアナログとデジタル時計の吐息。サイレンの音は、遮音が利いているであろう室内でも大きく響く。



「珍しいものというか、わたしが口にしないからなんだけど……持って来た」


 素っ気ないとも気安い間柄ゆえとも言えない、微妙な距離を感じさせる物言いをしてダイアナがノックもなく入ってきた。

 手にしているものはモモの缶詰だった。ロゴも文字も日本語で書かれている。


「普段、キャンディーバーやボンボンしか口にしないんだけどね。喉通りが良いからコレとかみかんゼリーを好む人が居るってロリーが言うから……買ってきた」


 呆気に取られてダイアナの顔を見る。


 私の中で、まだ知りもしないダイアナを誤解していることに気が付いた。

 狩人であり、慈悲をもっても個々に砕こうとはしないと勝手に解釈していた。

 なぜだかそう思っていた。

 そう思っていた自分に恥ずかしさを感じ、その誤解を砕かせて散らばらせていく。



「ありがとう。缶詰のシロップをミックスジュースに入れて飲むのが一番好きなんです。その上にアイスクリームを乗せたら美味しいんだけど……下手だから別々にして飲んで、食べてをしています」


 久しぶりに声帯が仕事をしている。

 ひどく掠れた声で、聞こえているのか怪しい声量だった。それでもじっと耳をそばだてて聞いてくれているのがわかった。嬉しくていろいろな話を話しては、ダイアナの話を聞こうとした。



「──それでね、サンデーは大好物だったんだけど、ロリーはいっつも口の中に残らなさそうなケーキだとかを好むのよ。最近では野菜のケーキとかを熱心に自作してはわたしの口に押し込むの。どうかしてるわ、あのハーフは」



 甘党繋がりで話は食べ物ばかりになっていた。

 なんだか嬉しくなって、笑うことだけに体力を使っている。

 でも、それぐらいにダイアナの表情や仕草が話を盛り上げていく。



 開けてくれた缶詰のモモをようやく口にすることができた。

 

 室内に陽が()した瞬間、ダイアナに後光が差していると思った。

 次第に眉間に皺が寄り、目を逸らしてから再度こちらを見たりと繰り返す。口の中で言葉が貼りついているのかのように不明瞭な音を漏らしては手を口元にあてて黙り込む。


 はっきりさせたがる性格なのだろうと思っていただけに、珍しいと待っていると陽が陰った。

 そのことが後押しするかのように、ダイアナの手に触れてみた。


 こわいもの見たさに似た好奇心だった。



 身体中の神経は繋がっている。

 一本の糸のように。その時の私はたゆんだ糸だった。

 急激に動いたということは、強引に糸を手繰り寄せたということで、引きつったかのような痛みにもにたものがあった。

 それでも構わずに加減もわからずに握った。

 他人とこんなやり取りは、恋人だと思っていた人としかなかった。温度の託し方もわからない。手汗が実はひどいのかもしれないとか考える余裕もなかった。



 その温かさは本物で、人外や人という区別関係なしに生命の鼓動が実感した。

 恐怖や居場所のなさやプラスティックの壁に阻まれている感覚なんてどうでも良くなるほどの感情が湧き出てきた。

 説明のできないそれは、どうしようもなくその手を両手で握って感謝の言葉を何度も繰り返すしかなかった。



 ダイアナは幼子のような表情で見つめているばかりだった。

 気難しい顔をしてもごもごとしていた彼女から一転して、戸惑っているのだろうと今にして思えば感じる。



 その顔が再度、ピリッとした空気を纏ってドアを見つめた。

 微かに目つきも変わっていた。

 開けた者がロレインだとしてもその空気も目元も緩まなかった。

 ロレインもまるで対峙している表情を浮かべていた。


 先に口を開いたのはロレインだった。


「スリーサイズを含めるお互いの数字が知りたいのなら、それぞれに聞いてよ。守秘義務があるから」


 空気が緩んだけれど、目元はお互いに先ほどのままだった。勘違いをさせて、二人の仲を拗らせていなければと思った。




― ― ―


 現在

 アメリカの某所


 気を落ち着かせようと紙とペンをもらって、小説のシーンを思いつく限りに書き出そうとした。

 でも、浮かぶのはダイアナとロレインばかりだった。あの日以降にジョンは一層に拒絶という態度を見せた。


 人間関係は難しいという一言に、どれだけの感情を内包しているのかと思った。

 私の小説に薄い膜を張ったように感じると言った大先輩作家がいたけれど、ほんとうにそうだと実感する。

 根幹がまったくないから、どこかで覗き見していたものをラッピングしている。



 溜息をついて、紙に思い浮かんだ言葉を書いてみる。

 何度かしているうちに、建物内が騒がしいような気がしてくる。ほんの小さな歪みのような物音がある。大掃除をしているのは、まだ子どもかなと思って、言葉書きを再開する。


 でも、誰かが悲鳴を上げている。そう思うとどうしようもなくなった。

 さっと視線を扉に向ければ、それは電子キーか外からの開錠を必要なタイプ。


 唐突に叫びたくなった。

 何事かがあれば、私はここで死ぬのだという恐怖からの叫び。喉はその事実にピタリと閉ざしてしまい、上げられなかった叫びが息を名残惜しそうに外に出した。


 小さなそれが引き金かのように、引き寄せてくる時計の喊声(かんせい)

 一歩後ろに、また一歩後ろと喊声を遠ざけたかった。

 けれども、壁という限界がここにはある。もうどうにもできない、ただの人にはずらすことも破壊することも叶わないそのほんとうの壁。


「ニオイはするのに、この無限のドアを調べるにはどうしよう……」


 誰かの呟きが壁越しにくぐもって聞こえた。

 ほんの小さな囁きにも似た声だったから、誰のかもわからない。それ以外にも話声があったけれど、もうただの声でしかなかった。


 ダイアナだろうか? また助けに来てくれたのだろうか。


 それとも、私は粛清されるのだろうか──知っている者から消すという手法で。



 恐怖よりもさらに上の感情があることを知った。それを和らげようと恐怖が寄り添ってくれることが心細い気持ちをなだめてくれるということも知った。


 身体はずっと震えが止まらない。


 時計の喊声をどれくらい聞いただろうか。

 馴染みのない爆発音が耳に入ってきた。

 


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