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ハウル・アンセスター  作者: ありき かい
第一章  真実
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8.

 アメリカ国内某所


 ずっと車中に居るままの気分。

 静かなハンドルさばきで、車で移動しているとも思わないほどだった。

 でも、固定されて座らせられていたおかげで、その感覚が抜けることがない。いまだに移動している気分だった。


 というのも、首に刺激──ほんとうにあれがなんだったのかはわからない。攻撃とも違うような気もする──を受け、夢うつつだった。

 夢の中だと思いたいとしたいような、でもこれが現実だと知っているから睡眠の中で居たいような欲求はしばらく抜けることがなかった。


 そうやって逃避していないと、次に目を開けたらどうなるのかわからない状況だからだ。

 現在居る場所がどういったところなのか、どうして私が連れ去られたのか。

 何もわからない。


 フランスでのことに関係があるのだろうか。

 映画のように、瞬時に把握して脱出を計ろうとはできない。

 常人でしかない私に何ができよう?


 パニックにならないように整理をしていられるのは、ビクトリア朝様式の建物の一室、たぶんこれは前室でずっと座らされているからだった。


 外庭のような場所があるのか、近くに学校でもあるのだろうか。

 子どもの声が静寂に支配された室内を小さく満たしては引いてを繰り返す。そのまま、しんと静まり返っている時間もあって、ここがどこなのかが検討もつかない。

 頭が回らないまま移動させられて、催眠術のように座らせられた。館内を覚えることも眺めることもできなかった。


 また、この部屋にも近場にも時計というものが見当たらない。

 針を持つ時計が奏でる音も、デジタルが囁く声も聞こえてこない。

 普段の私にはとってもありがたい場所ではあるけれど、こんな時は心細くなってしまう。


 こんな状況だというのに、暢気に腹時計が緊張をほぐそうと鳴っている。

 私は緊張を外には出せないし、また緊張すればするほどに胃腸なのか脳の司令塔が誤作動を起こして胃を満たそうとしてしまう。


 そんな私の腹の音に構いもせずに、入ってきたドアとどこかに繋がっているドア近くに二人の年若い者が座っている。

 一人は頬にカミソリを使っての小さな傷があったから男だと言い切れる。

 もう一人は、性別が不明だった。少年のようにも思えるし、心の性別に従おうとしているのか隠そうとしているのかはわからないけれど、声を掛けたり誰かに話すときが大変だなと思った。

 名前を知れたら良いのにな──そう思ったとき、どこかに繋がっているドアが開いた。



「調いました。どうぞご入室ください」


 人工的なトーンと声、元々のブロンドをさらにブロンドにさせたような髪をシニヨンした女性がそう声を掛けてきた。


 何が整いましたなのだろう? と思う暇もなく、ドア前待機をしていた二人が立ち上がり、私の傍にやって来て腕を取り立たせた。私のペースを考えずに歩いて行く。


 入った部屋は奥行きも広さも十分にあるのに、楕円形テーブルとそれに合わせた椅子しか家具はなかった。

 それも数人しか座っていない。空席が目立つ。

 その空席にシニヨンの女性が座ることなく、彼女は入口近くにある同じ椅子に座る。引っ立ててきた二人はほとんどドアと言ってもいい場所に立った。

 私は椅子を勧められることなく、テーブル近くに立ったままだった。


 誰も言葉を発しない。


 セシル記念病院を聞いてきた老紳士とくすんだブロンドの男性──性別不明にも思えるけれど男性だとわかる──が眺めている。

 二人はたぶん、上座に座るような人物なのだろう。奥の方に座っているし、世界基準で簡単に言うと奥側が上座だとネットで見たからだから間違っているかもしれない。


 でも、そんなことよりも私はテーブルにあるものが気になって仕方がなかった。


 湯気が上がっている。計算されたクタクタ感がある野菜に、形がわかる程度のじゃがいもとにんじん。ハーブも入っているのだろうなと感じるやさしい匂い。その匂いを追いかけてくるかのようなチキンの香り。

 スープ皿は熱を逃がさないようにマトンにくるまれているのか、石か何かが下に敷かれている。


 こうして湯気立つスープを客観的に観察していないと涎を垂らしそうになる。

 それでも喉を鳴らしてしまった。

 お腹はテーブルの前に立った瞬間から鳴っている。不規則な感覚で主張をする。鼻から流れ込んでくる匂いの正体を胃で味わいたいと言って。



「少々、強引なエスコートで来ていただくことになったが、快適な滞在になるように心づくしをするつもりだ。なんでも言ってくれたまえ。ただ──強引な点に関しては、必要な手続きを踏むには時間が惜しいほどの社会情勢だからだとしか答えたくない。わかってほしい」



 老紳士は台本を感情を込めて読んでいるかのように言った。

 わからないとしても、わかっているふりぐらいはしろ、ということだと思う。


 そんなことよりも私はスープに目を奪われている。

 まるで最愛の相手、それも今生を逃せば来世でまた巡り合えるかどうかも定かではない相手みたいに。


「ええ、まあ。人以外にもカテゴリが増えましたもんね。それでこそ人間という言葉がしっくりときますね。……ああ、ごめんなさい。日本語がでてきました」


 適当に言葉が滑り落ちた。

 我慢しきれない胃が締め付けてくる。

 今生で出会った最愛の相手に近づけない苦しさを叫ぶような声を上げている。


「ケイ・ササキ。日本国籍。出生同様に育った国も日本。ただ、育った場所が様々なようだね? あまり地名には詳しくないが、短期間で離れたりある場所に長期間留まったりとしているように思うのだが。日本は単身赴任が盛んな国で、一家総出で動くことは稀だと聞いている。職業柄の関係もあるだろうが、この短期間は家族の誰かだけが動けば良かったのでないだろうか」


 私の脳がぴたりとスープから関心を遮断させた。

 くすんだブロンドの男性が言葉にした意味を咀嚼する。

 くすんだブロンドの男性から一つ空けて座っているサングラスをした恰幅の良い女性もこちらの返答を待ち望んでいることがなんとなくわかった。


「祖父の都合だったので。教育信念があったのでしょう」


 聞かれたらまずはこれを答える。

 私の世代は祖父母が昔気質だからと言えば、次の関心に移るか競い合うかのような苦労話になる。それを学んでからは随分と楽になった。


 何故、両親と暮らしていないのかと聞かれ過ぎた。その都合ではないのはどうしてなのか、とも。

 答える術を知らない頃は、押し黙っているしかなかった。それが気に食わない相手──大人も子どもも等しくそうだった──は、境界線を張った。


「ふむ。それでか」


 老紳士が納得したような声を上げる。

 サングラスをした恰幅の良い女性は開きかけた口を閉じた。

 くすんだブロンドの男性は何かを見透かそうとした瞳でこちらを見ている。


「次の問いにお答えいただければ、食事にしよう」


 お互いに座りながら、きさくなお喋りに興じていたかのような雰囲気を出して、くすんだブロンドの男性は言う。

 貼り付けられた笑みがどうにも、嫌な気分になる。

 街中で襲われた相手だと思う老紳士の方が好ましい。感情を昂らせやすいからこそ、台本通りに初対面と会話をすることを学んだような点と、なんだかダイアナに似ているからだというだけ。

 くすんだブロンド男性は、本能が拒む手前だった。


 私を裏切るように胃は絶叫した。

 そのおかげで室内には笑いが満ちる。

 でも、脳と胃がバラバラになってしまった私にはどうでも良かった。

 くすんだブロンド男性が放つ質問を待ち構えて、ひたすらに見つめた。


「キミは一体、何者なんだ?」




定期時間以外の更新ですが、ご容赦ください。

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