7.
AM 11:00
緊迫した状況が続くヨーロッパ中。
そこを本拠地としているのか、“アビリティーズ”と思われる集団とそれを騙った非道な行いの数々。
国連として緊急で暫定的になされた条約──これは表向きだと国民にだってすぐにバレるだろうが、国としてはそれでも発表しないよりはマシだろうという思いが隠れている映像。
アメリカとしての“アビリティーズ”への対策。
今まで違った方面での活躍を期待していた集団を、今回の先鋒部隊としての育成を上手く軌道修正しているような撮り方の情報映像と続いた。
昨日、政府ニュースが流れるまでに政府から配布された映像配信にはこういった映像が入っていた。
私にはそれだけで充分、世界が変移していく様を見せつけられている。
お腹いっぱいだ。
布団に潜り込んで惰眠を心ゆくまで貪りたい。
私の脳内をかき回して、さらに洗濯機でぐるぐると回転洗浄されているかのようだった。フランスでのことを思い出させるには充分な映像でもあった。
溢れかえった感情を寄せ集めて、それを別の感情でせき止めても決壊してしまう。
人々は恐怖から、人と人外の区別なく襲い掛かっていた。
いまだに死者の数は正確ではないものとして特集やネットでは語られている。被害者が恐怖という感情から集団になって、人外否定主義者や共存という一種の宗教のような囲いの中で暮らす選択をしている。
私もダイアナに出会っていなければそうなっていたかもしれない。
言葉にしていくと九死に一生のような一瞬一瞬だったけれど、スローモーションで流れていくような時間とこびりついた恐怖のニオイと感覚はどうにもできない。
日本に帰国し、もしかしたら人外否定主義者としての小説を出しているかもしれない。そんな活動をしているかもしれない。
思い出から目を逸らせるように、ダイアナに電話をする。
アメリカにしばらく滞在するにあたり、呼び出しルールを決めた。
ワンコール鳴らしてから三十秒後に再度、鳴らす。留守電に繋がったら切る。
緊急時はそれを無視して鳴らす。緊急時の取り方も一応は、決めた。
メモ魔の私は、ルールブック一冊がすぐに出来上がった。
なかなか電話に出ないダイアナを心配するのは、小説や映画の読み、見過ぎだろう。
三回試しても出る様子がない。仲違いのせいだからではないだろうし、ランチタイム前後は仕事が重なり合うという世間の常識を忘れていた私のせいだ。
「やあ、ケイなんだけど……その、ちょっと気が付いたことがあって……ご飯でも一緒にどうかなって。連絡くれると嬉しいです」
留守電──ボイスメッセージを吹き込んで、昨日出された政府からのニュースをネットで繰り返し、見る。
こう簡単に言葉で表しにくい、気持ち悪さの友人とでも言うようなものがあった。
何かが気になる。
報道官と傍に居る、補佐官だとか秘書官だとかの人ではなく、黒服や新設された部隊? ぼんやりとしか理解できない部署の人たちが気になるのだ。
気温差があって、窓が曇るように、歯がゆくなる。
窓の向こうは何かの店なのか、インテリアにこだわった家や事務所なのか、それがわからなくて戸惑う瞬間の気持ち。
その部署の人々の動作、仕草、表情が、勤務に実直に当たる者だからというだけではない、何かがあると思ってしまう。
言葉を見つけようと何度も見る。
強迫観念の域に入ってもおかしくないくらいに。
ぐっと握りしめていた携帯電話が振動した。タロウからの着信だった。
「ケイたん! 聞いて、聞いて! マンガの最新刊が! 日本で発売だって! どうすれば手に入る? ぼくの代わりにテンチョーになっててくれる? ちょっと買ってくるから!」
「割高の航空券で? 店長の仕事って、タロウからの引継ぎもなかったら店もオーナーも私も大混乱だよ? 送ってもらえるようにするから落ち着いて」
興奮気味のタロウに私の心が落ち着いていく。
日本語と英語のちゃんぽん。それによってたろうがどれだけ好きなマンガの最新刊が読みたくてたまらないのかがわかる。私も昔、古本屋で買ったアメリカコミックの原書を読んで英語を覚えようと必死になった。
「マジかよ! マジでうれしい! ケイたんがこの世に生まれてきてくれたことを感謝しないとオレに明日は来ない!」
「大げさだって。ケイたんを止めてくれたら、ご飯を奢ってくれるだけでいいよ。でも本代はきちんと欲しいけど」
「いやいや、運送代も謝礼も出すって! 航空代分は出すつもりなんだし」
「いつもタロウには世話になってんだから、これぐらいはさせてって。ご飯を奢ってくれたらいいんだから」
あまりの喜びように、ちょっとだけどう対応するべきかとまごつく。
「とりあえず、返事があったら連絡するからね」
「マジありがとう! どこでも好きな店に連れてったやるよ! あの、切る前にさ……」
頼もしさから一転して、歯切れが悪くなる。すぐにピンとくる。
「なに? もしかしてロレインも誘った方が良い流れ?」
タロウはもごもごと言葉が舌を絡ませている。
接点のない相手が気になる状況というのは、藁でも縋りたくなる。私も何度もそんな経験をしてきた。縋る相手を間違えていた思い出でもある。気が付けば周囲の人々から後ろ指を指されたりとか。
「自分でデートを誘ったりする方が絶対、キマるしどんな結果でも納得がいくんだけど……その、共通の話題に乏しいからどうしてもケイが居ればって思うんだよ」
「ブックストア・シェルフによく行くって言ってたけど? 古書も新刊も豊富だし、ネットに頼らずに買い物を楽しめるからって」
「マジ? オレも月一で行くんだけど!」
「うん、だから知ってると思ってた」
「よし! 今日から毎日通う!」
そう言って電話を切ったタロウ。どこか微笑ましく感じて、ネットを閉じて原稿を書くために準備に取り掛かろうとした。
「──リジ―・バンクスさんがアメリカに帰国されました。00年代に血液検査の新しい切り口を見出し、各界に賛否両論を巻き起こした氏が今後何を語ってくれるのか? 本日20時のジュリー+シュリ―をご覧あれ!」
ネット配信がおすすめを推してくる。
リジ―・バンクス。どこかで聞いた名だ。
それこそロレインが言ったのだろうか? ダイアナ?
映った人物には見覚えがない。
そう考える暇もなく、笹木さんからの電話で中断させられた。
「窓口せんせ! どこまで僕の好みに刺してくるんですか~!」
お世辞を叫んでくる笹木さんの声に被さって、キャッチの音がする。でも、長距離電話の相手を遮るのは気が引けて、後でと思った。
その電話が緊急だと、人である私にはわからなかった。