0
その日、誰もが何も起こらないと思っていた。
魔女も吸血鬼も何よりも人に紛れこんでいる人外たちですらも。
術の結果も、経験から導き出された空気も、人間たちが放つニオイや心が発する振動も、それは穏やかな一日であると思っていた。
まさにうってつけの草花も寝静まった深い夜……ではなく、澄み切った大空の下でのことだった。
生い茂る芝を刈り取るように、だからと言って威勢よくするのではなく、少しずつ整えていくかのように。ただ人ではないという理由で命の灯をかき消されていった。
指から離れてしまった風船を見送るような形で、少しずつ。
ただ人にとっての好機であり、それ以外にとっては最大の不運でもあった世界大戦は一気にそれを為した。
誰もが人ではない存在に変わってしまったような世の中で、くすぶる炭はすべてを、この地上のあらゆるものを焼き果てたかった無念を嘆くかのようだった。
その温度は触れるものに伝染させることで無念を和らげることができると信じていた。
その時、一人の老女が歯をむき出しにして、満身創痍状態だというのにも関わらず、ひたすらに走っていた。
だけれど、少し盛り上がった土に足を取られてしまい、目指す先に向かうことが叶わなかった。
どこからともなく、命を貫き終わらせるための道具が飛んできた。目が限界まで広がり、片手は目指す先に近づこうと伸び、脚はその想いを表していた。
再度、同じ道具が飛んでくると老女は道具の出発地点に首を向けた。
「忘れぬぞ。そのことがお前たちにとっての幸運だと思え」
その言葉を地上に遺した老女の瞳は、哀しみに染まっていた。
裏切られた哀しみなのか。
それとも同族が存在しなくなった哀しみなのか。
肩を寄せていた魔女や魔術師への哀悼なのか。
疎ましながらも、じゃれ合いの時間を過ごした吸血鬼への追悼なのか。
何もかもを覗かせないかのように、悲哀の色で覆い隠してしまっていた。