9 ダイナー2 繋架の反論
ウェイトレスが、コーヒーと伝票を置いていった。
繋架は、コーヒーにミルクが混じり合い、変わってゆくさまを見ていた。
繋架は先ほどの言葉の意味を考えていた。
不動博士は自殺していた。
既に博士は人では無かったので、Nは博士の首を切断できた。
前提がひっくり返る。
これに基づいて、事件を再解釈するとどうなるのだろう?
まず、Nは不動博士がカッターで自殺しているのを発見した。
Nは職員を閉じ込め、そのカッターで不動博士の首を切断した。
その結果何が起こったのか?
――Nが博士を殺害したと錯覚した。
なぜ首を切断したのか?
――博士の自殺を隠蔽する為に。
なぜ職員を閉じ込めたのか?
――職員に疑いが掛からぬように。
密室内に残された、Nと博士。
自分の首を、カッターで切り離して自殺する事などありえない。
ゆえに誰も博士の自殺は疑わなかった。
確かに筋道は立つ。
しかし……。
「……疑問があります」
八起は頷いた。
「Nに存在するもう一つの安全装置です」繋架は続けた。「この推論では、Nはセキュリティサーバーに侵入し、扉をロックし、さらにはログを書き換えた事になります」
「当然の帰結だね」
「しかし、これらは不正アクセスではないでしょうか?これに関しては、やはりブラックボックスが使われたのでしょうか?」
八起はコーヒーを一口だけ飲んだ。
「満夏主任が言っていた安全装置だけど、ソースを見たわけではないから、その仕様は分からない。けれど、自分ならどう実装するかを考えたんだ」
八起は胸ポケットからペンを出し、伝票の裏に「人」と書いた。
「一つ目の安全装置、『人に危害を加えてはならない』 この命令はどのようにプログラムすれば良いだろう」
「プログラム……、ですか?」繋架には専門外だ。「相手はAIなのだから、会話で伝えては?」
「それは人間に『人を殺してはいけません』 と言うのと同じだよ」
「では……」
「Nの上位レイヤーから、明示的な命令を与える必要がある」八起は、伝票をくるりと繋架に向けた。
繋架は伝票に書かれた「人」の文字を見た。
「つまり人の定義を、プログラムする必要がある」
繋架は考えた。
人の定義……。
二本の足で直立し、手が二本あって……、いや、手足が欠損している人間もいるではないか。それに精巧に作られたマネキンや猿はどうだ?
外見的特徴から、人間を定義する事は例外が多すぎるのではないだろうか?
人間の分類。ホモサピエンス……、ヒト科……。
いや、これではトートロジーだ。
人を人たらしめるもの、それは一体……?
……何も出てこなかった。
「不動研究所は非常に巧妙に、人のクラスを定義していた。それは科学、倫理、哲学にまたがる大テーマだ」再びコーヒーを飲み、八起は続ける。
「では2つ目の安全装置『不正アクセスをしてはならない』だ。これはどうプログラムすれば良いと思う?」
「これは……、『不正』を定義する必要がありますね……」
「無いよ」意地悪く、彼の口が吊り上がった。
「そんな事、必要無い」