6 捜査会議2 慈満夏
再び時刻は昨晩まで戻る。
警察の到着後、慈 満夏は事件対応に忙殺された。満夏は不動研究所の主任研究員である。事情聴取の後も、朝まで帰る事が許されなかった。
満夏はAIについて、基礎から説明しなければならなかった。
そもそも、前提知識が無い人に、専門分野を説明するのは難しい。
AIと聞き、産業ラインで働く溶接ロボットを想像する人もいれば、将棋ソフトのアルゴリズムを想像する人もいるし、SF映画のアンドロイドを想像する人もいるのだ。
警察は、Nを前にしても、そのアイデンティティを信じれず、「何者かが遠隔操作をしているのではないか」などの的外れな質問を何度も繰り返した。
帰宅が許可されたのは、東の空が白み始めた頃だった。
帰宅後、満夏は倒れるようにベットに突っ伏した。
体は疲労感で全く動かないのに、感情だけが出鱈目に昂ってしまう。
言語化される前の原始的な感情――。漠然とした不安や後悔、突発的な衝動などが、沸き上がってはかき消され、脳の奥が断続的に痺れていた。
満夏は意識の喪失と、曖昧な覚醒を繰り返していた。
身体は重く、空気と皮膚との境界が溶けるような感覚だった。
遠くから電話の音が聞こえてくる――。その音に引き寄せられるように、満夏は肉体と、脳が再接続されてゆくのを感じた。
スマホを見た。
時刻は昼前だった。
電話の主は目隠を名乗る警察官。
Nについての解説の依頼だった。
何かに集中すれば、余計なことを考えなくて済むかもしれない。
満夏は依頼を承諾した。
時刻は18時。
場所は不動研究所の会議室。
満夏は捜査員達の前で、Nの解説を開始した。
――AIと身体との関係性。
説明の為、ヘレン・ケラーを例に挙げた。
視覚、聴覚に障害があった彼女は、世界と言語を結びつけることが出来なかった。
彼女が、初めて物と名前の関係性を理解したのは、水に触れた時であると伝えられている。
水に触れる、重力を感じ立って歩く、ごちそうの匂いを嗅ぐ、愛する人と肌を重ねる。
我々が高度に抽象化させ、発展させたコミュニケーションを理解するには、身体性が欠かせないのだ。
Nの身体。
1辺が50cm程の立方体に、金属の手足。
人間の感覚器官を模した各種センサによって、人と同じように周囲の状況を判断する事ができる。
立方体の内部で処理するのは入力データの整形のみで、頭脳にあたる演算はサーバーで行われる。リアルタイムに演算を行うには、研究所10階分もの演算能力が必要なのだ。ゆえにNは研究所のネットワークから出られない。研究所の中で作られ、研究所の外では生きられない。
質疑応答が始まった。
「Nの頭脳、思考はどのように分析するのか」
鋭い質問だ。
満夏は正直に「分析出来ない」と答えた。
AIが学習し、積み重ねた経験をもとに下す判断。
それは質的、量的に分析が不可能なレベルまで飽和している。
条件を変えた入力に対する出力。AIの思考は、行動から類推する事しかできない。
我々人間の思考、感情、記憶……。それらを吸い出し、分析する事は現在不可能である。同様に、Nの頭脳、思考は既に分析出来ない。
――ブラックボックス化しているのだ。
質問者は「中国語の部屋のようだ」と述べた。
別の質問者が手を挙げた。
「事件を未然に防ぐための、安全装置は無かったのか?」
痛いところを付かれた。
Nには確かに2つの安全装置が存在した。
1 人に危害を加えてはならない
2 不正アクセスをしてはならない
今回の事件では、そのどちらも破られた。
事件後、Nの安全装置を確認したが、不思議なことに安全装置が書き換えられた痕跡は無かった。それなのに、事件は起こってしまったのだ。
「Nは何らかのバイパスを用い、安全装置を突破したと考えています。しかし、Nの内部は高度化・複雑化したブラックボックスの為、その詳細は分かりません」
我ながら、言い訳めいた物言いだと感じた。
質疑はその後も続いた。
満夏個人を責めるようなニュアンスの質問も少なからずあった。
だが、満夏は最後まで主任研究員の役割を演じきった。嘘を貫き通した。
満夏は思った。他人から見ると、私は論理的な人間に見えるのだろうか。
だかその内側はどうだ?
脈絡のない感情の塊ではないか。