4 探偵登場
10月の空を、厚く低い雲が覆い、雨が近い事を予感させた。
東京から千葉方面に急行で1時間弱。何もない丘陵地帯を抜けた先に、真新しい巨大な建造物が立ち並ぶT市が出現する。
T市は、大学関連施設や、研究所、実験施設が集まる学術都市だ。
人工的に作られらた都市。住民は少なく、地域に息づいた生活感は感じられない。
T市を一直線に分断する6車線の道路を、一台の軽自動車が走っていた。
助手席からボソリと声がした。
「架橋さん、帰ろうよ。僕は気が進まないな」
これで何回目だろうか、ハンドルを握る繋架は苦笑いを浮かべた。
架橋 繋架は探偵協会の営業だ。
担当地域の営業はもちろん、最適な探偵の選定、探偵と依頼主のサポート、報告書の作成が彼女の業務内容である。
昨晩、殺人事件が発生した。
事件現場は不動研究所。
AIの基礎研究において、世界をリードする研究機関であり、その分野に明るくない繋架でも、名前は耳にしたことがある。
殺害されたのは、所長の不動不転博士。
人工知能の壁と考えられていた数々の難問を解き、天才の名を欲しいままにした研究者である。
5年ほど前、繋架が大学に在籍していた頃、博士がノーベル賞を受賞し、TVでの報道が過熱していた時期があった。報道の内容は覚えていないが、博士の印象ーー、意志の強さが皴に刻まれたような、近寄りがたい老人。それだけは不思議と消えずに残っていた。
不動博士を殺害したのは、研究所のロボット「N」。
凶器はどこにでもあるカッターナイフだった。
Nは研究所の扉をロックし、職員を自室に閉じ込めた。その後、博士の首をカッターで切り殺害。遺体の首を切断した。
犯行後、Nは自ら警察に通報。警察の到着後、ロックを解除し職員を解放した。
不動研究所は、セキュリティシステムによって、職員の行動が記録されており、事件の全体像は概ね解明されていた。
問題はNがロボットであることだ。
現在、刑法の適応範囲は人間を想定しており、ロボットに対する規定は存在しない。
さらにNの頭脳が問題になった。Nの頭脳、つまり演算装置は不動研究所のサーバーに存在している。
Nは研究所の外では生きられないのだ。
警察はNを逮捕拘留するための法的根拠がなく、専門家の判断を仰ぐ事が可能な翌日ーー、今日まで現場維持に努めた。
連絡を受けた繋架は、様々な探偵の中から、適任の探偵を選び出した。
七転八起、通称プログラマ探偵。
「町田市フォーマット事件」、「殺人コンピュータウィルス事件」など、プログラムの知見を生かし、数多くの難事件を解決してきた探偵である。
それなのに……。
繋架は助手席を盗み見る。
八起は窓枠に肘を掛け、窓の外を見つつ、10分ごとに「もう帰ろう」などと言うのだ。灰皿は既に一杯で、吸い殻の量は彼の不満を表している様だった。
繋架は彼の不満の原因を推理した。
1 今朝、連絡を入れた際には、上機嫌だった。
2 捜査資料を送った際も特に気付くべき点は無かったよう思える。
3 昼、T駅での待ち合わせ時には、既に気乗りしない様子だった。
4 そして現在、研究所に近づくにつれ、不機嫌になっている。
心変わりの原因は午前中にあったようだが、それ以上はさっぱりわからなかった。自分に不手際があったのだろうか? 人の感情も、推理小説のように、すっきりと筋道が立てばどんなに楽だろう。
そんな事を考えているうちに、サイコロを思わせる巨大なコンクリートの立方体、不動研究所が見えてきた。
繋架は密かに安堵した。
時計を見ると、時刻は15時を少し回ったところだった。
捜査会議には、十分間に合いそうだった。