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手を離した彼ら 2

『ナナエ!』

 それは風。意思を持つ風。尊ぶべき、世界の意思の一つ。

 精霊。

 目の前の光景を疑ったのは一人二人ではない。この場にいるすべての人間が驚愕に目を見開き、慄いた。

 次々に現われ、ナナエを守るように取り囲む精霊たち。衛兵を立ち退かせ、ナナエ以上に大切なものはないという態度で、彼女を気遣っている。

 驚愕は困惑と混乱を誘い、焦慮と恐怖を齎す。

「大丈夫よ」

 精霊たちが心配する声に混じって、聞き慣れた少女の声が鼓膜を震わせる。つい先程聞いたような苦しげなものではなく、慈しみ溢れた温かな声だった。

 魔術師たちが一斉に血の気を引かせ、エッセルトも冷や汗を掻き始めたのに気づいたネネルラが問おうとしたところで、グライゼンとフィーズも身を強張らせた。気を読むことの出来ないトナーのような者でも、すぐにその理由を察することが出来た。

 自分たちのいる空間が、異変に震える。

 ナナエの前の空間が歪み、現れるのは精霊の中で最も力を持つ存在。それぞれが自らの属性を示す色彩と光輝を纏いながら、その美貌には痛みを堪えるような表情が浮かんでいる。

 精霊王。

 古代記でしか知ることの出来ない存在を前に、人間たちの思考は停止した。自分たちよりも遥かな高みに身を置く彼らの会話を、誰が遮れるだろうか。

 光と闇の精霊王が差し出した手に縋り、ナナエが立ち上がる。

「もう行こう。――バランス崩れちゃうんでしょ?」

 彼らが去る。硬直している我々を尻目に、ここから消える。謁見の間にいる全員が察した。

 自分たちは何をしたのだろうか。何を間違えたのだろうか。何を選んで、何を捨てたのだろうか。

「待ってくれ!」

 リャクスウェルが声を上げる。彼の言う通り、ナナエが精霊と交流があるという、その事実を知っていたなら、今回の捕り物は実行されなかった。況して伝説の精霊王と関係があるなどと知っていたら、救世主だろうがそうでなかろうが、国家を上げて尊崇されるべき人物とされていたはずだ。

 マイラジノの王宮が行ったことは、精霊王の加護を得る人物を蔑ろにしたこと。傷つけ、貶め、苦しめたというだけのこと。

 誰かが息を呑む。自分たちのしたこと、その取り返しのつかない重みを悟って。

「ナナエ……っ」

 ネネルラが叫ぶ。ナナエは振り向くこともせず、呼ぶなと言う。

「きゅ、救世……っ」

 トナーが縋るように呼び名を変えるが、それも切り捨てられる。

 ここに連れてくる前まで、彼女の方が握ってくれていた絆の糸が、完全に切り裂かれたことを理解しないわけにはいかなかった。

 それだけのことをしたのだと、グライゼンは声も出ない。エッセルトも口を震わせるのみだ。

 何故あの時、少しも疑問に思わなかったのだろうと、今更どうにもならない後悔の念が押し寄せる。ナナエと一緒にいたのは一年にも満たない月日だが、あの時彼らが信じたのは、ナナエよりももっと短い時間しか会っていない少女だ。一緒にいたなどと言えないくらいの短い時間しか見えていないのに、何故彼女の言だけを受け入れて、ナナエの話を欠片も聞かなかったのか。

 自分たちの声には視線を動かしもしないのに、肩に乗った精霊には優しげな眼を向ける。その行動を見て、討伐隊の面々は傷ついていた。明らかな親疎の別。共に苦難に立ち向かった仲なのに、と。その関係を放棄したのは彼らの方からであるにも拘らず。

そして何らかの会話の後、精霊たちだけが浮かれたような空気になり、ナナエが慌て始める。

 精霊王たちの纏う空気が真剣なものになり、幾許もしないうちにナナエが声をかけると、再び謁見の間の空間が歪み、ナナエの前の中空に闇が浮かんだ。

 そこから現われたのは、半透明で向こう側が薄く透けている、変わった格好の少年だった。

 ナナエを目にした瞬間、飛び掛るように抱き締める。

「篠塚っ!」

“シノヅカ”なる響きは、この場で初めて聞いたものだ。にも拘らず、少年はナナエのことをシノヅカと呼び続け、彼女の方も当然の如く受け答えしている。

 ナナエはこの世界の住人と共にいる時、一度も元の世界に関する身近な話をしなかった。国のあり方やどんな道具があったか、どんな生き物がいたかなどは口にしたが、自身の生活や家族など親しい者たちに纏わることは一切口にしなかった。

 明確な内と外の線引き。踏み込ませることをしなかった領域。

 境界線を跨げるまで近づいていた距離は、既に今の自分たちとナナエの立っている場所よりも遠く隔たれていた。

 まるでその事実を突きつけるかのように、彼らとの間には風の結界が施されている。

 生半な力では、近づくどころか声さえ届けることは出来やしない。それでなくとも精霊王の術、干渉が可能なはずも許されるはずもない。

 ナナエが少年に口づけを受け、尚且つ抱き締められたまま抵抗らしい抵抗をしない様を目にし、リャクスウェルは焼け付くような嫉妬を感じた。

 自分が彼女に迫り、幾度か許してくれた抱擁は、言葉を一つ二つ交わした時間だけで解かれていたのに、今二人は当たり前のように長い間抱き合っている。ナナエが自分に乗り気でないのは察していたが、ここまで大きな違いを見せ付けられることなど予想もしていなかった。

 少年に向ける熱っぽい視線が自分に向けられることは、ただの一度もなかった。

 リャクスウェルが唇を噛むと、傍らから叫ぶ声が聞こえた。

「いつまでも人を待たせて、何様なの? ちょっと、いい加減にしなさいよ!」

 リャクスウェルが初めて見る、険しい表情のセイコだった。

 それはそうだ、セイコはまだ、召喚されてから四日しか経っていない。知らない顔などあって当然だ。なのに、リャクスウェルには途轍もない違和感が生じた。



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