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「ナ、ナナエ……っ」

 縋るように呼びかけてきたのはネネルラだ。唯一旅仲間で同性であったから、仲良くなれたと思っていたけれど、実際は違ったのだ。

「もう私の名前を呼ばないで」

 私はネネルラに顔を向けることもなく言い切った。

「きゅ、救世……」

「偽者なのでしょう。その呼称は私のものじゃないわ」

 トナーの呼びかけにも顔を向けることはしない。

 だって、いらないのだから。

 私にも彼らにも。お互いの存在はお互いに不必要なもの。

『ナナエ』

「うん、何?」

 肩に座って頬に触れてきた樹の精霊に目を向けると、あのね、と続けた。

『ナナエはきれいだけど、人間だから、一人だと寂しいでしょ? アタシ前に聞いたの思い出したんだけど、ナナエ好きな人向こうにいたんでしょ?』

『そう言ってたね! あのね、闇の精霊王様が解放されたからね、もしかしたら喚べるかも!』

 よべる?

『ああ、そうだな。自分だけではまだ力が足りないが、精霊王たちに協力してもらえれば喚べると思う』

 シュバルツにまでそう言われ、心が揺れた。会えるなら会いたいと、常々思っていたからだ。だからと言って彼をこの世界に召喚してしまっては、彼からも世界を奪ってしまうことになる。しかも彼の気持ちなどお構い無しなのだ。

 私はゆるゆると首を振る。

「いいよ。そんな勝手なことして、彼に嫌われたら……」

 それこそ、生きていけなそうだ。

『では その子に、聞いてみたら どうかしら? 喚ばれる積もりは、あるかって』

 水の精霊王の言葉に、他の精霊たち全員が賛成をした。外野である人間たちを放って大分盛り上がっている。

「え、ま、待って……」

『ナナエ、その人間の名前は?』

「え、甲斐勇人かい はやと君だけど……あの」

『ナナエっ、アタシたちナナエの好きな人見れるの楽しみっ!』

『楽しみーっ!』

 戸惑っている間に、精霊王たちは術の構築に入ってしまったようだ。真面目に集中しているのに、邪魔をするのは悪いだろうと思いかけて、そんな場合ではないと思い直した。

「ちょっ、みんな待ってってば……!」

『喚んだぞ、ナナエ』

「えっ!? 早っ」

 界渡りの術なんて難しすぎるものを、こんな短時間で発動させるとは流石は精霊王、と感心しそうになるが、やはりそんな場合ではない。

「ねぇ、どうやって聞くの!? こっちに召喚してしまったら還すの物凄く大変なんでしょう!?」

 一人焦っている私を尻目に、精霊たちは興奮し、精霊王たちは空中のある一点を見つめてしたり顔だ。

 じわり、とその部分に黒い闇が広がり、空気中を染みのように広がっていく。

(嘘、どうしよう……っ、本気なのみんなーっ!)

 失敗しないかな、とほんのちょっとだけ期待したが。

 すっと半透明のものがそこから転がり落ちた。

『来たーーーーーっ!!』

「うおわっ!?」

「っ!」

 上がった悲鳴が待ち望んでいた人の声だったので、私は咄嗟に人形のように大人しくしていた地の精霊を抱きしめていた。腕の中で、んふーっ、と満足そうな声が聞こえたが、頭を撫でるまでの思考は働かなかった。

 金茶色の短髪に、藍色のピアス。少し日に焼けた、男らしい精悍な顔立ち。穴の開いたダメージジーンズにVネックの白いシャツとジージャン、バックル部分に模様が入った、年季のいった革のベルト。草臥れて薄汚れたごついスニーカー。

 半透明だけど、彼だった。

 甲斐勇人。

 母の再婚で引っ越すことになった小学校三年生のときまで、幼稚園からずっと同じクラスで、高校一年生の冬に始めたコンビニのバイトで再会できた、私の初恋の人だ。

 生来の彼の茶色い瞳が、こちらを見た。

「……甲斐、く……」

「篠塚っ!!」

 素早い動きで立ち上がった彼は、半透明の体でガッと私の両腕を掴んだ。その勢いと強さに、びくっと震えてしまう。

「お前っ! どこに行ってたんだ! 失踪したとか、馬鹿なこと言ってんじゃねーよ! 俺とシフトだった日から行方不明なんて、俺何かしたか!?」

 思いも寄らない疑問を呈されて、私は取り敢えず一生懸命に首を横に振った。

「怪我はっ!」

 首を振る。

「誘拐されたのか!?」

「ちが……いなくなったのは、事故で……」

「やっぱ怪我してんのか!」

「し、してない……っていうか、甲斐君」

「ああ!」

 眉間の皺が深く大層怖い顔ではあるが、視界一杯に映る甲斐君にドキドキしながら、震える声を何とか喉から絞り出した。

「今の状況については、何か……」

「ああっ!? 状況!?」

 甲斐君はそれまでの勢いを維持したまま、初めてグルッと首を巡らせた。力の入った手は解かれることなく、私の両の二の腕を圧迫中だ。

 空中に浮いたまま見物している精霊たちに、彼の背後に立っている人外の美貌の精霊王たち。更に離れた位置には、三十人は下らない人々がいる。すべての視線はこちらに集まっていて、衆人環視とは正にこのことだろう。

「……何だここ?」

 そっぽを向きながら呟いた甲斐君だったが、再び私に向き合うとまた眉間に皺を寄せて凄んできた。

「そんなことより、篠塚! 帰るぞ!」

「え、無理……」

「何でだよ! さっさと帰って、おばさん安心させてやれよ! ついでに俺に付き合え! お前を探すのに歩き回って、スニーカー一足履き潰したぞ! 信じらんねぇ、この馬鹿っ。俺をこんなに心配させやがって!」

 そう言って甲斐君が私を抱き寄せるものだから、私の頭は沸騰した。

 ぎゅうっと抱き締められて、半透明なのに温度と感触はしっかりあって、匂いまでしてくる。汗をかいているみたいで、シャツからは汗のにおいと湿った感触がした。

「か、甲斐く……」

「何やってんだ、馬鹿ヤロウ。まだ何にも言ってねーのに勝手に消えやがって……! チャリだけ残して消えるとか、拉致されて殺されたかと思ったじゃねーか……っ!」

 日本だって物騒なんだかんな……!

 と、甲斐君は私の肩に顔を埋めるように抱き締めてくる。

 甲斐君が本気で私を心配してくれていたことが分かり、不謹慎にも嬉しさが込み上げてきた。靴を一足駄目にするくらい探してくれていたなんて、母でもしていなさそうなくらい真剣に探してくれていたのだ。

 今ではただのバイト仲間に過ぎないのに、大事に思ってくれていたのだと思うと、胸が締め付けられて涙が零れそうだ。

「篠塚……っ!」

『う、ぎゅーっ、もう駄目っ、く、る、し、いー!』

「はっ!」

 抱き潰されそうなほどギュウギュウに力を込められて私は痛いけど嬉しかったのだが、自分が抱いていた地の精霊を失念していたようだ。胸の辺りから篭もった悲鳴が聞こえてくる。

 緊急事態である。

「甲斐君、甲斐君! あの、ちょっと、地のコが潰れちゃうから……っ」

「あ? ツチノコ?」

 弛んだ拘束に、私は慌てて一歩下がる。

「ごめんね! 大丈夫!?」

『ハーっ、苦しかったーっ』

 ぷはぁっ、と盛大に息を吐き出した後、地の精霊は私の手の上で何度も深呼吸を繰り返した。風や光や闇の精霊だったら、苦しくなった途端にその身を解いて別の場所で再形成すればいいのだが、水や地や樹の精霊は一応物質的な性質を持っているので、簡単に消えたり溶けたり出来ないのだ。火の精霊だったら甲斐君が火傷してしまうので、精霊が苦しむ前に甲斐君が私ごと放り出していただろう。人間に挟まれて、尚且つこの場が人工物に囲まれた場所であったから、精霊の力も制限されて上手く逃げられなくなってしまっていたわけだが、外であれば特に問題はなかったはずだ。

 恐らく、精霊史上初の息苦しさ体験者になったのだろう、この地の精霊は。

「本当にごめんね。もう平気になった?」

『うん、平気ー!』

 こちらを見上げて楽しそうに笑っている地の精霊に、ホッと息をつく。

「……篠塚?」

「何?」

 地の精霊との見詰め合いを終えて甲斐君に視線を合わせると、彼は私の手の上で寛ぐ地の精霊をこれでもかと凝視していた。

 眼を飛ばす、の見本のようだ。

「……それ、何だ?」

「精霊だよ。このコは地の精霊。大地のエネルギーが集って、意思が発生したコ」

 この世界の自然エネルギーがそれぞれ集い、濃くなり、凝縮した上に意思が宿り始めた存在が精霊である。更にその意思が強くなると共に、引き寄せるエネルギーは豊富になり力が精錬される。それを長い年月積み重ねてきた存在が、精霊王と呼ばれるようになるのだ。

「精霊……?」

「うん、今私たちがいるここはね、所謂ファンタジーって奴なんだよ」

 甲斐君は尚も暫く地の精霊を凝視していたが、私の顔を見て、その後ろに浮かんでいる精霊たちをそれぞれ見て、もう一度周囲のすべてに視線を巡らせると、私を正面から見てピタリと止まった。

 刺激が強かったのだろうか。

 信じられないのだろうか。

「………………」

 無言のまま、とても難しそうな顔をしている。

「あの、甲斐君」

「篠塚」

「うん」

 大丈夫かと聞こうとしたところを遮られたので素直に返事を返したが、また黙ってしまった。口を開きかけると、

「そいつ、ちょっと下に降ろせるか?」

「え? うん」

 真意の分からない言葉だが、一先ず言うとおりに行動する。潰しちゃってごめんね、と謝罪しつつ、そっと地の精霊を足元に下ろした。地の精霊も浮けることは浮けるのだが、やはり地面に接している方が好きらしい。

『ナナエ、謝んなくていいよー』

『そうだよ、面白かったよー』

 この場にいた精霊全員が、先程の地の精霊潰され事件を気に入ったらしい。他の属性の精霊たちまでやって欲しいと願い出てくる。しかも、後で自分もしてくれ、と精霊王たちまでが申し出てきたのは、予想外にも程があった。

「わかった、後でぎゅーって……」

「おい、篠塚」

 保母さんになったような気分で精霊たちに対応していたら、放置してしまっていた甲斐君が痺れを切らしたらしい。若干不機嫌そうな声音で私を呼んでいる。

「あ、ごめ」

 ん、まで言い切る前に、何故か、また抱き込まれてしまった。

(ひぃ~~~っ!?)

 先程は再会したてで感情が高ぶっており、甲斐君の勢いに押されていたからドキドキしつつも嬉しいなどと喜んでいられたが、精霊たちを相手にして気持ちが落ち着いてしまった今では、このようなスキンシップは恐れ多いこと限りなく、ときめく以前に緊張でどうにかなってしまいそうだ。

 実際、私は冷凍マグロのようにカチカチだ。なのに、体は熱くて、顔はもっと熱い。

「か、かかか、甲斐……」

「あいつらが、お前を召喚したとかって話か?」

 あいつら、と彼が睨みつけているのは、玉座方面である。前に述べたように、マイラジノ王家の人たちと宰相、聖子と護衛の面々が立っている。

「召喚……もされたみたいだけど……っ」

「なら、あいつら潰せばお前帰って来れんだろ?」

 緊張で上擦った声で返せば、どうしてそんな結論に至ったか謎な断定を受ける。

 無理です。

「え、あの何でそんな話に……」

「ファンタジーな異世界っつったら、勇者召喚だろ。魔法使い畳んでやるから、どいつか教えろ」

 残念ながら魔法使いに該当する人は、彼が睨みつけている玉座方面からは少し左下にずれた場所にいる。それにしても、ファンタジーな異世界には勇者の召喚が定番だったとは、寡聞にして知らなかった。

 しかし私の場合、どこの誰に掛け合っても元の世界には帰れないのだ。

「甲斐君、あのね、私帰れないんだ」

「ああ?」

「この世界の召喚術ってね、“限定空間外からの条件該当者の引き込み”って言う感じなんだよ。だから、この世界の魔術師は誰一人、召喚した者を還せる人はいないんだよ」

 召喚術は、魔力保有量が多く、操作技量の優れた魔術師にしか使えない、難易度の高い術なのだ。基本的に一人で出来る人間はおらず、大体は三~五人程度の国一番くらいの魔術師が数人で組んで、魔術の円陣術式を描いて行われるものである。

 これは対象を絞る為の様々な条件を付けた術式を使用し、“どこか”から該当者或いは該当物を力づくで引き寄せる代物だ。結構な荒業で、魔術師たちの力が及ぶ限りに於いてだが、世界の枠組みを超えてただ奪取するという、これまた非人道的な術である。

 召喚術はただ呼び寄せるだけのものであり、送還術なるものは人の世界に存在しないのだ。

 ちなみに、召喚術と召還術は別物である。前者は今説明した通りのものだが、後者の召還術は真名と血液の情報が有ってこそ出来る術で、こちらの場合は喚び寄せることも元の場所に戻すことも可能である。邪霊討伐隊の面々が受けた帰還方法だ。

「限定空間がどうたらこうたらって、つまりどういうことだよ?」

 眉根を寄せて私を見ながら質問してきた甲斐君に、どう言えばいいだろうかと小首を傾げる。

「えーと、つまり“ここ以外にあるこれこれを引き寄せる”っていう術で」

 甲斐君は百八十近い身長なので、視線を合わせる為には見上げなければならないのだが、この距離でそんなことをしたら顔が近すぎて喋れなくなるので、彼の鎖骨を見ながら思考を巡らせる。

「えっと、例えば……。小船の上から、海のどこかにいるはずの“赤い魚”を釣りたいとするじゃない? でも、海は広くて深いからどの辺に何がいるかは分からない。だから、その“赤い魚”以外には反応しない……うーんと、鮫型ロボットを釣り糸の先につけるの。……で、それを海に落とす」

 鮫型ロボットの所で甲斐君にブッと噴出されて恥ずかしかったが、敢えて先を続ける。

「釣り糸に限界はあるけど、足そうと思えば足せるから、鮫型ロボットが“赤い魚”を見つけるまで放っておく。鮫型ロボットには“見つけて、捕獲”しか機能がなくて、“赤い魚”を発見したら食いついて離れないから、そこを釣り上げちゃえば“赤い魚”が手に入るんだよね」

「そうだな」

「釣り上げた人たちは、釣れて初めて“赤い魚”の実物を見るの。この場合、大きさとかは関係なくて、ただ“赤”くて、“魚”であればいいわけ。欲しかったのは“赤い魚”だから」

 相槌を打つ彼をそっと見上げて、鼻の辺りまでいって視線を落とす。

「……釣り上げた人たちは、その“赤い魚”がどこを泳いでいて、どこに棲んでいたかなんて知らないし、分からない。だから、もし“赤い魚”を海に戻すことになっても、棲み処には還せないのよ。海は広すぎて、深すぎて、“赤い魚”の棲み処はピンポイントすぎて分からないから、放り出すくらいしか出来ないの」

「………………」

 伝わらなかったかな、と心配になったが、術式の構成がどうとか空間の掌握理念だとかを説明するよりは分かりやすい例えになったと思うのだが、自信はあまりない。

「釣り人は、魚を釣るだけなんだよ、甲斐君」

 だから、召喚された人は元の世界には還れない。ただし、これには例外がある。

 精霊王である。

 世界そのものの力を持った存在であるからか、精霊の力は人智の及ぶところではない。その最上級の力を有した精霊王ならば、召喚された人を元の世界に戻すということも可能なのだ。本来の力を取り戻した闇の精霊王であれば単体での送還術も出来るが、先程甲斐君を召喚したように他の精霊王たちの協力を仰げば、今の状態でも送還できる。ただし先十ヶ月は体を保つことも出来ないほどに消耗するらしいのだが。

 けれどそれにも例外がある。それが、私の帰還できない理由だ。

 彼らが還せるのは、世界と世界が直接繋がった場合の召喚術で喚びだされた召喚者だけで、私のように、“狭間”を彷徨っていた人間を送還する術はこの世界のどこにも存在しないのだ。

「……何だよそれ。じゃあ、お前もう帰ってこれないってことかよ」

「……うん。純粋にこの世界にただ召喚されただけなら、精霊王たちが還すことも出来たんだけど、私はちょっと特殊で、方法がないの」

「特殊って何が」

「私、この世界の召喚条件に合致したから喚びだされたわけじゃなくて、最初に偶々世界の亀裂に落ちちゃったから、向こうの世界から消えちゃったんだよ。だから、向こうから消えたのと、この世界に来ちゃったのは別の問題で、その間に“世界の狭間”にいたのが原因で、還そうにも精霊王たちにはどうにも出来ない要素が私に染み付いちゃっているみたいなの」

 ありとあらゆる世界・物質・空間の裏側の、無限。精霊王たちの言に依れば、精霊や世界よりも尚“上”の存在にしか干渉の能わない領域らしい。

『そう、ナナエは我等にもどうにも出来ない高位の勢力圏を通過してこちらに来た為、我等如きの力では還してやることは不可能なのだ』

 甲斐君との会話でほぼ傍観者に徹していた精霊王たちから、初めて声が上がる。最初に口を挟んだのは生真面目そうな火の精霊王だ。

『たとえ闇の精霊王が完全に復活しても、ワタシたちの力をすべて合わせても、ナナエを還してあげることは出来ないんだよ』

 その次はどこか蓮っ葉な物言いの風の精霊王。

『ナナエがこちらの世界に召喚されることが出来たのは、必要な召喚条件をすべて持ち合わせていた上で、尚且つさらに高位の能力を有していたからだ』

 次にはどこか誇らしげにこちらへ笑いかけるシュバルツで、それを受けて樹の精霊王が明るく頷いてみせる。

『ナナエは、ボクたちと同等か、それ以上の潜在能力を開花させているよ。でも、だからってわけじゃなくて、ボクたちみんな、ナナエが大好きなんだよ』

『儂らの力及ばぬは致し方ないこととして、納得してもらえれば幸いじゃ』

 年寄り臭い話し方を好むのは地の精霊王で、おっとりと上品に微笑んだ水の精霊王がゆったりと喋る。

『わたくしたち、精霊一同、ナナエの為に 尽力するのは、当然のことと 思っているわ。だから、元の世界には 還してあげられないけれど、絶対に、幸せにしてあげたいの』

 彼らの想いに幸せを噛み締めていたところ、最後に爆弾発言を落としてくれたのは、光の精霊王だった。

『だからな、ナナエを幸せにする為にお前の意思を聞きたい。――“カイハヤト”、お前はそちらの世界を捨てて、ナナエの為だけにこちらに来る意思はあるか?』

「ちょっ、光の――っ」

 突然強制力を伴った問いを発されて、焦ったのは私である。彼らの発する相手の正式な名前を使っての問いかけは、真名よりは拘束力を持たないが、対象者に嘘偽りを許さない、答えを出すことを強いるものである。いきなり異世界に精神体だけとはいえ喚びだされて、諸々の事情を把握しろだなんて無茶な話だし、予想だにしていなかっただろう決断を迫るなんて、あまりに酷すぎるだろう。

「ある」

 私が発動した強制力を緩和する前に、甲斐君が答えていた。きっぱりと、躊躇なく。

 事態が呑み込めなくて、一瞬思考が停止したのは、この世界に慣れたはずの私の方だった。まだここに来て数分しか経っていない彼は、しっかりともう一度、同じ言葉を繰り返した。

「ある。こいつが帰れないなら、俺が来る」

 信じられなかった。

 何を言っているのだろう。

『そうか、よくぞ言った。まあ、答えなぞ見ていれば分かったがな』

 満足そうに頷く光の精霊王を筆頭に、他の精霊王も精霊たちも全員が同意を示しつつ頷きあう。

「な……にを、言ってるの、甲斐君」

「俺は、ずっとお前が好きだったんだ」

 見上げた先の近すぎる甲斐君の口から出てきた言葉に、私は更なる困惑と混乱を覚えて狼狽える。脳の言語処理能力が著しく衰えたようだ。理解が及ばない。

 私はどんな顔をしていたのだろう、甲斐君がとても困った顔をしている。

 ずっと、ずっと好きだった。

 幼稚園に通っている時から好きで、それが異性としての好意だったと気づいたのは、引越しをする小学三年生の時だった。

 告白なんて大層なものは考えもしなかったから、淡い初恋はそこで幕切れとなったはずだった。

 それから高校一年になってバイトを始めるまで、彼に会うことはなく、だからと言って他の誰かにときめくこともなく、ただ波風少ない日常を送ろうと苦心していた。

 再会して、まだ好きだと気づいて、どれだけしつこいのだろうと自分に呆れて、でも気づかれたくはないから、いつだってほんの少し距離を保って。

 再会直後に彼女がいることを知るまでは、淡い期待も抱いていたけれど。

 それでも些細な会話にときめいて、楽しくて、幸せで。

 馬鹿みたいな自分は、尚しぶとく彼を想っていた。

「俺、お前が初恋なんだよ、篠塚。他の女と付き合ったこともそりゃあるけど、どいつもこいつも変わんねーんだ。お前じゃないって。自分でもヤバイとは思ってたよ。何でこんなに執着するんだってさ。……ダチんちの叔父がやってたコンビニで、ヒザキナナエっていう同い年の女の子がバイトで入るって聞いたとき、すぐには分からなかった。篠塚じゃねーんだもん」

 日崎姓になった途端に彼とは会わなくなったから、バイト先で初めて“日崎七恵”として会ったのだ。

「でもお前が苗字変わったの思い出して、もしかしたらって思うといても立ってもいられなくなった。シフト入ってねーのにバイト先行って、顔を見て。篠塚だって分かった。けど、俺少しグレてっから、不良の格好してるだろ? 怖がられるかもって思ったら昔話なんてしたくなくなった。黙ってようと思ったんだ。なのにお前、俺の顔見てすぐに俺だって分かって、そのくせ怖がったりしなかった。もうそん時に、無理だって思ったんだよ」

 甲斐君が私の頬骨を親指で撫でてくる。その表情がやたら柔らかくて、呆然とした頭のまま、眼が離れなくなる。

「付き合ってた女を切って、煙草も止めた。チームに出入りすんのも止めて、お前に迷惑がかかんねーようにしたよ。そんでも、中々言い出せなかった。接点がまだバイト先でしかなかったし、お前の気持ちもはっきりは分かんなかったし、……自信無かったんだよな。それで二年とか、どんだけ二の足踏んでんだよって話だよなー」

 そこでふと、彼が意地悪そうな笑みを浮かべた。

「篠塚。お前、俺のこと好きだろ?」

「うん」

 よく考えもせずに間髪入れずに頷いてしまうと、甲斐君が虚を突かれたような顔をして、それから嬉しそうに破顔した。

「だよな? ここ来て、お前俺に抵抗しないからそうじゃねーかと思ったんだけど、やっぱそうか」

 抵抗。何か抵抗しなければならないことがあっただろうかと、首を傾げる。

 くくっと彼は笑った。

「アホくさ。もっと早く言ってりゃ良かった。――篠塚」

 不意に私と甲斐君の間にあった距離が零になり、唇が塞がった。それはすぐに離れたが、私はやはり、何が起きたかを把握することが出来ず、相変わらず甲斐君の顔をぼーっと見上げていた。

 とろりと甘いものを含ませた視線に、漸う頭が現実を見つめ始めた。唇に残る感触が何だったのか、段々と実感が湧いてくる。

「――あ……」

 自分の口から一音が零れ落ちた瞬間に、何故今まで静かだったのか分からない血液が怒涛の勢いで全身を駆け巡り、体中が熱くなったのを感じた。今の私は林檎のように真っ赤だと、指摘されずとも察していた。

(す、きって……好きって言った? 好きって言った……!? それで初恋!? 甲斐君が、私に……!?)

 それで、今キスしたのだろうか!?

 考えると、途轍もなく落ち着かなくなった。ぐるぐると頭の中がこんがらがって、結局どんな言葉も吐き出せずに、あ、とか、う、とかの意味のない音ばかりが漏れ出してくる。どうにも甲斐君を見ていられなくなって、顔を俯けて悶えようとすれば、それは彼の胸に額を合わせることになるわけで。

「篠塚」

 彼の、心臓が刻む音が、速い。

 私ほどではないけれど、こんな脈拍では健康診断で引っかかる、というくらい、拍動の間隔が短い。

 気づいてしまうと、確かめたくなった。

 彼の言葉が行動が、本当なのかどうか。

 そろり、と再び顔を上げれば、待っていたのは蕩けるような甘い視線と表情。上がった口角から、篠塚、といつものように、けれど熱っぽい声が私を呼ぶ。

「篠塚。好きだ。もう離してやらねーから、覚悟しとけよ」

 そうしてもう一度、優しい口づけが降ってきた。


「――ちょっと、いい加減にしなさいよ!」


 唐突に響いた少女の怒声に、私ははっと周囲の状況を思い出す。全神経が甲斐君に集中してしまって忘れていたが、この場は紛うことなき衆目の面前だったのである。


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