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初投稿です。あまりご期待くださいませんようお願い申し上げます。

 それまで生きていた世界を失い、新たな世界で築いた自身の価値も打ち砕かれ、何もかもがどうでもよくなっていた。

 手に入れたと思っていた絆はどこにもなく、すべてが打算だったのだと改めて気付いてしまえば、救ったはずのこの世界も人々も無価値に思えた。否、無価値なのは相変わらず自分なのだろう。

 前の世界でも、今の世界でも。

『ナナエ、泣かないで』

『ナナエ』

 囁く声はひどく優しく、凍り始めていた自分の心をそっと温めた。

 己の無価値を突き付けられた衝撃で暫し茫然としていたが、こんな自分を労ってくれる小さな存在に、ぎこちないながらも微かに笑んだ。

「……大丈夫、泣いてないよ」

 こんなことくらいで。

 そう言ったのに、こちらを心配そうに見る瞳は無くならず、むしろ次第に増えていった。

 連れてこられた広い謁見の間で、向けられていた数々の槍が戸惑ったように引いていき、同時に刺を持っていた視線も威力を失い、困惑と畏怖と驚愕が混じり始めていた。

 しかしそんなものは、今の私には全く届かない。

 何故なら、優しく温かい存在が、私を守るように囲ってくれているからだ。

「本当に、大丈夫だよ」

『ナナエ、ナナエ』

 小さな彼らは、次から次へと増えていく。皆一様に真摯な眼差しで、誰も彼もが私を気遣ってくれている。こそばゆい嬉しさに、当初の衝撃や痛みはあっという間に薄れ、自然な笑みが零れ落ちる。

「……みんな、有難う。大好きよ」

 そう言えば、彼らは喜色満面の笑顔を浮かべ、私の名前を幾度も呼びながら周囲を渦のように踊った。

 ナナエ。こちらに来てから呼ばれることの多くなった名前。あちらでは、苗字の日崎か、その前の篠塚で呼ばれることが多く、七恵という名前を呼ぶのは実母かその恋人である義父くらいだった。

 苗字が変わったのは小学校三年の夏だったから、篠塚であったのは九年だが、物心ついたのが三歳くらいだとすると、篠塚七恵を実感していたのは凡そ六年。こちらに落ちてきたのが十八歳の高校三年、九月の初めだったから、多分日崎として呼ばれたことの方が多かっただろう。

 しかし私は、日崎よりも篠塚の方が好きだった。

 試験の答案も、ポイントカードの申込書も、初対面の挨拶も“日崎七恵”ですることに慣れていたのに、いつまでも私は“篠塚七恵”が自分の名前だという気がしてならなかった。

 きっと、日崎姓になってから自分の存在が余計なものに思えて、己が確固としていられた篠塚姓を手放したくなかったのだろう。

 こちらに来てからも習慣として日崎を名乗ったが、どうやらそれは私にとって大変良かったらしい。

 何せ、王宮に連れてこられて知らぬ間に施されていた術が王家への束縛術――もっと悪く言えば隷属術――で、他国の益とならぬようにと為されていた術式には“日崎七恵”で刻まれていたのだから。

 自分を心の内では“篠塚七恵”だと認識している私にとっては、その束縛術は最初からほぼ効力を持たない代物ではあったのだが。

 本来その束縛術がどういう働きをするかというと、基本的に王家への絶対服従が強制され、拒めば術式に使用された対象の血液を通して身体的苦痛を与えるという、昨今の現代社会にてメディアの槍玉に挙げられること間違いなしの非人道的なものだ。私は元々束縛対象としては成り立っていなかったことと、どうしても嫌だと思うような無茶な要求をされなかったことから、名前の認識について差異があり、正しく術にかかっていないということは誰にもバレていなかった。

 とはいえ、救世主、救世主と持ち上げながら、何という真似をしているのだろうか。

 でも、きっとそういうことを押し通すのは極一部の人間だけで、その他の人々は大体優しい人だと思っていたのだ。

 第一騎士隊隊長のグライゼンも、その部下のフィーズも、魔術師団副団長のエッセルトも、宮廷医師のネネルラも、書記官のトナーも、――王太子のリャクスウェルも。

 少なくとも、邪霊討伐の旅に付き合ってくれた彼らだけは、縁も所縁もないこの世界の人間で、信頼できる己の仲間だと、信じていたのだ。

 邪霊の住み処である泰西の島で、首魁と会う前にバラバラになり、すべてを終えて、この王宮に戻ってくるまでは。

 邪霊の所為で天を覆っていた暗雲が晴れ、すっかり邪気が取り払われて本来の姿に戻った闇の精霊王と契約を交わして、四ヶ月かかった道程を三日で戻り、日が暮れて王宮門は閉まった後だったから、城下町で宿をとって。

 そこで、変な噂を耳にして。どういうことかと、情報を集めた。

 散り散りになっていた邪霊討伐隊の者たちは、魔術師団団長のオンジャクルの召喚術により、無事に全員が王宮に帰還したこと。本物の救世主が現われたこと。本物の救世主が現われた途端、長年の暗雲が晴れたこと。前の救世主が偽者だったこと。偽者は邪霊が遣わせた悪の手先で、本物を喚びだす邪魔をしていたこと。すべての人の目が覚めたこと。本物の救世主と王太子の結婚が決まったこと。

 ――本物の救世主って、誰。

 ――自分が偽者扱いされるって、どうして。

 意味が分からなくて、確認の為に姿を隠しながら王宮へ侵入した。夜だったから殆ど出歩いている人はおらず、見回りの騎士を避けつつ、仲間の許へ事情を聞きに向かった。

 運良く、彼らは一つ所に集まっていて。

 隠密の術を使っていた私に、エッセルトが真っ先に気付いて。

 挨拶の言葉を口にする前に、私の術をエッセルトが無理矢理壊して、グライゼンとフィーズが拘束してきて。ネネルラが衛兵を呼んで、トナーが王家の方々に報せを走らせた。

 困惑と不安と焦燥と恐怖に身を強張らせた私は、そうしてかつて仲間だった彼らに引っ立てられて、急遽召集された王族と大臣たちの待つ謁見の間に連行されたのだ。

 玉座には、恰幅のいい国王・セレンウェルが頬杖をついていて、その隣には王妃のキャスティアナが緊張した面持ちで座っていて、そこから一段下がった所には王女と二人の王子が王妃側に、そして、その反対側には私が初めてを捧げた王太子リャクスウェルと――義理の妹である、日崎聖子が立っていた。

 もうそれだけで、何もかも理解した。

 二度と会うこともないと安心していた聖子が、あちらでしていたように、また私の居場所を奪いに来たのだと。

 まさか世界を渡ってまで私の居場所を奪いに来るなんて信じられなかったが、勝ち誇ったように私を見下しているその顔を見れば、自分の成果に大層満足しているらしいことが分かった。

 ――あんたのものなんて何一つないのよ。あんたなんて必要ないのよ。

 そう、聖子の眼が語っていた。

 どうせ向こうの人に会えるなら、もっとずっと遥かに会いたい人がいるのに。

「罪人、ナナエ・ヒザキ!」

 かつての仲間から、お世話になった人たちから、少しでも好意を抱いていた人々から蔑むような非難がましい視線を受けて、とても胸が痛くなった。

 宰相とオンジャクルの口から出てくる、“偽者の救世主”の罪状。

 糾弾する声が方々から上がって。

 ――ああ、無理なんだな、と。

 失望した。

『ナナエ!』

 完全に心を閉ざす前、現われたのはこの世界で最も尊ばれる、世界中に満ち溢れながらも人間の前には滅多に出てこない、自然の具現体である精霊だった。

 二十センチくらいの人型で、頭の先から足の爪先まで、すべてが自身の属性で形成される精霊。 最初に現われたのは、乳白色の体に白目と虹彩のない銀色の目を持った、風の精霊だった。触れると、そよ風に吹かれているような涼やかな心地がするのだ。

 次に現われたのは火の精霊で、橙色の体に深紅の目を持っていて、何の術も使わずに触ると火傷してしまう。私は火のコに触るときは、いつも盾術じゅんじゅつで手をコーティングしている。

 その次は地の精霊で、煉瓦色の体に黒に近い焦げ茶色の目をしていて、柔らかい土と同じ感触をしている。肌に馴染む温度で、ずっと触れていると自分の体温が移るのだ。

 その次は光の精霊で、淡い金色の体に蜂蜜色の濃い目をしている。日向の匂いがして、いつもはほんわか暖かい。気分次第で静電気を纏えるので、怒らせるのは得策ではない。

 闇の精霊と樹の精霊は同時にやって来て、濃紫の体に漆黒の目を持つ闇の精霊がそっと私に触れると、いつだって強張る体は解れていく。さらりとした手触りは絹のようで、うっとりものだ。黄緑色の体に深緑色の目の樹の精霊は、ツヤ、とした頭とザラ、とした体で、うっすらと花の甘い香りや緑の爽やかな匂いがする。好きなときに自分の頭に花を咲かせて、それを時々プレゼントしてくれる。

 最後に現われたのは水の精霊で、水色よりも尚透明に近い色の体に、海のような深い青色の目をしていて、ひんやりとした温度を持っている。雨の日にはよく雨粒と同化して、私の頭に降ってきては一瞬だけ濡らして乾かすという遊びを楽しんでいる。

 精霊は個として全であり、全として個なので、どんなに遠くの地で起きたことでも世界中の同属性の精霊の共有知識になるので、とんでもない情報通だ。

 近場の精霊だけが集まってきたようだが、心配してくれている彼らの声は世界中の精霊の声も同然だ。

『ナナエっ!』

 偽者、でもなく、裏切り者、でもなく、はっきりと自分を呼んでくれる声に、閉じかけた意識が呼び戻された。

(温かい……)

 いつの間にか己を拘束していた兵は離れており、後ろの首に交差して置かれていた槍は消えていた。

 様々な精霊が乱舞する渦の中で、私はゆるゆると身を起こした。

 紗がかかったようにぼんやりとしていた視界が明瞭になり、七つの属性の精霊たちが懸命に私を慰めようとしているのが分かった。頭や頬を撫でて、肩に掴まり、腕にしがみつき、膝の上でこちらを見上げて抱きついている。その周りをまた集まってきた精霊たちが取り囲み、まるで一種の結界のようだ。

『泣かないで、ナナエ』

『ナナエ、消えちゃダメ』

 どこか切羽詰まったような風情を醸しながら言い募る彼らを認めて、徐々に心の氷が溶けだしていく。

(だいじょうぶ……、うん、大丈夫、だ)

 同じ言葉を口にも出して、触れてくれている彼らに感謝を籠めてこちらからも触れる。頬を摺り寄せて、頭を撫でて、笑顔を向ける。

 もう、精霊たちの向こう側なんて気にならなくなっていた。

 彼らは私を切り捨てて、私も彼らを切り捨てた。

 代わりに手に入れたのは、沢山の、小さくとも大きな優しい存在。

『ナナエ』

 深く染み入るような声が響いたと同時に、精霊たちが私の正面から少し身を引いて視界を開ける。

 ふわり、と中空から舞い降りたのは、地・水・火・風・樹の五大元素の精霊王たち。小さな精霊たちのように属性ごとの色彩を髪と目に持ちながら、より人に近い――と言うよりは人を超越した美貌を持つ、精霊たちの頂点に立つ存在だ。身長は人並みにあるが、体重はほぼ無い。

 その背後にまた、精霊王が二人舞い降りる。

『ナナエ、痛いか?』

『ナナエ、苦しいのか?』

 悲痛な顔をして、両極である光の精霊王と闇の精霊王が問い掛けてくる。

 邪霊となってしまっていた闇の精霊王は、長年の邪気に弱っていた為、光の精霊王に力を貸してもらっている状態だ。光の精霊王の肩を借りつつ、こちらに歩み寄ってくる。

「もう、大丈夫なの。有難う、シュバ。精霊王たち」

 契約しているのは闇の精霊王であるシュバルツだけなので、他の精霊王たちに名前はない。ちなみに、シュバルツはドイツ語で黒を表す。私にはあまりネーミングセンスはないのだ。

『すまない、自分が一番に駆け付けなければならなかったのに……』

 シュバルツはその秀麗な面差しを歪ませて、私の前に膝をつく。本調子ではないのに、わざわざ泰西の島からここまで、私を心配して来てくれたのだ。来た順番など関係なく、純粋に嬉しい。

「ううん、そんなことない。来てくれて有難う。本当は、ここで報告したら、城下町に落ち着いて、それからシュバを召喚しようと思ってたの。テレクの森は深いし、人もあんまり入らないから、シュバにはそこで療養してもらおうって思ってたの。他の精霊王たちも訪ねやすい要素が沢山あるし、小さいコたちも遊びやすいでしょう。こんな人間ばっかの所には間違っても来させるつもりじゃなかった。無理させちゃってごめん」

 邪気は、人間から発生する。永い時の中で積もり積もっていった人間の悪意や負の感情が、闇の精霊王に集まって染め上げてしまった為に、シュバルツは邪霊となってしまったのだ。浄化したばかりでまだ本来の力の五分の一も使えない彼――精霊に性別はないが、見た目が男に近いので――をこんな邪気の溜まりやすい場所に近付けようなんて、思ってもいなかったのだ。

 闇の性質には呑み込むこと・受け入れることが含まれる。だからこそ、邪気も受け入れてしまい、自我を失うほどに染められてしまう。

 今も、辛そうだ。

「私は大丈夫だから、もう行こう。みんなも。ここにいたら、バランス崩れちゃうんでしょう?」

 膨大な力を有する存在がこれでもかと私の近くに集まってきているのだ。中てられる生き物も出てくるだろう。

『うん、行こうナナエ』

『ワタシの聖域に行くかい?』

『ナナエ、ナナエ』

『ボクの聖域でもいいよ』

 シュバルツと光の精霊王が差し出してくれた手を取り、立ち上がる。と、既に意識の外にいた外野の人間から声が上がった。

「ま、待ってくれ!どういう……何故精霊王様や精霊たちがいらっしゃるんだ!?私は聞いていないぞ!」

 その声は、一時は私を愛していると囁いていた男の声だった。

 もうちょっとだけ低くすれば、私が唯一会いたいと願ったあちらの世界の人にとても似ている声。きれいな金髪ももう少し茶色ければ彼の髪色にとても似ていたのに。

 私は彼に似ている所があるからリャクスウェルを気にしていたので、あちらから愛を囁かれる度に罪悪感に駆られていたのだが、離れ離れになって一週間もしない内に聖子に靡いてくれたので、負い目はもう一欠けらも感じなかった。

 リャクスウェル・クーレダン=マイラジノ。この国マイラジノの王太子。

 多分、こんな長い名前はそのうち忘れるだろう。


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