堕天使とは
まだ、涙だけだ。
本体は、汚されていない。
アンドラーシュはそう判断し、妹天使に近づいた。
つまり、兄天使から、遠ざかった。
「待て! 彼女はもう駄目だ、わたしのあるじだけでも早く救ってくれ、頼む!」
わたしは、もう、もたないんだ、と。
絶望にかられて、満身創痍のガーディアンが叫ぶ。
彼女はもう駄目だ。
その言葉の意味を、近づいてみて、アンドラーシュも悟る。
彼女は、みずからすすんで、涙を与えていたのだった。
「だって、かわいそうなの、ここにいる者たち。とても、飢え渇いているの。あたしの持ってるもので、すこしでも、安らぐなら、あげたいの」
アンドラーシュは青ざめて、説得を試みる。
「きみひとりの涙など、たかが知れている。一時の慰めにしかならない。ここにいる魔物すべてにさえ、行き渡らないだろう。涙が枯れたら何を求められると思う? その血だ、肉だ、それで全部食われてしまうならまだ幸運だ。きみはそれまで持ちこたえられない、早晩きみ自身も、魔物に変身してしまう」
それでも、妹天使は、首を縦に振らない。
「ここにいる」
かぶりを振って、そう繰り返すばかり。
「わかったろう、そいつはもう駄目なんだ、ぼくを助けろ!」
兄天使が叫ぶ。
妹に対して、なんと、非情な。
アンドラーシュは、眉をひそめて兄天使を一瞥。
「たのむ、わたしのあるじを……わたしは、もう……もたない……」
ガーディアンの表情に、声音に、さらなる悲痛が滲む。
アンドラーシュはなおも妹天使に向かい、手を差し伸べる。
「この手をとってくれ。助かりたいと願ってくれ。でないときみを、救えない」
「レスキュー!」
アンドラーシュの背に、罵声に近い叫びが突き刺さる。
兄天使と、そのガーディアンの、絶叫。
妹天使は、しかし、アンドラーシュに、背を向けた。
「……ここにいる」
そう言って。
そのとき、天界の上官から、アンドラーシュに指令が。
「兄天使を連れて、帰還しろ」
同時に、叫び声がまた上がった。
「レスキュー!」
今度は、兄天使の声のみ。
魔物の絶叫が、それに重なる。
魔物の絶叫は、それまで兄天使を必死に守り続けていた、ガーディアンのものだった。
もう躊躇も、猶予も、ならなかった。
アンドラーシュは兄天使のほうへ取って返し、一転、魔物と化し兄天使へ牙剥くガーディアンを一刀両断。
兄天使の胴を乱暴に抱え上げ、天界へと一息に駆け上がった。