1話
目が覚めて、自分が自分じゃなくなってたと言ったら、いったい誰が信じてくれるだろうか
頭がおかしくなったとか思われるのか?
そもそも理解してもらえるのか?
…まあ、いきなりこんな事を言っても、きっと誰にも分からないだろうな、状況を確認しながら話そう
俺は公立S高校を中退した阿呆、名前は…まあ俺の名前はこの際どうでもいいだろう
年は19で性別は男、趣味はヒーロー番組を観ることで、特技は…一応レスリングで全国大会に行った事かな、初戦敗退だったけど…
…うん、思い出してきた
それで、俺は確か、ちょいとした揉め事で高校を中退したあと、毎日バイトをして過ごしていた
…ニートじゃなかったハズだ
まあそれで昨日(昨日?)もバイトに行ってたんだ
特殊なイベントも何も無い、いつも通りの日だった
いつも通りに働いて、いつも通りに帰って、いつも通りに寝た…ハズだった…
それが…どうしてこうなる?
目が覚めてから、自分が水の中で浮かんでいるのが分かった
最初は寝ぼけてるのかと思ったが、肌に当たる水の感触は、確かに現実の物だった
気がついてからは早かったよ、眠気が吹き飛んで、自分が『いつも』とは違った状況にいる事を理解したから…
それと同時に、このままだと溺れるって焦ったね、結果的には溺れる事はなかったけど
その時に気がついたんだけど、どうやら俺は水中で呼吸が出来るようだった
信じられないかも知れないが、いや、人間としては信じちゃいけない事なんだけど
それから次に、自分の体の異変に気がついた
まるで体の中に原子炉があるみたいに、無限に湧き上がってくる力
頭の中に浮かんでくる俺が知るはずの無い情報の数々
そして極めつけは、人間のモノじゃない、比較する事すらおこがましいと思えるような黒く、光沢のある装甲を纏った体だ
どれもが寝る前とは…俺の『いつも』とはかけ離れていた
そんな状況で混乱した俺は、少々ヒステリックになりながら、とにかくそこ(水中)から出ようともがいた
――ちなみに、この時の俺は目の前の視界が開けている部分、そこにガラスなんかが存在しない事にも気がつかない程に動揺していた――
しばらくして、ようやく正面の視界が開けている所にガラスが無い事に気がつき、若干のヒスを残したまま、俺はそこを恐る恐る覗き込んでみた
するとそこには、一つの古びた木の机と、おびただしい数の本が散乱しているという、書斎のようだが、大きな図書館の一角のようにも、お伽話の魔女の部屋のようにも見える、そんななんとも言えぬような、だがどこか奇妙な部屋があった
しかしながら、どこか狂気めいたその奇妙な光景が、何故だか俺を落ち着かせ、冷静さを取り戻させてくれた
そうして落ち着いた俺は、自然とその正面の光景にむかい手を伸ばした、まるで体がそうする事を覚えているかのように動き、手を伸ばした
すると意外にも、何の抵抗も無く腕が水を突き抜け、外気に触れる…と、同時にそこから水が全て外に流れ出た
床に散らばって本を押し流し、一気に部屋の端まで流れ出る水の姿は、まるで巨大なダムに開いた穴から流れ出る流水のようだった
あと、水が流れ出た事で浮力を失い、ようやく地面を踏みしめた俺は、その場を出て自分の居た場所を確認した
するとそこは、部屋の壁と少し融合していてる、植物の根のようなモノが絡み合った場所だった
天井と床から木の根が絡み合ったように伸びていて
ちょうど俺の体がすっぽりと入る隙間が、その根のようなモノにあいていた、ココに俺が入っていたのか…
この時、俺は非常に落ち着いた状態で混乱していた、落ち着いた状態で混乱すると言うのもおかしな話だが、とにかく冷静に混乱していたのだ
何故俺が手を出すまで水が流れ出なかった?
何故この空間には見慣れた機械類が一つもない?
いやその前にここどこ?
何故…何故…
そう、頭の中が『何故』で埋め尽くされる
俺はとりあえず情報が書いていそうで、さらに濡れていない本を探し、勝手に拝見させてもらった
そこに書かれている文字はまったく知らない文字だったのだが、この体になっているせいなのか、意味が頭に浮かんでくるので本は問題無く読めた
しかしその本には、およそ常人と呼ばれる者には、とても理解し難い…いや、理解したくない事が記されていた
…もしも、もしもこの本に記されている事が正しいとするならば、どうやらここは俺の居た『世界』と違うみたいだ
更にぶっちゃけてしまえば、ドラクエやFFのような剣と魔法のファンタジーな世界らしい、こんな非常識な状況じゃなければ厨二病患者の書いたノート、もしくは新しく発売される新作RPGのあらすじなんだと決めつけてやるんだがな
だが、ここまででこのノートに書かれている世界観についての事はまだいい、問題はここから記されていた事だ
…コレを書いた人間は既にこの場所を離れ、遠い南の地に行ったようだが、正直その人は狂っていると言わざるをえない
まず、この世界では、モンスターや人間に『レベルアップ』の概念があり、更にモンスターに限り、一定のレベルに達し条件を満たすと『進化』までするようだ
そしてこの本を書いた人間は『人類という種』を、全てにおいて凌駕する生命体に、つまり究極の新人類を自分の手で造りたかったのだと記されている
そしてこの体を造る為に色々な非人道的な実験をしたのだろう、4つの大きな本棚を埋め尽くし、床を埋め尽くすまでに散らばっている異常な数の実験記録がそれを物語っている
俺はその実験記録の一つを手にとり、それを読んでみた
………この世界は、機械などがまったく発展していないかわりに、魔法など、俺の知っている限り『ファンタジー』に分類されるような物が発展しているようだ
人がケガをし、病気になっても魔法で直してしまう、そんな世界だと、さっき俺が読んで本には書いていた
そしてそれを読んだからこそ、俺には余計にこの実験記録が異常なモノだと解る
何故なら、この体を造る時、生きた人を切り開き、虫の細胞を埋めたと記述されていたからだ、人の体を切り開くなど…ましてや細胞を取り扱う技術など無いハズのこの世界で、だ
俺はそこで実験記録のページを捲る手を止め、自分の体をもう一度確認した
甲虫の装甲を人の体に縫い付けたかのような体だ、顔は見れないが、恐らくは醜い顔になっているのだろう、視界が、小学校の時理科の時間に見た昆虫の複眼のようになっている事からもそれが予想できる
俺は実験結果と書かれた本を手にとり、それを読む
それによると、どうやら『俺』を造る時に星の数ほど多くあった問題点は全て解決し、究極の生物兵器自体は造れたみたいだ、だが、被験者の魂…心が実験中に壊れてしまっていた為この体は動かず、どうしようもないのでこの体とこの場所を放棄したようだ
…なら何らかの理由で俺の魂がこの体に憑依した…とでも言うのだろうか?理不尽な話だ
が、その時はとにかく情報が欲しかったので、俺は文句を垂れ流しながらもその場にあった俺の体に関する本を全て読んだ
…どうやら人の体を基本に、蜘蛛の糸を作る器官や飛蝗の脚力、蜂やサソリの毒、カブトムシの装甲と力、トンボの飛行能力とノミや蚊の吸血能力、そしてゴキブリの生命力など、昆虫の長所の全てを持ったのが俺の体らしい
まだまだ他の昆虫の遺伝子が体内にあるようだが、大きく目立つのはそれらだった
確かに腕からは糸が出るし毒針も出る、体の装甲もカブトムシの物なら納得だ、背中からは大きな羽根が2枚生えてる、いや、4枚か
人の体が基本なのは人の頭脳を持たせたかったからか?
―今の自分の姿が見たい―不意にそう思った俺はその部屋の鏡を探し、今の自分の姿を見た
…そこに映ったのは怪人と呼ぶのがふさわしいだろう化け物の姿だった
見えなかった顔もはっきりと見えた
額には一本、枝分かれのしていない角があり、それは俺に海外のカブトムシを連想させる
目は黄色く、よく言えばウルトラマンと言ったところだ…視界が複眼じゃあなく、もっと生物らしくない目だったら本当にウルトラマンの目みたいなんだがな
口にはクラッシャーのような顎こそあるが、歯は常にむき出しで、形はサメのそれより遥かに鋭い
いきなり『いつも』とはかけ離れた状況になって、俺はまだ混乱していたのだろう、俺はその時、どこか自分が夢の中にいる気持ちだった
そんな夢心地の状態で、俺はこれからの事を考えていた
これからどうするのか、どうやって生きていくのか、元の世界に戻れるのか、そもそも戻ってどうするのか、これは夢じゃないのか――
……そうして自問自答していく内に、俺はある一つの答えに行き着いていた
もしも本当に俺が究極の生物になったんだったら、この世界で俺に出来ない事なんて無いだろう
この世界に俺より優れた生物は居ないんだから
この世界で俺を縛れるルールなんて無いだろう
この世界に俺より優れた生物は居ないんだから
この世界で、俺は一番自由な生き物なんだろう…だったら…だったら…
俺は…理想の存在になろうと思う
元の世界で『いつも』を繰り返しながら思っていた、理不尽な目に遭うたびずっと思っていた
どんな“力”を持った人でも、自分の為にしか使わない、例えその力が『権力』でも『財力』でも『武力』でも…結局は人を蹴落とす為にしか使わない、そう思っていた
そしてそう思いながらも、俺には何も出来なかった、所詮高校中退の俺に出来る事なんて無かったんだ…
だが今、俺はこの世界で一番優れた生物になった
なら俺がするべき事は一つしかないだろう
これはもしかしたら長い夢なのかも知れない…それでも俺は構わない、今ここで何かが出来るなら、これが夢でも構わない
俺はこの世界で【ヒーロー】になれる
子どもの頃に憧れ続けた
いると信じて疑わなかった、この歳になっても夢中だった…そして……テレビの中にしかいなかった
理不尽とすら言えるような力で、理不尽な悪意を討ち滅ぼす
そんな、強くて優しい、ご都合主義なヒーローになれる
これを人が聞いたら、偽善者と罵られるかも知れない、嘲笑われるかも知れない…
でも、そういう事を理由にして、何もしない事が良いことの筈がないだろう
今の俺の体に関する情報が本物なら、俺が持つ力は、とてつもなく凄い力だろう
なら使い方を間違ってはいけない、正しく使わなければいけないだろう
間違っちゃあいけない、俺が間違えると、俺を止められる生物は居ないのだから
この日、俺はヒーローになろうと思った