第七話
―――繭子が言った言葉の意味を、最初は全く理解できなかった。
(子供・・・ができた?)
予想外の言葉に、由緒はぼんやりと彼女を眺めていた。
しかし、また辛そうに唸る繭子。それで、今度は由緒も事態をきちんと理解する。
彼女を気遣い、背中に添える手に思わず力が入っていた。
(俺の、子供が・・・。)
繭子が無気力だったのも、食欲不振だったのも、原因はこれだったのか――――
隣ですうすう、と寝息を立てている彼女を見やって由緒は思った。
もちろんものくろのことも気がかりだろうし、それだけが原因ではないのだろうけれど、実体の掴めるような原因があったことで由緒は胸の閊えが取れたような気がした。
まだ、妊娠検査薬が陽性だっただけなんだけれど―――――繭子は言っていたが、その検査薬の箱には『99%』と大きく書かれていたから、まずもって間違いないだろうと由緒は思った。
――――――ひとつ問題があった。
実は、由緒は繭子に言えないでいたことがあった。
由緒は、・・・・子供にまったく興味がなかった。というより嫌悪感すら感じていた。
あの、うるさくて、自分勝手で、おまけに自身のことすらまともに維持できない生き物が世界に存在していることが理解できなかった。
当然、自分の子供なんて考えたこともなかったし、だからこそ毎回必ずとまではいかなくとも、割と避妊も心がけていた。
それなのに―――――。
「まあ、・・・いいか」
由緒は呟く。
明日は有給を取ることにした。すでに会社には連絡済みだったし、繭子を産婦人科に連れていく予定だ。
明日になれば、きっと色々とわかるだろう。――――――どうするか考えるのはそれからでいい。
そう思い、由緒は眠ることにした。
正直、寝て起きたら自体は好転しているんじゃないかと冗談半分に考えていたくらい、由緒にとってはどうでもいい、まるで他人の問題のよう気持だった。
自宅から一番近い産婦人科は、車で10分ほどの距離にあった。
3階建のピンク色の外壁。ステンレス製の入口の扉は、小さな正方形の磨りガラスがいくつか不規則にはめ込まれている。院内に入るとクリーム色とモス・グリーンの2色のソファーに、壁紙は外壁と同じピンク色。病院にはあるまじき色彩に思えたが、「小さいお子様にはこういう色の方が落ち着くんですよ」と受付の女性は答えた。出産後も定期的に来ることになりますから、と続く。
繭子は確かに妊娠していた。24週目に入っていた。
お子さんは非常に順調に育っていますよ、と担当医は笑顔で言った。
繭子はとても晴れやかな顔をしていた。がんばって、元気な赤ちゃんを産むね、と言った。
しかし――――――由緒は、重苦しい気持ちだった。
予備知識があったのでわかってしまったのだが、24週はもう『中絶』はできない。
由緒は、それも選択肢の内の一つだと考えていた。
もしかしたら彼の中では最右翼だったかもしれない。
『問題はどうやって繭子に納得させるか』、そんなことまで考えていた節があった。
当てが外れた。というより、いきなり追いつめられた気分だった。
・・・・なぜ、もっと早くに気付かなかった!
悔やんでもしょうがなかったが、それでも自分の愚かさにイライラした。
おまけにどうしようもない怒りのような感情が生まれていた。・・・・繭子に対して。
―――――妊娠4カ月になるまで気が付かないなんてどうかしてる!何を考えているんだ!!、と。
しかし、そんな感情は彼女に知られてはいけないような気がして、由緒は何とか平静な顔をして、
「二人でがんばろうな・・・」
と繭子に声をかけていた。
このときは、本当に『繭子』のことも『ものくろ』のことも、そして自分の子供のこともまったく考えていなかった。
あの日・・・・・ものくろがいた最後の日に・・・・・・教えてもらったはずだったのに。