第五話
――――――― 俺は何を見ていたのだろう・・・。
由緒は自分のこれまでを、深く後悔した。
毎日仕事のストレスで会話をするのも億劫で、家に帰れば『同居の他人』のようだった。
休みの日は、「休みくらいは・・・」と遅くまで寝ていて、早めの昼食を取れば一人で出かけてしまうこともしばしばあった。
毎晩、飲み歩いたりすることこそなかったけれど、彼女を連れて最後に食事に行ったのは・・・いつだ?
同じテレビ番組をみて、同じ食卓を囲んで、たったそれだけで夫婦だと・・・そう、思っていたんじゃないか?
由緒は泣きじゃくる繭子に声をかけることができずに、伸ばした手は力なく床に沈み、ただ茫然としていた。
そうして、ふと気付く。
繭子は、・・・・ものくろと一緒だ、と。
弱りきって。振るえて。声も出せなくて。小さくなって、苦しんで。
そうさせたのは、・・・・・・自分だ。
窓からの月明かりは一層深く青く。繭子の頬流れる涙は溶け出した氷壁のように蒼く、見えた。
どれくらいの時間を、そうしていたのかはわからない。
由緒も繭子もいつのまに眠ってしまっていた。
とても眠ることはできない、と思っていたのに。
何か不思議な力が働いたかのように、二人は眠ってしまっていた。
気が付いたのはなぜだったのか―――。
窓からの明かりは青白く輝いていて。
そこから覗き見える木々の葉は、緩やかにそよいでいた。
世界は深い静寂に包まれて。
時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえていた。
窓辺にものくろが立っていた。
由緒の眼を見ていた。
その表情は幾分憔悴しているようには見えたが、眼には力があり、何かを伝えようとしているのが感じられた。
「繭子、起きろ」
由緒は繭子に声をかけた。
すると繭子は、まるでずっと前に目覚めていたみたいにまどろんだ様子もなく起き上がり、
「・・・・ものくろ」
と呟いた。
二人が眼を覚ましたのを確認すると、ものくろは視線を窓の外に移した。
カリッ、カリッ、っとその前足が窓ガラスをかく。
何度も、何度も。
由緒と繭子は、なぜかそうしないといけないような気持ちになって、
窓を開けた――――。
青白い月明かりの中を静かに歩いていくものくろは、一度だけ二人のほうを振りかえると、
また歩き出し、そしてどこかに消えていった・・・・。