第二話
我が家に居ついた居候は「ものくろ」と名付けられた。
ものくろは由緒が帰宅すると、だいたい炬燵掛けの端に丸っこくなって眠っていた。二日に一遍はそうだった。そうでない日も気が付くと窓のすぐ外にいて、「部屋に入れて」と鳴いて懇願してきた。
要するに、ほぼ毎晩、我が家にいた。
アパートのペット禁止の件はそれほど問題にはならなかった。
ものくろは非常におとなしい猫で室内で走り回ることはなく、また問題ない理由のもう一つとして、由緒の部屋の左右、上階は現在借り手がいなかった。なので、めったに様子を見に来ない大家には、この際だんまりをきめ込むことにした。
今、繭子は風呂に入っていて、部屋には由緒とものくろの二人だけしかいない。
カリカリと小気味の良い音を立てながらドライ・キャット・フードを食べる小さな居候を、由緒はじーっと眺めていた。
まだ生まれて間もない、小さな体。全身の毛もまだ真綿のようにふわふわで、目はまんまるのくるくる、野生の欠片も見つからない。ことさら小さな肉球は大人の猫とは違い、まだ少し固さが残っている。
小さいことで有名な額の部分を、人差し指の先で撫でてみた。
しばらくは頭を左右にイヤイヤしがら、それでも逞しく食べ続けるものくろだったが、食事中のレディーに対して無作法な同居人を煩わしく思ったのか、とうとう小さな歯で噛みついてくる。眉間の当りに皺をいっぱい寄せてた表情は、ちっちゃくてもちゃんと肉食動物の顔をしている。
由緒はふっと微笑む。
由緒は猫が好きだった。
実家に住んでいるときは飼い猫がいた。
黒い猫だった。
一人暮らしを始めた当初は考えなかったが、直にまた猫を飼いたいと思うようになっていた。
結局、今と同じようにアパートの契約の関係で実現はしなかったが、真剣に飼いたいと思ったことはあった。
今回、繭子が部屋に猫を入れたことに対して、由緒はちょっとだけ心がぐらついたのだ。
だから、普段だったら有無を言わせず追い出すところを、しなかった。
心のどこかで『繭子のやったことだから』と言い訳を作って。
公園の植え込みの隙間や民家の軒下と変わらない、ここも気まぐれで留まる場所の一つならそれも仕方ないか、と納得して。
『都合のよい解釈』なのだが、まぁ、問題が起こるまではこのままでもいいかな、と考えていた。
ものくろは“ノラ猫”だ。
いつか猫社会の事情で二度とここに来なくなることもあるだろうし、逆に由緒達の事情でもう招き入れることができなくなるかもしれない。
でも、そういう間柄だから。それなら問題ないよな、と由緒は心の中で呟いた。
そんな思惑の同居人にはお構いなしのものくろは、またカリカリと小気味の良い音を立ててディナーの続きを楽しんでいた。