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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

サイレンの魔女

サイレンは冬に哭く ~モルティナ~

作者: 笹門 優
掲載日:2026/04/10

 パニックです。

 書いてる方もパニックでした(・ω・)



 少女はひとり唄っていた。


 亜麻色の髪を伸ばした、二十歳手前くらいの少女だ。


 その灰色の瞳で、蠢く大地を見下す様に見つめながら、鳴動する巨岩が山脈が響かせる轟音の中でも掻き消えることのない、澄んだ歌声を、遠く透く届ける様に唄っていた。



♪乾いた土を砕く様に 指先の砂を払う様に


♪わたしは喉を揺らし 大地を揺り動かす


♪何を驚くの?


♪これはただの唄なのに


♪それで砕けてしまうのは


♪あなたの足元がそれだけ揺らいでいる証



 地面は重機で掘り起こされたかの様に砕け荒らされ、木々はへし折れ根は千切れ、耐えること出来ずに引き抜かれた。

 そこにそれを引き起こす『何か』がいる訳ではない。

 ただ少女の唄だけが響く。



♪西の山脈は疾うに崩れ


♪東の平原は深く裂けた


♪不協和音の様な悲鳴は止めて


♪静かに大地へ埋まってお仕舞いよ



 荘厳な建物も、格式高い教会も、自然も人工物も、崩れ砕かれ崩壊する。


 逃げられなかったモノは、人も動物も、大も小も等しく土中へ埋められた。


 少女は唄っていた。


 その落ち着いたバラードは酷く歪に、周囲へ響いていた。



        ★☆★☆★☆



 目室(めむろ) (あずさ)を初めとした十数人はシェルターへの退避に成功した数少ない人間だった。


 ――そう『シェルター』。


 人々はそんな場所へ逃げ込む必要があったのだ。




 世界は今、未曾有の危機にあった。

 唐突だった。 何の理由も脈絡もなく突然危機は訪れたのだ。


 各地の情報が流れたのは最初の内だけだった。 すぐに各地、各国の情報網は寸断された。

 そのせいで殆どの人は気づけなかった。

 気づいたから、気づけたからどうと言う話ではなかったが、世界中で多様な危機が訪れていた事に気づけなかった。



 例えば遠く離れた地中海沿岸では激しい地震が起こり、家々を、ビルを粉々に砕いていった。

 その衝撃は人間の肉体など到底耐えられるものではなく、あっという間に人々は土中で地蟲の餌と化した。

 人も犬も猫も、皆等しく蟲たちの餌となったのだ。



        ★☆★☆★☆



 少女は唄っていた。


 金のソバージュを風に靡かせ、誰かに聞かせているのかいないのか、観客のいない空の下で澄んだ声を響かせていた。


♪揺らぐ大地は生きてる証


♪だって星は生きているもの


♪熱いマグマの鼓動を抱いているのよ


♪固い足場の下が揺らいでいるのに気づかない


♪永遠を疑わない 何て愚かなあなたたち


♪何も顧みない傲慢にはもう嫌気がさすわ


♪それなら大地だって傲慢で ただ傲慢に揺らぐわ


♪揺らぐ 揺らぐわ 極上のアトラクションみたいに


♪見てみなさい 岩盤が踊るメリーゴーランドよ


♪昨日までの地図を破り捨てて


♪上に 下に 大きく乱暴に掻き混ぜるの



 日本や、その沿岸の国や街、太平洋に浮かぶ島々は丸ごと海に飲み込まれた。 大地が揺らぎ沈下し始めると、そのまま海へ沈んだ。

 地殻変動と付随して起こる巨大で強力な渦の発生。 そしてその大質量の沈下とそれに伴い大量の空気が混ざり合うことで起こる水の密度の低下、つまり浮力の低下が起こってしまうだから、それに耐えられる船など存在しない。

 船も人も、潜水艦ですらも真面に動く事が出来ず、海の藻屑と化した。


 数機、脱出しかけたヘリは、強く揺らいだ大気に耐えられず墜落していた。



        ★☆★☆★☆



 少女は唄っていた。


 染めているのだろうか? 緑色の髪をした小さな少女が、巨大な一枚岩の上で可愛らしい声を響かせていた。

 まるでお遊戯会の様な姿であるのに、その唄は恐ろしく不吉だった。


♪繁る木々は 肉を欲する


♪増殖する草花は 血を欲する


♪苔も水草も みんなみんな


♪今まではずっと食べられてきたもの


♪今まではずっと利用されてきたもの


♪だから今は ほら 好きなだけお食べ


♪これからは ほら 好きなだけ啜りなさい


♪ひとりひとりを 継ぎ目のない上着の様に包み込んで


♪血の一滴すらも溢さない様に 髪の一本も逃さない様に


♪絞り上げてしまいましょうよ


♪ほら みんなお揃いの死に化粧なのよ



 オーストラリアは急速に増殖する木々が、草花が、あらゆる植物が国を、大陸を包み込んだ。

 荒野も砂漠も深い茂みとなり、エアーズロックは一夜にして緑の山と化した。

 だがそれは決してよい知らせではない。

 繁茂したそれらはまるで栄養を求めるかの様に動物を、人間を取り込んでいったのだから。


 逃げ道はない。

 砂漠ですらも緑で覆われ、船は海藻に沈められた。 飛行機すらも機内に入り込んだ何らかの種子が急速に発芽し、内部から機体を破壊した。



        ★☆★☆★☆



 少女は唄っていた。


 高校生くらいの、その年頃にしては珍しくない程度に髪を茶色に染めた少女だ。

 高い電波塔の先端に立ち、何が気に入らないのか苛立たしげにその声を響かせていた。


♪眠るあなたへ這い寄るわ


♪気づかぬあなたへ忍び寄るの


♪ゆっくり こっそり 例えそこが密室でも


♪そっと そっと 素早く 俊敏に 足音も立てずに


♪そっと そっと 死角から 羽音は小さく 錯覚の様に


♪重なる影は波の様に蠢き


♪隙間を埋め尽くす黒い流れの様に


♪目蓋を閉じたままのあなたを囲むのは 千の脚と万の視線


♪小さな大顎がその肉を囓り取るわ


♪少しずつ 少しずつ


♪百の肉片に 万の欠片に


♪まるで凌遅刑ね ざ・ま・あ



 中国は大地を埋め尽くすかの様な無数の地蟲が、地上も地下も関係なく、建物も人も動物も、その中も外も埋め尽くした。

 そう、中も外も、だ。

 人々も家畜もそこいらの野良犬も、口腔内だろうが眼窩だろうが、耳も臍も肛門も、全ての隙間を蟲に埋め尽くされたのだ。


 何処に居ても、何処に隠れていても。



        ★☆★☆★☆



 少女は唄っていた。


 白髪を短く刈り込んだ、紅い瞳の少女だ。

 彼女は一際大きな氷山の上から、その冷たく高い美声を響かせていた。


♪瞬きさえも ただの結晶へ変える


♪凍てつく大気 凍える吐息


♪自分達だけは温もりを貪る あなたたち


♪凍れ 凍れ 氷の柱 霜の棺


♪温もりも心も全てを凍てつかせる様に


♪凍る 凍る まるでスノードームみたいに


♪涙も 鼓動も 雪の様に弾けて空に消えるわ


♪明日の約束も 燃える様な愛執も 全て哀愁に変えて


♪停滞の静寂 白銀の沈黙


♪静かな白夜の 一時の夢


♪白い 白い 永遠の眠りよ



 北欧諸国は静謐の氷河に全てが閉じ込められた。


 炎さえも凍りそのまま砕け散る様な気温。

 火種も薪も燃料も全てが凍り付いた。

 熱を発するモノは全て失われ、暖かかった建物の中も急速に気温は下がるという状況に人間が耐えられるはずもない。

 瞬く間に白が全てを包み込み、そのまま霧氷と化したのだ。



        ★☆★★★☆



 少女は唄っていた。


 ウェーブのかかった空色の長髪をした小さな女の子だ。

 彼女はその金の瞳を空へ向け祈る様に両手を組み、天へ聖歌を捧げる如く唄う。


(そら)を仰げば そこには黄金色の絶望


♪降り注ぐ 黒煙に包まれた焼き色


♪安穏に微睡む怠惰なあなた


♪焼ける雨に その身を委ねなさいな


♪灼かれてしまいなさい ほら 処分される家畜の様に


♪呼吸を奪う重い空気は 熱く 熱く


♪簡単に逃げ場も奪ってしまうのよ


♪敬虔な祈りの言葉も 泥塗れの強欲さも


♪決して空には届かない


♪遍く平等に 与えられるのは運命なの


♪見て 海は怒りに気泡を浮かべ


♪ほら 山は悲鳴を上げている


♪その絶望の顏は見ておいてあげるから


♪安心しなさい 今だけは覚えておいてあげるわ



 北の大国ロシアに降り注いだのは硫黄の雨。

 まるで罪を贖わせる為の神の意志の様に、熱気と毒の雨が降る。 何処からともなく降り続ける。

 火山の噴煙を伴って加熱された様な、優に100℃を超える硫黄。

 それは単純火傷だけでは済まない、化学熱傷だ。 皮膚だけでなく、粘膜を、喉を、目を灼く。


 やがて硫黄に包まれた大地に、生きられる生物などもう居はしないのだ。



        ★☆☆☆★☆



 少女は唄っていた。


 薄い茶色の髪を所謂おかっぱと言われる形に整えている少女で、顔の半分程も隠している為、何処を見ているのか、どの様な視線を向けているのか、まるで窺い知る事は出来ない。

 ただその声色には強い哀愁の念が漂っている。


♪水のない白の海 立ち上がるのは誰の意思?


♪喉を灼く渇き 吐息は痛みだけを訴える


♪ああ 自らの享楽の為 砂の海を作り上げたあなたたちは


♪なんて不遜で なんて傲慢なのかしら


♪埋もれる 埋もれる そこは砂時計の底のように


♪砂の嵐 砂の竜


♪進んできた路も 築き上げてきた文明も


♪流れる砂が全て埋めてしまうの


♪砂の城 砂の王国


♪ほら あなたの後ろに足跡なんてない


♪あなたは砂の海に 永遠にひとりぼっち


♪ずっとずっと ひとりぼっち



 アフリカでは砂が生きているかの様に蠢き流動し人を、生き物を襲った。

 動く砂に抗する事の出来る人間などいるはずもない。 破壊する事など出来ず、水に浸されその動きを止める事もない。

 硬質なコンクリートのシェルターですらも研磨と重量で砕いてしまい、砕かれたコンクリは砂の一部になりその量を増す。


 強大な砂の波は大陸全土を覆い、全てを磨り潰した。



        ★☆★☆★★



 少女は唄っていた。


 赤い、ウェーブのかかったセミロングの髪が強い風に煽られる。

 自身の起こした強風を真正面から受け止めながら、幼い少女は子供らしい高い声で繰り返し唄う。


♪黒い血潮 それは大地から滲む炎の力


♪湧き上がり 紅き檻へと姿を変えて


♪燃えるのは 逃げ場なき祭壇の灯火(ともしび)


♪比類なき炎は天を焦がす程に燃え盛り


♪まるでバベルの塔みたいに高く高く炎の柱を見せつける


♪荒れ狂う紅が 踊っているの


♪焼き尽くす焔が あなたたちを飲み込みたいと語っているの


♪肉は灰に 灰は塵に


♪焼いて 灼いて 燃やし尽くしてしまう地獄の業火


♪大地より湧き出るゲヘナの炎


♪こんなマレボルジェは焼き払ってしまえば


♪あなたたちの在った光景なんて 忘れてしまえるかしら



 中東を襲ったのは炎。


 油田から噴き上がった炎が周囲を、大地を舐め尽くしたのだ。 しかもそれでは足りぬとと言わんばかりに燃え盛る炎は河も国境も越えてアジア圏をも灼いた。

 その炎は人々の無念を燃やすかの様に未だに熱気を衰えさせずに、紅の焔を、黒煙を撒き散らしている。



        ☆☆★☆★☆



 少女は唄っていた。


 銀の髪を長く伸ばした、黒い瞳の少女だ。

 摩天楼の名の如く、天を摩すると言うに相応しい高層ビルの屋上から、その唄とはまるで似つかわしくない美しくも繊細な声色で、戦慄する様な旋律を奏でていた。


♪冷え切った土を掻き分けて その棺を内側から破る者達よ


♪歩きましょう 歩きなさい


♪出来損ないの身体 腐肉と腐汁を(こぼ)す死者のパレード


♪欠けた血肉は土で埋め 無くした脳には蟲を詰めて


♪塵箱を引っ繰り返す様な 腐敗の行列


♪その行く先はあなたの葬列


♪都会の道もハイウェイも 埋め尽くすのは屍体の群れ


♪正義の旗を掲げたところで 足元に眠るのは無念の妄執


♪栄光の歴史だろうが そこにあるのは殺戮の末路


♪溢れんばかりの死の澱が 食い散らかすのは誰かしら


♪ほら来たわ 扉を叩く音


♪忘れられた先人達の 冷たい指が


♪あなたの首筋を そっと抉るわ



 そしてアメリカ。

 梓は偶々旅行でこの国に来ていた。


 目室 梓は死んだ親の遺産を食い潰し世界を旅する、三十路に差し掛かろうという年頃の青年である。

 旅を繰り返すせいかそれなりに体力はあるものの、食い道楽気味な部分があり、ぽっちゃり体型。

 日本を離れて久しい彼がアメリカの大地に足を踏み入れたのは二度目であった。


 それが良かったのか、それとも悪かったのか、彼はこの国でこの未曾有の『災害』に巻き込まれた。


 この国を襲った災厄はある意味酷く解りやすく、かつ対処のしようがなかった。

 いや、フィクションでは対処しうる事態だが、それが現実のものになった時、人々はその対応を取る事が出来なかった。


 ――死者の群れ。


 突然国中に死者が溢れたのだ。

 まるで出来の悪いB級シネマの様に、突然目の前に、唐突に地中から、不意に空中から出現した彼等は、それでも決して映像などではなく実体を伴って人々に、動くモノに、生きるモノに襲い掛かってきた。

 人々は襲われ喰われ食い千切られてその命をなくし、逃げ惑う人々に押されて潰されて、更なる人々が命を落とした。


 梓は偶々逃げ惑う集団に押されて巻き込まれて、いつの間にかシェルター内部にいた。


 が、そんな彼にまともな情報は殆ど与えられる事はなかった。

 周囲が外国人だという以前に、入ってくる情報は荒唐無稽なものだけだったのだ。


 曰く、日本が沈んだ。


 曰く、何処かで大噴火があった。


 曰く、生きながら蟲に喰われる人がいた。


 曰く、国を焼き尽くす程の火災があった。


 曰く、何処かで大地震があった。


 だが、何があったのか、そんなホラにも与太話にも似た情報も、直ぐに入る事はなくなった。

 それでもこの国が未曾有の危機にある事は、いくつもの目撃情報から確実視され、彼等はそのままシェルターでの暮らしをする事となった。



 だが、この『事象』がどの範囲で起こったのか、この『事象』はまだ収まっていないのか、そもそも何故起こったのか、シェルターの中にいるだけでは解らない事だらけだった。

 それを知る為に、少なくとも地上が安全であるか確認する為に、有志による決死隊が二度送られたが、彼等が帰ってくる事はなく…………。



 シェルター生活が始まって、一年が経過していた。



        ★☆★☆★☆



 梓を初めとした住人たちはシェルターを出る事を余儀なくされた。


 二月程前に死者達がシェルターの扉を発見。

 どれ程の知能を有していたのか、彼等はハンマーやツルハシなどを持ち集め鋼鉄の扉に打ち付け始めたのである。

 本来人力で破壊できるような物ではないそれも、昼夜を問わず打ち付けられ続ければ、(たわ)むし歪む。 何よりシェルター内に響き渡る騒音は酷いストレスになった。

 皆は非常口からの脱出をしなくてはならなくなったのだ。

 持てるだけの食料や水を持って。


 以前にシェルターを出た決死隊との違いは基礎体力の差と言ってもいいだろう一行は、走れる様な体型ではないか、年寄りか、幼いかといった体力面に問題のある者が多く、そうでなければ度胸がない、勇気が出ないといった者達だった。

 ちなみに梓は走れそうな体型に見えない&度胸がないしやる気もないという駄目っぷりを発揮したのだが。


 シェルターから脱出したはいいが、それ以降の方針もなく、ただ途方に暮れる一行は近くの、比較的壊されていないビルに入り込み一夜を過ごしたのだが、それは一時の安らぎにもならなかった。


 早朝からの死者の襲撃。


 ――こいつらが現れた時もそうだ。


 フィクションの様に、死霊の様だから太陽に弱い、なんてそんな弱点はない。

 それに映画の様に頭を打ち抜いても斃れる事のない死者に、拳銃などの武器もほとんど意味を成さないのだ。

 やるのなら初期のゾンビ映画の様に、バラバラにするしかないのである。


 だから梓たちは逃げるしかない。

 折角持ち出した食料も水もかなぐり捨てて、ただ逃げるしかないのだ。


 転んだ者を見捨てて、遅れた者を贄にして、ただ悲鳴を押し殺し、怯えたウサギの様に逃げるしかなかったのだ。




 気づけば梓はひとりになっていた。


 いや、それも当然か。

 元から十人もいなかったのだから。

 小太りとは言え、それなりに若い男。 シェルターに残った者の中では体力はある方だったのだろう。

 ひび割れた配管の様な、擦れた息を吐きながらも周囲を見渡すと、辺りには何もなく、荒野の如き光景と遠くに見える摩天楼。

 遠くから響いてくる音は、死者共が未だに叩き続けるシェルターへの打撃音だろうか。


(……助かった、のか……?)


 喉が貼り付く様な痛みを訴えてくる。

 だが持ってきたはずの水はとっくに投げ捨ててしまったのだ。 あるとしたらあの死者の群れの中だろうそれを、取りに戻る気にはとてもなれない。


 萎えそうになる足に喝を入れて、街から離れる為に進む。

 この状況だ。

 何処が安全かは解らないが、少なくとも街の中は駄目だろう。 そう判断し、進む。


 ひとり、何処に続くとも知れぬ道なき道を。



「あら、ごきげんよう」



 そんな彼に頭上から声を掛けてきたのはひとりの少女だった。



        ☆★☆★☆★



 長く伸ばした銀色の髪は、何処か温い風にそれでも軽く靡いていた。


 美しい、そう形容出来る少女の黒瞳は笑みを浮かべている。 が、それは何処か無機質で不気味な美しさだ。

 微笑みも、声も、仕種も、美しいはずなのに、脳がそうなのだと理解しない、それ。

 また、彼女は挨拶の言葉も優しい口調で、こちらを見てそっと微笑みかける美少女であるというのに、彼女は明らかに梓を見下していた。

 物理的に高い位置にいるとか、そういう意味ではない。 まるで威圧感なんてないのにひたすら威圧される。


「あら? 挨拶も返して下さらないの?」


 巨岩の上に腰掛ける彼女は彼を見て小首を傾げる。 そんな可愛らしい仕種ですら、何故か(おぞ)ましく、恐ろしい。


 震える足が一歩退く。

 森の中で灰色熊(グリズリー)に会った時よりも、拳銃強盗に出くわした時よりも、ずっとずっと恐ろしい、『何か』。


 もう一歩下がる。

 少女は何も言わない。 ただ笑みが深くなる。


 もう一歩、退こうとした梓の足に何かが引っかかった。


 ――それは地面から突き出た骨の手。

 それが彼の足首をガッチリ掴んでいたのだ。


「――あああああっ!? あっ! ああ!?」


 自身の足首ごと蹴り飛ばしてもその手は外れない。 それどころか両足とも掴まれてしまった梓は酷くその顔を歪ませた。


「やめろ……止めろっ!? 離せぇぇぇぇぇっ!!」


 両足首を掴まれたまま、尻餅をつく彼は絶望する。 絶望するしか、ない。


「……モルティナ……。 遊んでいるの?」


 不意に、もうひとりの声。

 誰もいなかったはずの少女の側に、もうひとりの少女がいた。

 最初の少女が高校、この少女は中学校に通うくらいだろう、そんな年頃の少女たちだ。


 彼女は、彼女たちは叫び声を上げ続ける梓を無視して話を続ける。


「彼が『最後』の様ですからね。 そちらは終わったのですか? オルディナ」


「中東なんて楽なものよ。 あの辺り一帯を焼き尽くすだけの燃料が、あそこにはあるんだもの。 一月も掛からないで、シェルターの中も全部焼いてやったわ」


「『最後』なら仕方ないけど、五月蠅いわね」


 最初の少女と同じ年頃に見えるもうひとりが、こちらも不意に現れると苛立たしげに梓を睨み付けた。

 睨まれ、一瞬悲鳴も動きも止めた彼の口が、瞬時に蟲で埋まる。


「ん――――――っ!? ん――――――っ!?」


「フェブリナも終わったようですね。 その人、まだ殺しちゃ駄目ですよ」


「貴女が遅いのよ、モルティナ。

 ジェルミナとポエナはのんびりやってた様だけど、後はみんな終わっていたわ」


 少女が増える、増える、増える。

 最初からいた少女と合わせて九つの人影が立つ。


「仕方ないじゃありませんか。 生き残りを探すのもわたくしの役目ですもの」


「わかっているの。 モルティナとジェルミナには、てまをかけさせているわ……」


「ありがとうございます、ポエナ」


 和気藹々と話す様子は見た目通りの少女たちの様で、しかし決定的に違うその雰囲気は一体何なのか、梓にはまるで解らなかった。

 掻き出しても掻き出しても口内を蹂躙する無数の蟲に、その状況に真面な思考能力を奪われつつある彼には、想像する事も出来ないのだ。


 少女たちは、そんな梓を無表情に見下すと、天を仰ぎそっと瞼を閉じた。


 そっと、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


 その言葉は ――滅び。



♪お休みなさい


♪愚かで救いようもない 泥で出来た真似形(まねかた)たち


♪大地の悲鳴に 耳を塞ぎ続けた罪人たち


♪今こそ泥人形は 水と土に戻る時


♪あなたたちの築いてきたのは 砂上の楼閣も


♪今 九つの旋律が 全てを無に帰すでしょう


♪大地は踊る 昨日までの空を足蹴にし


♪逆巻く(うしお)が 汚れ無き底へ引き摺り下ろし


♪芽吹く緑は 骨の髄まで根を張り巡らせ


♪這い寄る蟲よ 文明の残滓を喰らい尽くせ


♪時は止まる 白銀の檻が思考を凍てつかせる


♪黄金の雨は 虚飾の街を等しく溶かしてる


♪乾いた流砂が 全ての記憶すらも粒子に還せし


♪黒き炎は舞う この世の全てを黒く灼き輝かせ


♪死者の指よ 死者の爪よ それは最後の命をそっと刈り取る


♪揺れる 揺れる 現と言う名の揺りかごは


♪溶ける 溶かす 熱い熱い無垢な原初の海へ


♪悲鳴は風に 祈りは塵に


♪希望はなく 安寧も失われ


♪絶望さえも 明日にはただの肥やしに変わるだけ


♪さあ 最後の一呼吸を わたしたちに捧げなさい



 死者が現れる。

 梓の足を掴んでいたのとは違う、別の死者が彼の腕を掴む。

 足を掴んでいた者もその姿を現わにし、都合四体の死者がゆっくりと梓を掲げた。

 まるで天へ生贄を捧げるかの様に。

 カタカタと、嗤う様に髑髏(されこうべ)を鳴らし、梓を「どうぞご覧下さい」とでも言いたげに少女たちへ向ける。


「ん――――――っ!? ん――――――っ!?」


 呻くしか出来ない男を一瞥し、モルティナと呼ばれていた少女は、


「捧げなさい」


 と、それだけ、感情の籠もらない声で言ったその時、


 ――ズドッ、と強い衝撃が背中から抜けた。 それは解ったものの、梓は自分の見たモノが何なのかは解らなかった。


 自分の胸から飛び出した、握り拳大の、ドクンドクンと動く赤いナニカ。 それを掴んでいるのは死者の手、だろうか?

 自分の胸とまだ繋がっているソレは少しずつ少しずつその動きを弱くしていく。 その鼓動を弱めていく。


 蠢くソレをただ見つめる梓の耳に、また少女たちの旋律が聞こえてきた。



♪戻る 戻る 始原の大地に


♪混沌の海 天地の開闢(かいびゃく)


♪全ての死を贄に わたしたちは始まりを願います


♪母なる海へと広がる様に


♪父たる大地へ広まる様に


♪戻る 戻る 原初の世界へ


♪ヒトはない ただわたしたちだけの世界へ


♪ヒトはいらない その欠片すらなくす様に



 その旋律の中、梓の指先が崩れた。

 罪人が塩の柱に変わる様に、色を無くし、そのまま崩壊した。

 その崩壊は指先つま先から腕へ足へと広がりを見せる。


 それに伴うかの様に彼を束縛していた死者達もその形をなくし、灰へ、塵へと変わりそのまま風に溶けてゆく。


 それだけではなく街の中にいた死者達も、世界中に残っていたビルも街並みも、だ。



♪今始まる 世界



 やがて、梓が頭部だけになると、少女たちは皆微笑んで天を仰ぎ、





 そして、弾けた。





 少女たちは元からそうであったかの様に、


 数百万、数千万、いや億に達する程の羽蟲や地蟲となり、


 空へ、大地へ広がった。


 梓はそれを『観測する者』として、崩れかけた頭部だけの状態で、自意識も殆ど消えたままその光景を観測させられていたが、彼女たちであった蟲たちがその場から居なくなると、全てが崩れ、風に吹かれて消えた。





 そう。




 この星は、植物と蟲だけの世界になったのだ。



 唄う魔女(サイレン)は 滅び()に 嗤う(哭く)



 最初はシンプルなゾンビモノにする予定だったのに、なんだかわやわやキャラが増えていきました。

 なんでだろう?


 設定としては「一寸の虫にも五分の魂」。

 羽蟲や地蟲で人を象ると、サイズによりけりだけど億を超えるというAIさんの試算があったので、彼女たちがひとりにつき、人の魂5,000万人分のパワー(^O^)! を持つという雑な考えです。

 まあ、言い回しの意味としては「ほんのわずか」という意味での使い方が正しいらしいけど。


・慈しみの魔女モルティナ……南北アメリカ担当。ラテン語mors死から。

銀髪ストレート、黒い瞳。 ミドルティーン。


・揺らぎの魔女マリーナ……日本周辺から島国担当。ラテン語Mare海、Mal悪意から。

金髪ソバージュ、蒼い瞳。 ハイティーン。


・芽生えの魔女ジェルミナ……オーストラリア担当。ラテン語Germen萌芽、種子、芽生え。

緑髪ショートヘア、碧の瞳。 ローティーン。


・厭気の魔女フェブリナ……中国担当。ラテン語Febris熱病から。

茶髪セミロング、焦げ茶の瞳。 ミドルティーン。


・停滞の魔女グラシナ……北欧担当。ラテン語Glacies氷から。

白髪ベリーショート、紅い瞳。 ハイティーン。


・誅罰の魔女ポエナ……ロシア担当。ラテン語Poena罰、処罰、復讐から。

空色の髪、ウェーブのかかった長髪、金の瞳。 ローティーン。


・激動の魔女トレモナ……地中海周辺担当。ラテン語Tremor震え、震動から。

亜麻色ストレートロング。灰色の瞳。 ハイティーン。


・渇きの魔女プルヴィナ……アフリカ担当。ラテン語Pulvis塵、粉末から。

薄い茶髪おかっぱ。目は隠れている。 ミドルティーン。


・憎しみの魔女オルディナ……中東担当。ラテン語Odium憎しみ、嫌悪から。

赤髪ウェーブのかかったセミロング。紺色の瞳。 ローティーン。

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― 新着の感想 ―
冒頭から少女たちは何者だろうと思ったのですが、滅びの魔女……怖いですね。 植物と蟲だけの世界からはじまる地球は、これからどんな進化を遂げるのかなと考えさせられました。
浮力が足りないと海上での活動は絶望的ですね。 エアーズロックが緑の山になるのは異常事態。 植物が侵食してくる世界かな? (´・ω・`) ……え? 埋め尽くしているこれってまさか◯キさんなの? …………
蟲に支配された世界〜!! 色々な担当の滅ぼし方が凄かったです…(ToT) 個人的には中国の凌遅刑?あれはやばそうですね…苦しみながら死にたくない〜(ToT) 蟲との共存求む〜\(^o^)/♪
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