正しい選択
振って沸いたネタで書いた作品です。
突然始まって突然終わる。悪魔要素はこの話ではほぼ出ないです。
キラキラとした粒子が瞬いて、一瞬の間に消えていく。それがどこか、遠い故郷の寒空で見た光景に似ていて。
光の差さないこの空間で、唯一輝くその粒子は、胸の奥がちくりとするほど眩しい。
つい、深手を負っているのも忘れて、手を伸ばそうと腕を上げる。
それがいけなかったのだろう。さっきまで気にならなかった全身の傷が、「忘れるな」と言わんばかりに一斉に疼いた。
無理に戦っていたせいか、身体は地面に縫い付けられたように動かない。
どうにか視線を巡らせると、視界の端に血溜まりが見えた。
思った以上に、深い。
それでも――敵の姿も、気配もない。
「よかった」
息を吐いて目を閉じる。
安心したような、少し物足りないような、不思議な感覚。
もう少し戦っていたかった、なんて。
「我が愛し子は、どうやら自分の際限すらわからないらしい」
思考を遮るように、呆れと嘲笑を滲ませた声が、空間を震わせた。
姿は見えずとも、この場所に来る物好きは一人しかいない。
靴音に顔を向けると、物好き――レイル・オークウッドが、少し不機嫌そうな、それでいて口元にはいつもの笑みを浮かべたまま、こちらを見ていた。
「……自分の限界くらい、」
「理解していたら、今こうして倒れてはいないだろうな?」
視線を逸らすと、すぐ傍で、コツリと靴音が鳴る。
「こっちを向け」
仕方なく顔を上げた私は、その表情に言葉を失った。
……そんな顔も、できるんだ。
いつも薄く笑って、目だけは冷めきっているくせに。
今日の彼は、やけに目に温度がある。
レイルがそんな顔をする理由を、私は知らない。
知らないままでいたかった。
なのにどうして、今さらそんな目でこっちを見るのか――予想外すぎて調子が狂う。
そんなことを考えていると、レイルはしゃがみ込み、私の頬についた血をそっと拭った。手袋の冷たさに反射的に身じろぐと、途端に全身へ痛みが走り、思わず顔を歪めた。
その様子に、レイルは驚いたように目を見開いた。
――次の瞬間。
彼の顔から笑みがすっと消え、周囲の空気が一気に冷え込んだのがわかった。
“まずい”と直感するより早く、両頬を掴まれる。
彼の視線が床へ落ち、低く呟く声が聞こえた。
「……血」
暗がりの中、私の身体に隠れて見えなかったのだろう。
血溜まりに、気付かれてしまった。
……できれば、気付かないままでいて欲しかった。
ゆっくりと顔を上げた彼の目に、怒りが宿っている。
普段から「自分を傷つけるな」とうるさい人だ。
怒られないはずがない。
けれど――
「……ああ、怪我をしているのか」
予想に反して咎める言葉はなく、落ち着いた声でただそう呟いて、頭を撫でられた。
その手があまりにも優しくて、息が詰まる。
そのまま抱き上げられる。
壊れ物を扱うような、慎重な手つきで。
静かで、優しくて、
それがかえって、胸の奥をざらつかせた。
怒っていたのは確かなのに、
その矛先が、私ではないのだとしたら――
それはそれで、ひどく安心してしまう自分がいた。
「なんで……」
ようやく漏れた声は、自分でも驚くほど小さく掠れていた。
それを聞き取ったレイルは、私へ視線を向け、ふわりと笑う。
「妻が傷つけられたのだ。憤慨するのは当然であろう?」
……本当にこの人は私に甘い。
甘さに溺れていると気付いていながら、
それでも浮かび上がろうとしない自分がいることに胸がざわつく。
前は、もっと反発していたはずなのに。
それを思い出そうとすると、思考が白く霞む。
逃げようとしない自分が、何よりそれを証明していた。
「別に、私が好きでやったことです。それと……私は、妻ではありません」
「ふふ、わかっているとも。お前は案外、戦が好きだからなぁ。
だが、愛おしい妻が傷付くのを見過ごせるほど、俺は忍耐強くはない」
“妻ではない”という主張はあっさり無視され、距離が詰められる。
息がかかりそうな距離でようやく動きを止めたレイルは、
「自分を傷つけるお前にも、少なからず怒りは湧いたのだぞ」
と目を細めた。
「……口付けをしたら、その唇を噛み千切りますからね」
「共食いか。構わんが、俺は菜食主義ではない、マズイと思うぞ。」
……どうやら、私の照れ隠しは何ひとつ通じていないらしい。
眉をひそめて離れるよう言うと、ようやく彼は身を引いた。
「……はぁ」
疲労が、どっと押し寄せる。
深手に加えて、彼とのやり取りで精神も体力も削られ、もう話す気力すら湧いてこない。
瞼が重くなり、視界がゆっくりと暗く沈んでいく。
「お休み。我が妻よ。次に目を覚ます時には、傷は癒えているだろう」
意識が沈む直前、
穏やかな光の中、優しく甘い声色とともに、滅多に見せないほど優しい彼の表情が見えた。
――――――――
血の匂いが、遅れて届いた。
最初に気付いたのは、床に滲むそれではない。
空気だ。
鉄と熱が混じった、馴染みすぎた匂い。
笑みを貼り付けたまま歩み寄る。
そうしなければ、顔が歪むのを抑えられなかった。
まただ。
また、この子は――自分の身を削っている。
見つけた愛し子は、糸の切れたマリオネットのように倒れていた。
息はある。
意識も、まだある。
だが、その身体は限界を越えている。
「我が愛し子は、どうやら自分の際限すらわからないらしい」
口にした言葉は、半分は冗談で、半分は祈りだ。
これ以上壊れていませんように、と。
頬に触れた瞬間、微かな身震い。
それだけで、全身の血が冷えた。
――ああ。
笑みが消える。
隠す理由が、なくなった。
血溜まりを見て、理解する。
自分が怒っていることを。
彼女を傷つけた世界。
彼女を戦わせた状況。
そして――
それでも刃を握ることを選ぶ、彼女自身。
頬を掴む。
逃がさないように。
壊さないように。
その両方を叶えようとする時点で、もう、正しくはない。
「……血」
声が、低く沈む。
顔を上げた彼女は、叱責を待つ顔をしていた。
怯えと、諦めと、微かな期待。
――可哀想に。
それを向ける相手が、俺では意味がない。
怒鳴るべきだ。
叱るべきだ。
世間一般でいう“守る”とは、そういうものだと、知っている。
だが――
「……ああ。怪我をしているのか」
撫でる手は、壊れ物に触れるそれだ。
事実、壊れ物なのだから。
抱き上げる。
この細い身体を、世界から引き剥がすように。
守りたい。
だから、閉じ込めたい。
戦わなくていい場所に。
傷つかなくていい檻の中に。
彼女が望もうと、望むまいと。
怒りは消えていない。
ただ、向きが変わっただけだ。
傷をつけた相手には、等しく報いを与える。
それが世界であろうと、彼女自身であろうと。
「妻が傷つけられたのだ」
その言葉が、鎖になると知っている。
知った上で、口にする。
拒めばいい。
噛みつけばいい。
それでも、腕は緩めない。
正しくないことは、分かっている。
それでも選ぶ。
愛している。
だから――壊してもいい。
彼女が意識を手放したのを確かめ、
そっと額に口付けた。
目覚めた時、傷は癒えているだろう。
だが、
逃げる力も、
戦う理由も、
少しずつ、削れていけばいい。
それでいい。
それが――安全だ。




