第7話 揺れる背後
夕方の街は、柔らかなオレンジ色に染まっていた。
歩道を踏みしめる足音が、やけに遠く感じる。
紅は不意に立ち止まり、後ろを振り返った。
――誰もいない。
だが、胸の奥で、視線に刺されるような感覚が走った。
水が横に立ち、手を握る。
「紅さん……また、感じますか?」
紅は小さくうなずいた。
背後の空気が冷たく揺れ、街灯の光が微かに歪む。
何か、黒い影が自分を追っている――
紅の胸は自然と高鳴り、呼吸が乱れる。
「……おそらく、ここに縛られている存在です」
水は静かに説明する。
「普通の人には見えないもの。けれど紅さんには、感じられる……体質ですね」
紅は微かに息を吐いた。
――体質、か。
そうかもしれない。
だが、この感覚はただの体質の範囲を超えている。
街路樹の間を歩くと、再び影が揺れた。
風ではない。
黒く、ねじれたような形が、紅の背後をついてくる。
紅は無意識に足を早める。
水もすぐ隣で歩調を合わせる。
街灯の光に、影がぎらりと反射する。
胸の奥が疼き、呼吸が詰まる。
「――もう、限界かもしれません」
水が小さな声で言った。
「でも大丈夫。紅さん、私が守りますから」
紅は肩をすくめ、振り向くのをやめた。
影の存在は見えなくても、確かに感じる。
自分を追い、引き留めようとしている――
そして、その正体は、自分の胸の奥に関わる何かなのかもしれない。
事務所に戻ると、机の上には昨日よりも大きく、赤い文字で紙が置かれていた。
「――逃げられない」
紅は手を握りしめ、微かに笑った。
――もう、逃げない。
水がそっと肩に手を置く。
「紅さん……怖くても、前に進みましょう。思い出すべきことが、きっとあります」
紅は頷いた。
胸の奥の疼きは増したが、同時に、微かに温かい感覚も残る。
――思い出すんだ。
誰が自分を呼んでいるのか、なぜ心がこんなにも震えるのか。
夜の街灯が二人を包み、影は遠ざかることなく、じっと付きまとっていた。
紅の瞳は、揺れる影を見つめながら、静かに決意を固めていた。
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