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失ったものに気づいた青年は理解していない

 ヘイリットが違和感のような物を感じ始めたのは実家である侯爵家に帰った次の日からだった。

 家族との再びの生活を喜び眠りについた後の朝。


 侯爵家でヘイリット専用の家具といえば、幼い頃使っていた物があるだけ。今すぐに新品の物を用意するのも難しくルーナの家から運び込まれたベッドに体を沈めたが、朝起きて見る侯爵家はどこもかしこも、何故か色褪せて見えた。


 廊下に並ぶ古ぼけた絵画、食堂のテーブルの滑らかではない手触り。座った椅子のクッションの感触。

 侯爵家として安物を使っている訳では無いが、ヘイリットの身に自然と染み付いてしまったのはルーナの家で使われる最高級の超一流品に囲まれた生活だ。物足りなさを感じるのは当然のことだったのかもしれない。


 改めて両親と共に暮らせることを喜びあい、気楽な家族での朝食を口に運ぶ。しかしここでもヘイリットは首をかしげた。

 出来たてのパンは美味しいには美味しいが風味が足りない気がする。添えられたバターもどこか淡白だ。


「母上、パンにはカーヌスのバターが濃厚で合いますよ。次からはそこのにしませんか」


 ヘイリットは両親にも美味しいものを食べて欲しいという純粋な気持ちで言ったことだったが、両親は顔を見合わせて苦笑した。


「たしかに、あそのバターは美味しいと思うわ。でもあのバターは高級すぎるわね」

「侯爵領も安定して我が家もたまになら贅沢も出来るようにはなったが、あのバターは毎日買えるような値段では無いからな」


 カーヌスのバターは素晴らしく高いが素晴らしく美味しい。バターの宝石と言われている物だ。それほどの値段だと言うのに一瞬で消えていく贅沢品だった。


 ルーナの家アーベンドルク家で使用されるのはほとんどそのバターで、遠慮することなくたっぷりと使っていた。ヘイリットは自分が気にすることなく日頃から食べていた物の値段を聞いて言葉を失った。


 □□□


 生活の質が確実に落ちた。

 とは言っても貴族らしい生活はできている。ただ、アーベンドルク家が飛び抜けていただけだ。


 感じる違和感を振り払うように、ヘイリットは恋人のトランをデートに誘った。

 両親にもトランとのことは伝えて、反対もされなかった。

 無理やりの婚約者ではなく好き合う同士の恋人との時間にヘイリットの頬は自然と緩む。


「席がない?」

「はい。申し訳ございませんが本日の公演は前売りのみで完売しておりまして……。誠に申し訳ございませんが次回公演のチケットをお買い求めください」


 今までに何度かトランとこっそり観劇した流行りのオペラ劇場に足を運ぶも入口から進めずヘイリットは立ち尽くした。


「今までチケットを買ったことなんて無かったんだが」

「失礼ながら申し上げますが、今まではアーベンドルク御一家が年間購入されているお席にご案内させていただいておりました。しかしながら婚約は解消されたと聞き及んでおりますので、今後は正規のチケットのご予約をお願いいたします」


 深々と劇場の責任者らしき人物に頭を下げられればヘイリットも頷くしかない。


「すまないトラン」

「いえ、気にしないでください」

「そうだ、代わりと言ってはなんだがブティックに行こう。何か贈らせてほしい」

「いいんですか!?嬉しいです!」


 キラキラと目を輝かせるトランを連れて馴染みのブティックに足を運ぶが、ここでも店主に困ったような顔をされた。


「申し訳ございません。現在他のお客様がいらっしゃいまして……」

「いつも他の客なんていなかっただろう」

「大変申し訳ございません」

「同時に対応はしてもらえないのか?」

「そうでございますね。直接王女殿下とお話し合いをしていただけるようでしたら我々は構いません」


 王族と言われてヘイリットは息を呑んだ。直接交渉なんてできるはずがない。この店に王族が来るなんて初めて知ったがそれならばオーダーメイド用のスペースを貸し切っているのも当然だろう。


「既製品で構わないから見させてくれ」

「かしこまりました。ではご案内致します」


 店内は広くオーダーメイド用の採寸室や打ち合わせの部屋と区切られるように既製品のドレスが飾られている空間がある。


「わぁっ、とっても綺麗です」


 店内の一番目立つ場所に飾られている桃色のドレスに、トランが目を輝かせた。フリルやレースがふんだんに使われ、可愛らしいが絶妙なバランスで大人びた印象を与えさせる。

 全体が控えめにキラキラと光っているドレスは洗練された宝石のようだ。


「トランに似合いそうだな。これを彼女に合わせて欲しい」


 可憐なトランに似合うだろう、とヘイリットは大きく頷いた。


「こちらのドレスですね。金額はいかがいたしましょうか」

「それを聞いているのはこちらだ」


 なぜ店員か客に値段を尋ねるのか。訝しげな顔でヘイリットが再び金額を確認すれば、そっとドレスの脇に置いてあるプレートを指し示された。


「当店の既製品はオークション形式での販売となっております。こちらのドレスは現在この価格です。これより上の金額でご自由に決めていただいております。落札確定までの残りの期間はあと二週間ほどでございますね」


 いかがいたしましょうか、と再度問いかけられる。馬鹿にしたような態度では無い。説明も動作も丁寧だ。


「……この店は何度か利用しているが、オークション形式だなんて話は初めて聞いた」


 説明はどこまでも丁寧だが、急にそんなことを言われるなんて悪意しか感じられない。

 しかし不機嫌な様子のヘイリットにも動じない店員は笑顔のまま口を開いた。


「今までの請求は全てルーナ・アーベンドルク様にお届けしておりました。アーベンドルク様は常に最高額でお買い上げいただいておりますので金額のご希望をお伺いすることはございません」


 ですが今後はアーベンドルク様にお願いすることができませんので、と続けられた言葉にヘイリットは「またアーベンドルク……」と呟いた。


 今までのヘイリットは店に並んだことなど無かったし、何かを買えないなんて経験もほとんど無かった。

 トランと隠れるように出掛けた町で平民に人気だというカフェに並んだことは新鮮で楽しかったが、それは普段ありえないことだからこそ楽しめたのだ。


 ヘイリットが当たり前のように利用していた高級店で待ち時間もなく常に最高のもてなしを受けられたのはアーベンドルク家の、ルーナのおかげだった、ということにヘイリットは漸く思い当たった。


 しかし、ヘイリットの身に染み付いた生活基準は簡単に上書きできるものではなかった。アーベンドルク家の一員としての特別待遇を受けていた、と理解したが、自分の生活が完全にアーベンドルクに染まっていたとは気づいてはいなかった。

 そしてそれは、貴族はみんな同じだという認識しかない平民のトランも同じことだった。


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