この世界で、母になる
目を覚ますと、部屋の空気がほんのり甘かった。
春の香りと、窓から差し込む朝の光。
その隣に、彼女がいた。
「……おはよう、カノン」
恋が、小さく笑う。
いつもより少しだけふっくらしたその頬に、指を伸ばして触れると、くすぐったそうに肩をすくめた。
「お腹、ちょっと重いかも」
その言葉に、私はそっと彼女のお腹へ目を向ける。
まだ膨らみなんてない。だけど、そこには確かに――新しい命が宿っている。
「……信じられないよな」
「うん。でも、嬉しい」
恋はそう言って、お腹を両手で包み込むようにさすった。
母になるんだと、まだ実感が湧かないその手つき。
でも、私はその姿をずっと、夢に見ていた気がする。
数ヶ月前まで、私は男だった。
一度は元の体に戻り、このまま生きることもできた。
でも、恋と並んで歩く未来を思ったとき、私は選んだ――
**「女として、妻として、母として生きる」**という未来を。
「カノン……怖くない?」
「ん?」
「赤ちゃんのこと、これからのこと……私、ちゃんとママになれるのかなって」
恋の声が少しだけ震えていた。
無理もない。突然、自分の体に命が宿ったのだ。
元男だった私が言えることじゃないかもしれないけど、それでも。
「大丈夫だよ。……恋なら、きっと大丈夫」
私は彼女の手を握った。
その手の温もりは、何よりも確かな家族の証だった。
「それに……一緒にいる。ずっと。怖いときは、私が支えるから」
恋が目を細めて、ふっと微笑んだ。
「ありがとう、カノン。……ママとママ、がんばろうね」
ベッドの上でふたり、顔を寄せ合いながら小さく笑った。
まだ先の見えない日々。
だけど、ふたりの間には確かに“未来”が宿っている。
この世界で、私は母になる。
元・男としての過去を抱えたまま、愛する人とともに、新しい家族を育んでいく。




