ふたりだけの、秘密の指輪
新居の準備もほぼ終わり、春風がやさしく吹き抜ける昼下がり。
私はダンボールを一つ閉じながら、ふと隣で黙々と棚を組み立てる恋の横顔に目をやる。
──この人と、私は婚約したんだ。
まだ「婚約者」って言葉には、どこかくすぐったい違和感がある。でも、それは嫌な感覚じゃない。ただ、少しだけ──こそばゆいだけ。
「ねえ、カノン。午後は家具屋さん行くんだっけ?」
「うん。カーテンもまだだったしね」
「じゃあ、あと一箱だけ片付けちゃおうか」
そう言って微笑む恋に、私は無意識に手を伸ばして、小さく指先を重ねた。
恋が驚いた顔で私を見る。
「……どうかした?」
「ううん。ただ、さ。婚約したのに、なにも“それっぽいこと”してないなって思って」
「それっぽいこと?」
「たとえば……指輪、渡すとか」
言ってから、自分で照れてしまう。まだ恋人になったばかりなのに、“婚約指輪”なんて口にするの、早すぎるかなって。
けれど恋は、ふわっと笑って言った。
「じゃあ、作ろっか。ふたりだけの指輪」
「えっ?」
「売ってるやつじゃなくて、手作りの。ペアリングじゃなくてもいい。ひとつだけでも、ちゃんと“カノンと私のしるし”ってやつ」
恋はそう言って、小さな紙箱を取り出した。
中に入っていたのは、銀の細いワイヤーと、淡い色のビーズ。
「これ、ハンドメイドアクセサリーのキット? いつの間に……」
「前にカノンが言ってたじゃん。“指輪っていいな”って」
「……覚えてたんだ」
私はそっと、膝の上に手を置く。
手のひらは、今まで何かを守ったことも、誰かに守られたこともないような気がする。でも──恋と出会って、この手に意味ができた気がした。
「じゃあ……一緒に作ろっか」
「うん!」
私たちは並んで床に座り、指輪づくりを始めた。笑いながら、ふざけながら、たまに真剣になって、ビーズを通していく。
完成したのは、不格好だけどどこか愛おしい、細くてやさしいリング。
「どっちの指につける?」
「左手の薬指は……まだ早い、かな」
「でも、いつか本当にそこに“本物”がくる日が来たら、さ……」
「うん。覚えてて。今日のこれが、その最初のしるし」
私は恋の手を取り、ふたりの指にそっとその指輪を通した。
世界にたったひとつだけの、ふたりだけの婚約指輪。
この瞬間、恋人ではなく、確かに「婚約者」になった実感が、胸に静かに広がっていった。




