カノンという名前の意味
引っ越してきたばかりの新築の家で、私は恋と遊んでいた。
リビングから続く小さな庭に出ると、恋が嬉しそうに私を見て言った。
「ここがカナの新しい家?」
私は歩きながら、その言葉を訂正する。
「"カナ"じゃなくて──"カノン"」
「カノン?」
首を傾げる恋に、私はもう一度はっきりと伝える。
「そう。それが今の私の本当の名前」
「そっか。カノン……いい名前だね」
「今までカナって呼ばれてたから、カノンはまだちょっと慣れてないけど……でも、気に入ってるんだ」
「うん。私も好き、その名前」
「……そう言ってもらえると、嬉しいな」
言葉が嬉しくて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「それで! 今日は何して遊ぶ?」
恋がはしゃいだ声で言う。でも私は、先にどうしても聞いておきたかったことがあった。
「遊ぶ前に……確認させて。ねぇ、恋は私のこと、どう思ってる?」
恋は一瞬、目を丸くしたあとで、ふいと視線を逸らして言った。
「そんなこと、私の口から言わせないでよ……」
その反応を見たとき、私は──確信した。
「ありがとう。──私のことを、好きになってくれて」
恋は恥ずかしそうに俯きながらも、真っ直ぐに私の手を取る。
「……私のことはいいから、カノンの気持ちを聞かせて」
その手は少し震えていて、それでも確かに私の右手を握っていた。
「……そんなの、この家に恋以外誰も呼んでない時点で、察してよ……」
「言葉にしなきゃ、伝わらないよ?」
その言葉に、私は口をつぐんでしまう。
──私はずっと、「好き」がどういう感情なのか分からなかった。
天も好き。美羽のことも大切。だけど、恋に向ける想いは、それとも違う。
LIKEとLOVE。その違いが、ずっと分からなかった。
「カノン?」
黙り込む私を心配そうに覗き込む恋の瞳。
「……私も、恋のこと好きだよ。でも、いいの? 私は女の子なんだよ? きっと親に反対されて……」
「大事なのは、私たちの気持ちだよ」
「……そう、だよね。──私、恋が好き!」
「ありがとう。私もカノンが好き」
お互いの気持ちを確かめて、私はもう一度、きちんと想いを伝えた。
「私は恋のことが好きです」
そう言って深くお辞儀をし、右手を差し出す。
「もし、お付き合いしてもらえるなら──この手を握ってください」
目を閉じたまま待つ私の手に、温かな感触が重なる。
「こちらこそ。お願いします」
恋は、私の右手を両手でそっと包み込んでくれた。
「ありがとう……」
目を開けて、その瞬間を確かめる。胸がじわじわと熱を帯びていくけど、恋人になったという実感は、まだ少し遠い。
「人生で初めての彼女だよ」
「ふふっ。……よかった」
私たちが未来の話をし始めたそのとき、背後から声が響いた。
「ゆっくり考えなさい」
──ママの声だった。
「ママ!? 帰り、早かったね……仕事は?」
「用事があってね。あと、お客さんよ」
扉の向こうから姿を見せたのは──恋の両親だった。
「パパ! ママ!」
驚いたように声を上げる恋。その両親は、にこやかに私たちを見るとこう言った。
「今日から親戚になるわけだし、顔合わせでもしようと思ってね」
「……親戚って?」
「だってあなたたち、結婚するつもりでしょ?」
「……それは、そうだけど……!」
ママはさらりと言って、バッグから数本の小瓶を取り出した。
「それにね、言い忘れてたけど、薬はまだあるのよ。試作品だけど、時間が経てば効果は切れる。でも、また使えば戻れるわ」
「え、てことは──男に戻ることもできるってこと?」
「そゆこと」
「それを先に言ってよ……!」
でも、今は焦って決めなくてよかった。そう思える自分がいた。
そのころ、恋は両親と三人で話をしていた。
「パパ、私この人と結婚したい」
「その人のことを、本当に支えられるのかい?」
「うん!」
父親はしばらく考えて、静かにうなずいた。
「……分かった」
そして私の母に向き直り、こう提案した。
「まだこの子たちは高校を卒業したばかりですから……婚約者にするというのはいかがでしょう?」
「それはいいですね」
「幸いにも、うちの娘とカノンくんは同じ大学に通うようです。まずは同棲をさせて、二人で暮らすとはどういうことかを学ばせましょう」
「賛成です」
こうして──私と恋の、新しい生活が始まった。




