真実の名前、カノン
「もう少しで着くよ」
ママの声が運転席から聞こえる。私はぼんやりと窓の外を眺めていた。通い慣れた町の景色も、こうして引っ越すとなるとどこか遠く感じる。
「分かった」
そう返すと、ママは少し口調を改めるようにして言った。
「家に着いたら、大事な話があるからね」
「大事な話って……なに?」
「私たち家族についてよ」
その言葉に、私は黙り込んだ。
――家族について。
姉が私に薬を盛って女の子にしたこと。パパの消息。私の“身体”のこと。
何も分からないまま今まで過ごしてきたけど、本当は――ずっと、知りたかった。
「……分かった」
それだけを絞り出すように答えた。
沈黙のまま、車は新築の家へと近づいていった。
***
「着いたわよ」
ママに揺り起こされると、私はうっすらと目を開けた。目の前には見慣れない、だけどどこか優しげな雰囲気のある家が建っていた。
「広い家だね」
「車で20分くらいだから、前の家からもそんなに遠くないわね。どこの学校に通うかは、あとで決めましょう」
そう言って、ママはトランクを開け、私も手伝いながら荷物を家の中へと運び込む。生活の始まりを告げるように、新しい空気が部屋の中に広がっていった。
「一通り、運び終わったかな」
「それで……ママ。話って?」
「そうね……カナ。いいえ、“カノン”」
「……カノンって、誰? 私はカナだよ?」
「カナっていうのは仮の名前よ」
「……ママ、何言ってるの?」
「今まで“カナ”として呼ばれてたから、もうそれが自分だと思い込んでしまったのね」
私は混乱していた。するとママが静かにグラスを差し出してきた。
「落ち着くために、水を飲みなさい」
「ありがとう……」
私はグラスを受け取り、水を一口飲んだ。
……次の瞬間、眠気が急に押し寄せてきた。
「なんか……眠い……」
***
そのまま私は“夢”を見た。
だけどそれは、夢と呼ぶにはあまりにも生々しい。
身体が男に戻っていた。目の前でママが静かに手鏡を差し出してきた。
「……これ、元に戻ってる……?」
「解毒薬を使ったのよ。まだ試作品だけどね」
「解毒薬? なんでそんなもの、ママが持ってるの?」
「前の家。あなたの机の引き出しの中に入ってたわ。気付かなかったの?」
「……全然……」
なぜ、そんな大事なものに私は気付けなかったのか。
「でもね、まだ話は終わってないの」
ママの声は少し厳しくなった。
「この薬、服用できる回数が決まってるの」
「あと……何回?」
「……あと三回よ」
三回――。
それは「戻れる回数」でもあり、「選択できる猶予」でもある。
「これから、女でいるのか男に戻るのか。自分でちゃんと考えなさい」
ママはそう言って、私から離れて家の片付けを始めた。
私はしばらく呆然と立ち尽くしたあと、自分のダンボールを手に部屋に入り、私物をゆっくりと整理しはじめた。
整理が終わるころ、自然と眠気が襲ってきた。
***
「……あれ?」
目が覚めたとき、身体は再び“カナ”のそれに戻っていた。
鏡に映るのは、女の子の顔。だけど、私はただの“カナ”じゃない。
――カノン。
初めて言われた時は違和感しかなかったその名前が、今は少しだけ、胸の中にすっと馴染んでいる。
慣れるには時間がかかるだろう。
だけど私は、私自身の歩みを、ここからまた始めるつもりだ。
『朝起きたら女の子になっていた件』を読んでくれた皆様、応援ありがとうございました。
これからもカノンは嬉しいことばかりじゃなくて泣きたいことや辛いこともあると思うけど毎日を頑張って生きていくと思います
またいつかTS書きたいと思うのでその時はよろしくお願いいたします。




