姉の帰還
終業式が終わり、制服のリボンを少し緩めながら校門を出た。空は真夏の手前、どこか名残惜しそうな初夏の匂いがしていた。
家に帰る途中、ずっと気になっていたことがある。
……誰かに、見られている気がする。
気のせいかと思って何度か振り返ったが、それらしき人物の影はなかった。けれど、背中を撫でるようなこの視線の感覚は拭えない。
「やっぱり、天の家で長居するのはよくないかもな……」
そう思いかけたそのとき、スマホが震えた。
――弦水さんからだ。
『カナか、話したいことがあるから今度屋敷に来ておくれ』
「わかりました」と、私は即答した。
このモヤモヤを吹き飛ばしたい。それに、弦水さんの言葉には、何か大事なことが含まれている気がした。
***
「失礼します」
久しぶりに訪れた四条家の屋敷。重厚な扉を抜けて通されたのは、相変わらず静かで広すぎる応接室だった。そこで私を待っていたのは、変わらず背筋の伸びた弦水さんだった。
「待っておったよ、カナ。……あれから加奈子から連絡は?」
「はい。手紙が一通、届きました」
「そうかそうか。実はの、わしのところにも届いたのじゃ」
「そうでしたか……」
弦水さんの目が優しく細められる。その眼差しには、懐かしさと嬉しさが滲んでいた。
「あぁ……もう少しで帰るって書いてあった。だから、カナ。家に戻ってみてはどうじゃ? もし帰ってきた時、誰もいなかったら、加奈子もきっと寂しがる」
「……確かに、その通りですね」
「四宮家には、わしから話しておく。安心して、元の家に帰りなさい」
「ありがとうございます、弦水さん」
***
玄関の前で、私は小さく深呼吸した。
「ただいま」
その一言を、誰もいないはずの空間に投げた。だが次の瞬間――。
「……おかえりなさい」
声が、返ってきた。
「え?」
驚いて靴を脱ぎ捨て、リビングに駆け込む。そこにいたのは、間違いなく――。
「お姉ちゃん……!」
「久しぶり、カナ」
泣き崩れそうな私に、姉はやわらかく笑いかけてきた。
「今までどこで、何してたの……っ?」
私の頬を伝う涙は、止まらなかった。
「ごめんね。心配かけたよね」
私は、これまでに起きたことを全部話した。四宮くんの家に居候していたこと、弦水さんとの出会い、そして――。
「……そうだったのね」
姉は黙って頷きながら、話を聞いてくれた。
「それでさ、姉さんに確かめたいことがあって」
「なに?」
「俺の……身体って、今どんな状態なの?」
「女の子、よ?」
「やっぱり……。戻れたり、しない?」
「難しいわね。でもね、カナ。あなたなら、今のままでもきっと楽しめると思う」
「楽しめる……かな?」
「ええ。お姉ちゃんが保証するわ」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなる。
「心強いよ……ありがとう」
「それより今日ね、四条家でパーティがあるの!」
「えっ、そうなの?」
「ええ。友達も誘っていいらしいから、みうちゃんとか天ちゃんとか、誘ってみたら?」
「うん。そうしてみるよ」
姉と再会した喜びが、胸いっぱいに広がっていく。いろんなことがあったけれど――それでも今、私はちゃんと「帰ってきた」んだと、そう思えた。
そして迎える四条家の夜。何かがまた、少しずつ動き始めていた。




