もう戻れない
「では、これから自己紹介をしてもらいます」
教壇の前で、担任の四葉先生がクラス全体を見渡しながら言った。
その声に、まだどこか緊張の残る教室内が少しざわついた。
「出席番号1番、阿部さんからお願いします」
「はいっ。阿部愛璃です。よろしくお願いします。趣味は――推し活ですっ!」
ちょっと恥ずかしそうに、でも堂々とした声。
クラスの中に小さな笑いと拍手が生まれる。
「阿部さん、ありがとう! 次の人!」
「井越悠。趣味は釣りです」
「坂井千春。食べることが好きです」
「芝本夏海。趣味はキャンプです」
「堂本零時。趣味は……バイクだ」
「先生に乗るのはまだ早いわよ」と四葉先生が軽くツッコミを入れた。
「まだ免許持ってません。見てるだけっす」
返された言葉に、教室がまた少し笑いに包まれる。
自己紹介が進んでいく中で、私は手のひらにじんわり汗をかいていた。
まだ名前を呼ばれていない。けれど、この雰囲気……悪くない。
少しだけ、緊張がほぐれてきた――そんな時だった。
「じゃあ、次で最後ね。えっと、星宮――」
教室のドアが突然開いた。
「すみません! 遅れました!」
ドアの向こうに立っていたのは、銀色のピアスが揺れる長身の男子生徒だった。落ち着いた眼差しと整った顔立ち。だが、第一印象は「自由すぎる男」という感じだった。
「初日から遅刻か、九条」
「すみません!」
「ついでに自己紹介して」
「九条凛。甘いものが好きです。よろしく」
そのまま続けて、別の生徒が立ち上がった。
「四宮天。よろしくお願いします」
落ち着いた声。長い黒髪が肩にかかっている。どこか、只者じゃない雰囲気を纏っていた。
「……じゃあ最後に、星宮」
とうとう私の番が来た。
「星宮叶といいます。よろしくお願いします」
静かにそう言うと、四葉先生が補足するように言った。
「星宮、なにか趣味とかないか? 四宮もそうだけど」
私が口を開こうとした瞬間、先に言葉が飛んできた。
「私の趣味は身体を動かすことだよ」
振り向くと、四宮天が微笑みながら手を挙げていた。
彼女の声が教室に響くと、私は小さく息を吸い込んだ。
「私は……これといって特にありませんが、アニメを見ることが好きです」
そう答えながら、私は彼女――四宮天の顔を見た。
目が合った瞬間、なぜか胸がざわついた。そして、すぐに視線を逸らした。
(……四宮。四条と、関係あるのかしら)
自己紹介が終わり、先生が声を上げた。
「これで自己紹介は終わりですね! それでは、次は校内見学に行きましょう!」
指示に従って、私たちは列を作り、教室を出て職員室へと向かった。
その途中――
「ねぇ、星宮ちゃん」
背後から話しかけられた。振り向くと、そこには四宮天がいた。
「何かな? 四宮さん」
「もう、天でいいよ」
「……天さん。私に何か用ですか?」
「後で話があるの」
それだけを、小さな声で伝えてきた。
「……わかった」
放課後。校内見学も終え、教科書の配布も終わり、ほとんどの生徒が帰宅するなか――
私は屋上へと向かっていた。
ドアを開けると、夕日を背にして彼女が立っていた。
「待ってたよ、叶ちゃん」
「天さん。すみませんがこの後、用事があるので早めにお願いします」
「叶ちゃんたら……もう、すっかり女の子だね!」
「……何を言ってるんですか。私は生まれてから女の子ですよ」
そう答えたけれど、それは嘘だった。
誰にでも言えるような話じゃない。ましてや、クラスメイトには。
「もう、嘘ついちゃってぇ……星宮叶太さん?」
心臓が跳ねた。背筋が冷たくなる。
「……なんのことだよ」
どうして……バレてる? 入学早々、クラスメイトに?
「勘違いしないでください。私はただ――伝えることがあるだけです」
天はそのまま続けた。
「あなた、薬を2回服用しましたね?」
「……ああ。で、それがどうした」
「結論から言います。――あなたは、もう男に戻ることはできません」
「……なんだって?」
耳を疑った。だが彼女は静かにうなずいた。
「最初に服用した薬と、2回目の薬は成分が違います。最初の薬は一時的に変化するもの。でも、2回目に服用した薬は……身体を完全に変えてしまうものです」
「……でも、風邪みたいな症状が出たぞ」
「副作用です。本来なら、その症状に気づいた段階で解毒薬を投与しなければならなかった」
「じゃあ……姉さんが、投与しなかったってことか……」
「お姉さんは、何か事情があったのかもしれませんね」
私は、しばらく黙っていた。心に押し寄せる衝撃が、うまく言葉にできなかった。
「……ありがとう、天さん。少なくとも、自分の身体がどうなってるかは理解できたよ」
「気にしないで。伝えるのが私の役目だっただけだから」
「それじゃ、また」
私は天に背を向け、屋上を後にした。
そして、向かうのは――四条家。
新しい現実と、新しい自分を受け入れるために。
私は、静かに歩き出した。




