はじめましての距離
「おはよう」
教室に入ると、まだ見慣れない顔ぶれがポツポツと席に着いていて、そのうちの何人かが――まるで照れ隠しをするように――小さな声で挨拶を交わしていた。
もちろん、みんなが元気に「おはよう!」と声を張っているわけじゃない。恥ずかしがっている子もいれば、声が小さくて聞こえない子もいるし、「なんて話しかければいいのかわからない」っていう顔をしてる子もいた。
……その点は、私も同じだ。
みうと同じクラスになれなかった今年は、登校中に話す相手もいない。クラスに入って、誰にどう話しかけていいのかもわからず、私は自分の席に黙って腰を下ろした。
心細さを隠すようにバッグから筆箱を出していると、教室のドアが音を立てて開いた。
「席についてー!」
明るい声とともに入ってきたのは、私たちの担任――四葉先生だった。
少し茶髪で、笑いジワが印象的な女性の先生。きっと、まだ若い。
「はーい」と返事する子もいたけど、全体としてはまばらだった。
「今日は先生が号令をかけますが、月曜日からは日直さんにお願いしますね。……あの、返事をちゃんとしましょう」
静まり返った教室に先生の声がすっと通る。思わず私も背筋を伸ばした。
「はい!」という声があちこちから響き、教室が少しだけ明るくなった。
先生は黒板の前に立ち、生徒一人ひとりの顔をゆっくりと見渡してから、言葉を続けた。
「まだ慣れていないのは分かります。でも、挨拶はとても大切です。……話したいけど、なんて声をかけたらいいのかわからない。そう思っている人、この中にもいるんじゃないかな?」
ドキッとした。図星を突かれたように、私は胸が軽く痛んだ。
「でもね――あなたがそう思っているってことは、相手もきっと、同じように思ってるはずです。だから、最初はちょっと恥ずかしいけれど……勇気を出して、声をかけてみてください。挨拶からでいいんです。『おはよう』、それだけで、世界は少し変わると思いますよ」
先生の言葉が、じんわりと心に染みた。
私は、手帳に書いた「友達をつくる」という目標を、ふと思い出していた。
「……なんだか、長くなっちゃいましたね。じゃあ、15分休憩を挟んでから自己紹介を始めましょう」
「はーい!」
今度の返事は、教室にしっかりと響いた。
その時――
「ねぇ! あなた、名前なんて言うの?」
隣の席の子が、くるりとこちらに体を向けて話しかけてきた。
「あ、えっと……星宮叶よ。あなたは?」
「神宮寺真紀! よろしくね!」
真紀ちゃんは、ハツラツとした笑顔がまぶしい女の子だった。ショートカットの髪が跳ねるように揺れている。
「こちらこそ、よろしく」
みうとはクラスが離れてしまったけれど、こうして話しかけてくれる子がいるだけで、すごく安心する。
「先生の話、長かったよねー」
「そうね。でも……私は、良いこと言ってたと思うわよ」
「そうかなぁ?」
真紀ちゃんは首をかしげながらも、どこか楽しそうだった。
「先生、ああ見えて、人間関係で苦労してるのかもしれないわね」
「教師なのに?」
「教師も、人間よ」
「なんか叶ちゃん、すごいね。考え方が大人っぽい」
「そんなことないわよ」
そう話していると、チャイムが鳴り、再び先生が教室に戻ってきた。
「それでは、自己紹介を始めましょうか」
いよいよこのクラスでの最初の関門だ。
高校生活がどんなものになるのか――どんな友達ができるのか――この自己紹介で、ある程度決まってしまうような気がして、私はごくりと息を飲んだ。
(……失敗すれば、陰キャ確定かも)
内心でそう呟きながら、私は自分の番が来るのを待った。胸が、少しだけ早く鳴っていた。




