春の邸宅と秘密の告白
「はじめましてと言った方がいいかの」
重々しい空気の中、老人の声が響いた。座っていたのは、杖を片手にした白髪の男性。年老いてはいるが、その目は曇りなく鋭く、静かな迫力を持っていた。
「はじめまして。星宮叶と申します」
私は自然と姿勢を正していた。こんなにも真っすぐ人の目を見るのは、いつぶりだっただろう。
「……わしは四条弦水じゃ」
その名に、私は少しだけ身を強張らせる。政財界にその名を轟かせる名家、四条家。まさかその主が、私を名指しで呼ぶなんて。
「ご隠居様……私は、なぜここに?」
「それはのう。お主が高校に入る前に、話しておかなければならんことがあるからじゃ」
「話しておかないといけないこと……ですか?」
私の中で、どこかで聞いたことのあるような、だけどまったく知らないことのような――妙なざわめきが広がった。
「そうじゃ。お主の中学には“みう”という者がおったな?」
「はい。今でも親友です」
「ふむ。では、お主――みうの考えていることが、時々わかることはないか?」
「……あります。時々ですが、なんとなく、ですけど」
弦水はその言葉を聞くと、深く、長くうなずいた。
「……決まりじゃな」
「え?」
私の眉が自然と寄る。
「あの、ご隠居様――どういう意味ですか?」
「わしのことは弦水でいい。もう形式ばったのはやめようや」
「……はい。では、弦水様。先ほどの“決まり”というのは?」
老人はゆっくりと息を吐いた。そして口を開いたその瞬間――。
「叶よ。お主とみうは、“双環”の契約者同士じゃ」
「……え?」
思わず言葉を失った。
“契約者”? “双環”? それはまるで物語の中のような言葉だった。
「あの、その前に一つ――」
「なんじゃ?」
「なぜ、弦水様はみうのことをご存知なんですか?」
「ああ、それか。みうの家とは、仕事上のつながりがあってな。わしも小さい頃から知っておる」
「……それで、みうは私と“そのような関係”だと知っているのでしょうか?」
「知らんじゃろうな。知っていたら、もうお主に言っておるはずじゃ」
「……言わなくていいんですか?」
「よい。じゃが、叶よ――みうはお主のことが、好きなのではないかの?」
「……分かりません」
それが正直な気持ちだった。
私が“男”であることを知らず、それでも笑ってくれる彼女が、本当は何を思っているのか。私は、彼女の表情を思い出すたびに、答えのない問いに苦しんでいた。
「……そうか」
弦水はそれ以上詮索せず、穏やかに目を伏せた。
「話は変わるが、叶よ。かなこ――お主の姉じゃな。家族のことで、何か聞いておるか?」
「いえ。父も母も仕事で海外にいるということしか……」
「そうか……」
老人は目を閉じた。しばらく静寂が流れたあと――彼はそっと、目を開いた。
「叶よ。もし次にこの屋敷に来ることがあれば、話したいことがある。お主の家族についてじゃ」
「……分かりました」
自分でも驚くほど、冷静に返事をしていた。
だが、心の奥では小さく雷が鳴っていた。
私の“家族”――。
そこに、まだ知らない真実があるのだろうか。
***
邸宅を出て、私はもうひとつの約束を果たすため、みうの家へ向かう。
彼女に会えば、きっと笑顔で迎えてくれるだろう。
だけど、その笑顔の裏にある気持ちを、私はこれまでよりもずっと近くで感じてしまう気がして、胸が少しだけ痛んだ。
春の風が、そっと頬をなでた。
あの日常の向こうに、知らなかった真実と感情が、少しずつ動き出しているのを感じていた。
──つづく。




