これは悪女が幸せになるための物語です
「イザベラ・ヘイゼル!豊穣の聖女であるサリー・ハートランドへ行った数々の傷害の罪により、1ヶ月の謹慎を言い渡す!」
「ジーク、これは一体どういうことなの!?」
イザベラの婚約者ジークフリート・リーゼンヘルムは【王国の漆黒の鷹】と称される美しき伯爵。その18歳の誕生祝いで賑わうパーティーホールで突然言い渡された覚えのない罪状の数々に、イザベラは抗議の声を上げた。
「ジークフリート様〜イザベラ様が怖いですう〜」
「大丈夫だサリー。イザベラには俺がしっかり言って聞かせるから」
ジークフリートの腕にしがみつき小動物のようにブルブルと怯えているのは、あらゆる植物を一瞬にして成長させる力を持つ豊穣の聖女サリー・ハートランドだ。
サリーはB領の農家の娘にすぎなかったが、ある日突然不思議な力に目覚めたらしい。数週間前から聖女として屋敷に住み始めた。
大きなリボンをつけた桃色のボブヘアの聖女は、その豊かな胸をジークフリートの腕に押し付けながら「でもでも怖いの〜」と目をうるうるさせている。
「濡れ衣ですわ!サリーが不特定多数の男性に馴れなれしくしていたことや、聖女としての勉強を怠けていたことを注意したことはあれど、傷つけようとしたことなど一度もございません!」
「イザベラ……俺とて君を信じたいが、君がサリーを池に突き落とそうとしたり階段から突き落とそうとしたり窓から突き落とそうとしたり崖から突き落とそうとしているのを確かに見たという証言があるのだ。素直に罪を認めてくれ」
「そんなっ!5年前に13歳でB領に来て以来、貴方の婚約者として血の滲むような努力をしてきたわたくしより、会ったばかりのサリーの言う事を信じると言うのですか?」
確かにサリーが勝手に池や階段や窓や崖から落ちた事はあったが、イザベラは何もしていない。
サリーを見てみれば、こみ上げてくる笑いを必死に抑えているではないか。イザベラはサリーの罠に嵌められ【悪女】に仕立てあげられたのだ。
真実に気づかないジークフリートは、無実を訴えるイザベラから苦しげに視線を外す。
「っ……!!知っての通り、このB領は昨今の干ばつにより財政難に陥っている。そんな中で現れた豊穣の聖女を我々は大事にせねばならない。わかってくれ、イザベラ」
「……わたくしを信じてくださらないのね」
イザベラはその美しい紫色の瞳に涙を浮かべて悲しそうに微笑むと、パーティー会場を飛び出した。
だが、意地の悪い継母と義姉が支配している都の実家ヘイゼル侯爵家に帰ることなど出来るはずもなく、結局はジークフリートの指示のもと森の中にあるリーゼンヘルム伯爵家の別邸に謹慎することとなった。
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その翌日。偶然森で助けた白兎が実はシュバルツという名の妖精であることが判明し、お礼として豊穣の魔法の力を得たイザベラはB領に再び豊かな実りを取り戻そうと決意する。
(親切にしてくれたB領に恩返しをしたら、わたくしはこのB領を……ジークのもとを去りましょう。だって、ジークはサリーを選んだのだもの)
イザベラは男装をしてリヒトと名を偽り、使用人たちの目を盗み毎日こっそり別邸を抜け出しては領地で活動を開始した。
そうして、偶然知り合ったおそらくイケメンであろう仮面姿の義賊の力を借りて数々のピンチを潜り抜け、とうとうB領に豊かな実りを取り戻したのである。
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1ヶ月に渡る謹慎の終わりが近づいたある日。
イザベラが兎姿のシュバルツを膝に乗せてモフモフしていると、侍女が「イザベラ様、大変です!」と部屋に飛び込んできた。
「伯爵様から舞踏会の招待状とドレスが贈られてきました!」
「ジークフリートが?」
それは趣味の良いデザインの空色のドレスだった。
「これはわたくしが好きな色だわ。ジーク……うっ!!」
イザベラがドレスの前で感動していると、背後から何者かがイザベラの口元に薬品を染み込ませた布を押しつけてきた。
空色だった目の前が真っ暗になり、イザベラは気を失った。
ーー気がつけば、見覚えのない廃屋のような場所にイザベラはいた。
手足を縛られ硬い床に投げ捨てられていたため、体のあちこちが擦り切れたように痛い。
「ごきげんよう、イザベラ様」
背後から声がして振り向くと、邪悪な微笑みをたたえたサリーがイザベラを見下ろしていた。
「サリー!これは一体どういうこと!?」
「別邸の侍女を買収してアンタを攫ってきたの。今日からここがアンタの住む場所よ。アンタ、豊穣の魔法が使えるようになったらしいじゃない。なんて好都合なの!アタシはやっぱり神に愛されてるわ!ーーイザベラ、アンタは一生ここでアタシの命令に従って豊穣の魔法を使い続けるのよ」
「どうしてわたくしを!?自分の魔法を使えばいいじゃない!ーーはっ!サリー、まさか豊穣の魔法が使えるというのは嘘だったの?」
「っうるさい!伯爵夫人の座を手に入れてしまえばどうとでも誤魔化せるハズだったのよ!なのにジークフリートはイザベライザベラってアンタのことばかり!!」
「馬鹿な真似はやめてちょうだい!ーー誰か!誰かいないの!?」
「はんっ!どうしても逆らうつもりなのね。なら酷い目にあわせてあげる。お兄ちゃん、やっちゃってよ!!」
醜く顔を歪めたサリーが叫ぶと、その背後から筋骨隆々のスキンヘッドの男が出てきてイザベラを乱暴に組み敷いた。
「いやあ!やめて!」
「あっはっは!いいザマだわ。ずーっと気に食わなかったんだよアンタのことが!侯爵令嬢だかなんだか知らないけど、いつもいつも気取った顔でアタシを見下して、アタシがやることにエラそーに口出してきてさ!ーーでも、アタシは優しいから許してあげるよ。これからはアタシのかわいいかわいい奴隷としてこき使ってア・ゲ・ル」
サリーはイザベラの目の前に空色のドレスをかざすと、手にしたハサミでドレスを切り裂き始めた。
「やめて!それはジークがくれたドレスなの……」
「おいおい。ドレスの心配してる暇なんてあるのかあ!?」
サリーの兄がゲスな笑みを浮かべイザベラの服の胸元に手をかけた時だった。
「イザベラ!!」
廃屋に仮面をつけたおそらくイケメンであろう義賊が飛び込んできた。
そして持っていた剣でザッ!とサリーの兄を斬りつけると、腰を抜かして口をパクパクとしているサリーを無視してイザベラの手足の縄を切る。
「いつも助けてくれる義賊さん!どうしてここに!?」
「イザベラがいつも連れていた兎が突然現れてな。イザベラがピンチだと報せてくれたんだ」
「そう、シュバルツが報せてくれたのね……助けにきてくれてありがとう、義賊さん」
「さあ、リーゼンヘルム邸に帰ろう」
「……いいえ。わたくしは帰らないわ。望まれない婚約者のわたくしが帰ってもジークの邪魔になるだけ……ねえ義賊さん。よかったらこのまま、わたくしを連れ去ってくださらないかしら?」
「イザベラ……!実は俺がジークフリートなんだ」
寂しげに微笑むイザベラを前に、義賊はたまりかねたようにその仮面と帽子を取る。
「ジーク!じゃあ、この1ヶ月間わたくしを側で支え続けてくれたのは……」
「イザベラが密かに別邸を抜け出していると聞いてな。そして君の領地を救いたいという気持ちを知ってな。地位に縛られる伯爵の俺ではなく1人の男として君を支えるために仮面を被ったんだ」
「なんということでしょう」
「そして俺は真実を知った……」
ジークフリートは青ざめるサリーを睨みつけると、鋭い剣の先を突きつけた。
「ジッ、ジークフリード様!違うのです!アタシは騙されて…そう!この女に騙されて利用されただけなのです!アタシはただB領の力になりたい一心で……」
「サリー・ハートランド!貴様が聖女を騙ったことは既に調べがついている!そしてイザベラを貶めようとした所業の数々、到底許されるものではない!」
「許してください!ね?ね?ジークフリード様あ〜」
胸元を寄せて上目遣いで許しを乞うサリーを、ジークフリードは汚らしいものでも見るかのように睨みつけた。
「おまえは何か勘違いをしているようだな。俺は聖女を尊重していただけでおまえ自身に興味があったわけではない。俺はイザベル以外の女などどうでもいいんだ」
「そんなああ!」
「この重罪人を引っ捕らえろ!」
ジークフリートの命令と共に兵士たちが廃屋に入ってきてサリーとその兄を連行していく。往生際の悪いサリーは「アタシは悪くない!悪いのはその女よ!」となおも人に罪を押し付けようとしていた。
そうして2人きりになると、ジークフリードはイザベラの手を握り、熱のこもった瞳でジッと見つめてきた
イザベラは恥ずかしさに耐えかねて思わず顔を伏せる。
「イザベラ、怒っているのか?……いや、怒って当然だな。それだけのことを俺はしてしまった。ーーイザベラ、真実に気づかなかった愚かな俺を許してくれとは言わない。しかし、それでも君を愛し続けることだけはどうか許してくれないだろうか」
「ジーク……」
イザベラが顔をあげると、ジークフリートは叱られた子犬のようにしょげている。イザベラは思わず「ふふふ」と笑うと、足元に落ちていたズタズタの空色のドレスを拾い上げた。
「わたくしたち、ずっと心がすれ違っていたのね……ねえ、ジーク。わたくしは貴方にふさわしい大人の淑女になるためにずっと子供っぽい色のドレスを避けていたの。でも貴方は覚えていてくれたのね。出会ったばかりの頃、空色が好きだと言ったわたくしの言葉を……」
「イザベラ……もちろん覚えている。君の言葉も、見ていて飽きないくるくる変わる表情も、すべて覚えているよ……!」
「ジークフリート!」
ジークフリートに抱きしめられたイザベラは、ふと廃屋の入り口からに白兎姿のシュバルツが覗いていることに気づく。
ーーよかったな、イザベラ!
テレパシーで語りかけたきたシュバルツの言葉にイザベラは微笑みながら頷く。
「ええ。本当によかった。私…本当に幸せだわ!」
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「ふふふ……やはり悪女はこうでなくては」
薄暗い地下牢の中で、鎖に繋がれたサリーことプリンセス・ヴィランは天に向かって語りかける。その顔は誇らしげで、達成感に満ちていた。
「貴方もこれで満足できたのではなくって?」
ーーカチリ。
次の瞬間、手足を捕えていた鎖が外れ牢の鍵が開く音がした。
牢の外へ出てみれば、見張りの兵士たちは全員眠るように倒れている。
「……なるほど。これが返事というわけね?」
「ーーある時はマーゴット、ある時はエリザベス、ある時はキャサリーン、ある時はプリシラ……そして今度はサリーとして。お望み通り、物語をもっともっと引っ掻き回してあげるわ。貴方が満足するまで……」
プリンセス・ヴィランは天を仰ぎ意地悪そうな笑みを浮かべた。
そしてドレスの裾をひるがえして悠々と地下牢の階段を上がっていく。
「ああ、幸せ。わたくし…悪女に生まれて本当に幸せだわ」
【続く】
続きません!