23.大胆に仕掛けて
誰にも気が付かれないようにふうっ息小さく息を吐くと、私は右手でそっと耳を触ってソティカがつけてくれたイヤリングを取った。
(……回避するなら今しかない)
意を決して、咳き込み始めた。
「げほっ、げほっげほっ」
「……ルミエーラ様、大丈夫ですか?」
「ル、ルミエーラ!」
あくまで落ち着いた声色のディートリヒ卿と、不安げな声色になるバートンは、緊張が消えたわけではないが、精一杯自分の役目を果たそうとしてくれた。
「も、もしかして体調が優れないのか」
「おや、それは困りましたね。でしたらさっさとお見合いを終わらせてしまいましょう」
私が弱々しく頷くと同時に、フォルメント伯爵が口を開いた。そう非情なことを言い放つ伯爵もまた、自身の役割を全うしようとしていた。
(さすがに咳き込むだけでこの席がなくなるなんて、私も思ってない)
下を向いているせいで、第二王子がどんな表情をしているかはわからない。彼が近くにいるだけで、不敬の二文字は頭から離れない。けれど、私は私で自分の意思を貫くと決めた。
「はあっ……はあっ……」
「ルミエーラ、大丈夫なのか」
「ルミエーラ様……」
過呼吸気味になり始めると、ディートリヒ卿が支えようとしてくれた。その手を第二王子側に見えないように左手で振り払う。
「!」
(ごめんなさいディートリヒ卿、今は離れて)
その意図が伝わったかはわからないが、彼はそっと手を下ろした。それを背中で感じると、再び咳き込む。
「げほっ、げほっ……!!」
その瞬間、血が床に飛び散る。
「ルミエーラ!!」
「!!」
バートンから本気で驚く声が聞こえる。
「!」
「えっ……」
フォルメント伯爵の声が耳に届くと、第二王子にも血を吐く姿が見えたと判断した。そして、全身の力を抜いて前へ倒れる。
「ルミエーラ様……!」
ドサリと床へ倒れ込むと、ディートリヒ卿がすぐさましゃがみこんだ。かと思えば、ふわりと抱き上げる。
「神官長様!」
「運びなさい、命が最優先だ……!」
(ごめんなさいバートン、あとは任せました)
結果的にバートンに丸投げになるやり方だが、声の震えはいつの間にか止まっており、安心して後のことを任せられた。
「第二王子様、フォルメント伯爵様、緊急事態ですのでこの場を離れることをお許しください。失礼致します」
「……わかった」
「は、はい」
私の分までディートリヒ卿が頭を下げると、足早に礼拝堂を後にした。
(……倒れたフリってどのくらい続ければ良いんだろう)
そんなことを考えていると、別棟に近付いていく感覚があった。自室ではない、どこかの部屋に入ると、ディートリヒ卿はそっと私を下ろした。
(これは……ベッド?)
柔らかい場所に座らされると、ディートリヒ卿の柔らかな声が聞こえた。
「もう目を開けて大丈夫ですよ」
(……ここは)
「少しここでお待ちください」
目を合わせて微笑まれると、ディートリヒ卿はその場をすぐに離れた。辺りを見渡すと、ここがどこだかわかった。
(ここ、多分別棟にある簡易的な保健室だ)
普段私は、何かあればソティカが自室で対応をしてくれるので、保健室は存在だけ知って利用したことはなかった。
「ルミエーラ様、手を出してください」
(あ……さすがに傍にいたディートリヒ卿にはわかったのか。誰にも見えないように気を付けてたんだけど、後ろは無理だったかぁ)
そんなことを考えながら、ぎゅっと握りしめていた右手を開いた。その途端に、ディートリヒ卿の表情が暗くなる。
「……消毒しますね」
(……お願いします)
手の中には、血まみれの大ぶりのイヤリングと、それを握りしめたことでにじみ出た血があった。
ディートリヒ卿はしゃがみこむと、そのイヤリングをどかして、まずはそっと血を拭き取ってくれる。そして、優しい手付きで消毒をし始めてくれた。
(うっ、沁みる!)
「あっ。すみません、大丈夫ですか?」
(大丈夫です……続けてください)
消毒の液体が酷く手に沁みる。
そう、先程吐き出したように見えた血は、意図的に出したものだった。血糊のようなものがあればよかったのだけど、それを手配する時間も余裕もなかった。
道しるべから導き出された答えは、朝に見た夢と同じ行動をするというものだった。
夢の私は血を吐いていたのだが、どうやってまでかはわからなかった。健康状態が同じなら、絶対に自然と出たものではないのは明らかで、どうにかするしかなかったのだ。
自分で血をださなければならないあの状況で、とっさに思い浮かんだのは、大ぶりのイヤリングを力一杯握りしめて、自傷さることくらいだった。
手から出ることを気付かれないように、咳き込む勢いで、バレないように素早く手を振った。結果、床に血を飛び散らせることに成功した。
「無茶をなさいましたね……」
(ごめんなさい、これしか思い浮かばなかったの)
声色は決して怒っているわけではなく、あくまでも心配で不安であるという思いが込められたものだった。
その手は背中で感じた時と同じ、温かなものに代わりはなかった。
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