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竜、罵る


 しばらくディオはイザドラが何を言ったかわからなかったが、酔っ払いのほうはすぐにでもその意味がわかったらしい。にたぁ、といやらしい笑みを深めたのが、見えないディオでも気配でわかった。


「で、幾ら」


「まずは豪邸だな」


 す、とイザドラが綺麗に足を組む。


「この酒場の五倍はほしい。勿論平屋じゃなく二階建てで、玄関はびっしり彫刻の入った象牙で飾る。入ると大きな五段重ねのシャンデリアと、六十人のメイドの出迎えだ。メイドの数はそれだけじゃないぞ? それらは出迎え専門のメイドだ、それ以外にもたっぷりいるな――私の着替えを手伝うのに十人は用意するんだ。衣裳部屋の中は十人がかりで着るような豪奢な服ばかりになるのだからな。ギャリソンも同じ数だけほしいが我慢しよう、十分の一で良い。地下には酒蔵があって、私のためだけの酒場がある。酒は皆ガラスの瓶に入っていて、それ一本で屋敷を買い取れるような値段のものだ。パーティーはどうしようかな。毎日というのも豪気だが気疲れしそうだ、二日おきにしよう。各国の王族を呼べよ。戦争してようが政争してようがやってきて私の足に口付けをさせろ。然る後――」


 足を組み、グラスを片手に、イザドラが男を見下す。


「君にはその屋敷の外で物乞いをする権利をあげよう。よかったな」

「やめてやってくれ可哀想だ」


 おもわず口を挟んでしまった。


酔っ払いの背中で酔っ払いの顔が見えない。見えてても正視できないと思う。


繰り返すが。


やめてやってくれ。


可哀想だ。


「別にこの男に直接悪口言ってるわけじゃないぞダーリン」

「今のな、お前の目はな、明日死ぬ死刑囚の頭を踏んで来週の予定を話すような目だったよ」


 言葉の内容に罪はないのに、神経を逆なでどころか鑢にかけるような苛立ちと敗北感を覚える。


「あとな、ダーリンじゃねぇ」

「おいおい、ちゃんと芝居をしろよな。これだから童貞は」

「おい、なぁ、聞いたか。今の人の心を的確に抉って塩塗って唾を吐くような悪口聞いたか!」


 なみだ目の言葉を酔っ払いに問いかける。


 というか、酔っ払いはディオの倍出すと言っていたはずで、つまりディオが仮に(ぞっとする仮定で)(現状ありえないことで)(想像するだに恐ろしいが)イザドラに手を出すとすると今言った内容の半分を払わされて、その上物乞いにされるということだ。(やっぱりぞっとする)


多分コイツは本気だ。


絶対コイツのダーリンにだけはならない。


「止めとけ」


 ぷるぷるぷる、と震える酔っ払いの肩に手をかける。


ディオは心底から親切心をこめながらいった。


「この女は止めとけ」


わかってくれると良いな。


そして道を誤らずに、もうイザドラに変にかまって傷つくことがないと良いな、と、ディオは真剣に思ったのだが。


「ざけんなよ!」


 と叫んだ酔っ払いに手を振り払われた時、ああ、そうなるよね、とも真剣に思った。


そりゃそうだ。


自分でもそうなる。


「このッ、このスベタぁ……!」


 下から順に酔っ払いの顔が真っ赤になっていく。


「北の売女がよ、てめぇ、それに、金物屋がッ……俺を、俺をコケにッ……クソ、クソアマ、クソがッ……」

「ディオ、私はキれたときでも君のように口の回る男が良いな。コイツは怒らせても楽しくないぞ」

「やめろ、今彼は人生をかけた屈辱の中にいるんだ。女に袖にされたことのない奴が口を出すなマジで。いやマジで。俺は一発殴られても文句ない。こんな劇薬なみに触れると危険な女を酒場に連れてきて監督しきれなかった俺の罪は重い」

「おお、見たかね君」イザドラが酔っ払いに言う。「私の連れは一人前だ」

「責任感だけはな」

「だったらあの晩の責任とってよダーリン!」

「どの晩に俺が何をしたのか考えてきたら法廷で争ってやるからかかって来い」

「………………ぁぁぅぁぁぁぁああ……!」


 なんかもう、酔っ払いの顔はトマトのようになっていた。


良い具合に熟れたそれのように真っ赤っかで、はちきれそうだ。


多分もう、あんまりにも色々昂ぶりすぎて、自分でも吐き出しどころがわらないんだろう。


そんな様子を見て、ディオが思わずにも呟いてしまったのが、はじけるきっかけだったのだ。


一言、


「……かわいそう」


 と。


「だぁあああああああああれがぁあああああああああああああああ!」


 叫んだ酔っ払いの気持ちは大変わかる。


凄くわかる。


ディオは責任を感じているし、一発殴られても良い。


「でもやっぱり痛いのやだな」


 酔っ払いがグルンと回って吹き飛んで、テーブルを三つなぎ倒して着地した。


 シン、と酒場の空気が静まる。


十秒ほどして、イザドラが口をひらいた。


「……なぁ」

「なんだよ、あきれた顔して」

「自分でやるんならそういってくれないか。軽ぅくやっちゃったじゃないか」

「……俺もこんなになるとは思ってなかった」


 酔っ払いが叫んだときにイザドラは軽く「トンッ」と(あくまでイザドラにとって軽く)突き飛ばそうとしていた。


一方ディオは骨をつかって、足払いをかけて酔っ払いの重心をグチャグチャにしようとしていた。


「結果、ふわりと体が浮いたところを突き飛ばされた可哀想な彼は……」

「……可哀想なことに予想以上に可哀想な目にあってしまった、と」


 二人は顔をあわせる。


「「……可哀想なことしたな」」

「坊」


 マスターが親指を立てる。


「来週、夫婦漫才の大会が教会前広場であるんだが」

「マスターちょっと店の心配しろよ潰れすぎてんのに慣れすぎてんだろ」


 そしてこの空気をどうにかしてほしい。


荒くれものどもが酒っ気を飛ばして小動物のように息を潜めているんだが。


 もっとも、ディオが何かやった、ということがわかっているものはいないのだろう。もしディオが足払いをかけただけならまだしも、イザドラの「トンッ」が強烈すぎてさっぱり印象に残ってないに違いない。


さて、もし自分が楽しくおかしくお酒を飲んでいたら、突然騒ぎ声が響いて、大の男が子供に遊ばれたタンポポの綿毛のように飛んできたらどう思うだろう。


ディオならその場で石のふりをする。


戻れなくなるかもしれないと思うくらい真剣に真似する。


「坊」


 マスターがブイサインをする。


「ちなみに漫才大会の賞金がなかなかの額なんだが」

「あれーマスターも俺の話が聞こえなくなってるぞ!?」


 全力で驚いて見せるディオ。


いつの間にか元の席に戻っているイザドラ。


「マスター。キャベツの奴おかわり」

「どさくさ紛れにふざけるんじゃありませんわよ無一文コラ!」

「心配するな、ちゃんと分けてあげるから」


 イザドラは恐ろしく冷たい目になって、続ける。


「――芸をしたらな」

「俺! の! 財布! 代金! 俺の!」

「坊」


 マスターがキャベツの小鉢を出しながら言う。


「副賞は銘酒『小春日和』なんだ。それが欲しい」

「マスターせめて何か取り繕ってくれ何か小さいもので良いからハードボイルドを身に纏って!」

「ティロリロリン、クエスト『初めての共同作業』が発生しました」

「何語だ! イザドラそれどこの世界の言葉なんだ教えてくれ!」

「はい、あーん」

「いらねぇよ!」

「はい、おっぴょっぴょー」

「してやろうか! ここでしてやろうかそしたら俺の話を聞くか!?」


 もうヤダ。


もうお酒ヤダ。


お酒、嫌な奴、話聞かない。イコール。


だからお酒呑んで忘れる。キャーゴウリテキー。


と、ディオの脳裏で健康によろしいようなよろしくないような条件付けが結ばれた。


「もう知らない! もーしーらない! 夫婦漫才の話禁止! あーやだやだマスターお酒!」

「ディオって酔ってテンパるとこうなるのか……」

「男の醜態をな、あんまり見てやるモンじゃねェぜ、嬢ちゃん」

「唐突にハードボイルド復旧させんなよ! あ、いま変な顔したな! クソまた夫婦漫才っていうつもりだな! くそ言わせねぇぞ次言った奴はグーパンなグーパン! 夫婦漫才って言った奴ぐーうーぱーんーちー!」

「よしよし、良い子だから泣かないの」

「坊、肉食うか? おごるぞ。上手いぞ」

「優しさという名の凶器!」

「おいおい」


 ふらり、と。


「うちのモンがバカやらかしたっつーからきてみりゃあ、なんだコリャ。漫才大会の予選か?」


 その男はイザドラたちの横に居た。


「――ッ!?」

「夫婦漫才大会って聞いてたのによ。トリオも出れんのかよ、きいてねえって。エリーと打ち合わせやり直しだな」


 ぞっとするような。


怖気がするような。


 そういうものを、気配を殺せる人間はもっているものだと、今までの経験からイザドラは思っていた。いままでそこにいなかった分、現れた途端、なにかをそこに撒き散らしてしまう――いなかった分の空白に、より鮮烈に印象付けて散らしてしまうものなのだと、理解していた。


だからぞっとした。


怖気がした。


「いつから……」


 じゃ、ない。


いつ着たんだとしても、こんなに何も感じないなんておかしい。


いつから居たのかわからないのに、わからなくて良いような気分になるなんて、怖い。


男は、そう理解してからじゃないと恐怖できないくらい。


普通に、そこに居た。


「まったく、ただでさえ優勝候補が手ごわいってのにな。――あれ、ディオ。ヴァレリーちゃんと一緒じゃないのか? おいおい相方まで変えてくるのかよこりゃガチの接戦になるな。厳しいぜー。前年度チャンプはもうちょっと手加減しろよなー」

「……」

「ん、あれ、どしたよ。ホラ、お前の親友ですよ。夫婦漫才大会永遠の二番手にしてお前の後ろから狙うものリックですよ。夫婦漫才の妙手と名高いながらも毎回お前に負けて涙をのんでるリック・ホークリスですよ」

「…………」

「クソ、ライバルには声もかけねぇってか。しかしうれしいぜディオ。俺のことをそこまで買ってくれてるとは。俺はいつもおびえてたんだ。俺たちの渾身のネタ。入魂のシバキ合いを遠めに見ながら、お前は冷笑しているんじゃないか。夫婦漫才の帝王の、歯牙にもかかってない、視界に入りすらしない俺たちなんじゃないかって」

「………………」

「しかしいま! そのおびえは消えた! 夫婦の、夫婦による、夫婦漫才のための夫婦のようなお前たちコンビに、そして意地を張ってもらえるほど、俺たちは認められていたんだな! お前がうつろな目をして世界をはかなんでいるような顔で口元でなにかブツブツとつぶやくような真似をしてまで! そんな顔をするくらい精神力を使ってまで! この俺と袂を別ってくれるんだな!」

「……………………」

「夫婦漫才の王よ! 夫婦漫才の、道を切り開く、偉大な俺の親友よ! 俺はうれしい! お前が俺を意識してくれることが! 俺たちコンビを敵手と認めてくれるんだな! ありがとう! そして、ありがとうだ! 戦おう! 俺たちはライバルなんだ! ああ、頼む、握手だけ、してくれないか? 健闘と、決勝戦での再開を誓う握手を!」

「…………………………………………」

「――ふ、そうだな、俺たちにいまさらそんなものは要らないな……」

「………………………………………シネ……………………………………………」

「? ああ、そうだな、ディオ」



「来週の夫婦漫才大会で会おう!」


「うぶぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 宣言どおりのグーパンチが男の顔面に決まった。

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