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竜、演じる


 動かすたび断末魔をあげる木戸、丸テーブルとカウンター。棚にならんだ安酒と見渡す限りの飲んだくれ、ろくでなし、少しの正気者(それはつまり警戒を怠らない凄腕の荒くれ連中だ)


 あとは戦記物を歌う吟遊詩人さえいれば、絵にかいたような酒場の出来上がりだが、ここにはそれはいなかった。ーーおとなしく歌を聞く奴なんていないことと、酒以外に金なんて払うつもりの無い奴ばっかりなことが、その理由だ。


 そんな酒場というのはつまり、この世の果てということだ。そういうふうにディオは思っている。

そしてディオの家の前のこの酒場は、世界の果てでも一等のどん詰まりだ。


 ディオが扉を潜ったことに気づいたものは酒場のなかでも五人といなかったろう。扉にくくってあるはずの真鍮の鐘は喧嘩のたびにぶっ壊されて十二個目を数えたところでマスターはディオに修理を頼まなくなった。十二個壊れるのに一週間かからなかったのだから


 あたりまえだろう。いまではひしゃげてつぶれて元の形のわからない金屑が木戸のすみにぶら下がっている。真鍮の輝きだけがそのままなのをみて、ディオは酒場に来るたびにうんざりする。

いらっしゃい、とマスターが呟いた言葉も、ディオの元には蚊の鳴き声のようにしか届かない。


 そんな酒場でもイザドラが入ってくれば、わずかばかりざわめきが収まった。


 ディオの隣を通りすぎたイザドラは迷いの無い歩調でその長い足を進め荒くれどものド真ん中をつっきっていく。ちょうど十歩の間、金色の短い髪を揺らして、カウンターへ向かう。


 ガッ、と。


 ひときわ大きな音をたてて、椅子に体を投げ出して、イザドラは大仰に足を組んだ。


「酒」


 と、一言。


 糞度胸め、とディオは毒づいた。



「嬢ちゃん」イザドラの声に壮年のマスターが、持っていたグラスを静かにおいて答える。「注文するならきちんと頼みな」


「ん、ああ、すまないなマスター。なにかガッと来る酒を頼むよ。あとは酢漬けをいくつか」

「キツイのは高いよ」

「かまわないよ、適当に頼む」

「待て待て待て」


  ディオもカウンターに進む。


「勝手に頼むな俺の財布だぞ。マスター、一番左のでいいよ」

「おいディオ、それは一番安いのだろう。男が酒場でケチケチするな」

「居候は黙ってやがれ。俺の食卓をこれ以上貧相にされてたまるか」

「坊の連れか」


 と、マスターが酢漬けを並べながら言う。


「またべっぴんを連れ込んだもんだな。役人のお嬢はいいのかい」

「マスター、べっぴんって言うのは二人前食う女には使わねぇよ」


 ちげぇねぇ、と笑うマスターに、なにか言おうとしたイザドラが毒気を抜かれたように口をつぐむ。

そのままマスターは棚の中ほどの酒を二人の前においた。


「マスター」

「だけどよ坊、二人前の嬢ちゃんの言うのも確かだぜ」


 この国の酒場では、棚の左から順に酒の値段が並んでいるのが普通だ。


 ガラスの瓶にーーこれだけでずいぶんいい酒なのがわかるーー入った酒をおいて、マスターが言う。


「ずいぶん丈夫な金物を商ってるらしいじゃねぇか」

「――ベンディおじさんの品のことかな」

「それよ。今度よ、その職人にドアベルを頼んでくれよ」


 マスターがちら、と入り口に視線を向ける。


「肉屋の石頭をどついてもへこまなかったらしいじゃねぇか、それならアホタレども相手でもちったぁ持つだろ」


 あとはもちっとマメに来て、良いもん食ってけ。とそれだけいうと、マスターはカウンターの端へ歩いて、グラスを磨き始める。


 へ、と笑って。「ったくよ、マスターにゃかなわねぇな」


 なぁ、と横を見るとイザドラはとっくに飲み始めていた。


「おーいしー」

「お前さぁ!」

「ディオいいねこれ、このキャベツのやついいね」

「ちょっとは待てよ! んで感じ入れよ! 今まさに俺とマスターのハートフルな全く新しい!」

「そういうの私興味ないし」


 しれっと言い放って酢漬けをパクつき始めるイザドラの横顔をげんなりとみつめる。もちろん気にするたまではなく、あっというまに「いい」らしいキャベツの酢漬けは小鉢からなくなってしまっていた。


「マスター、おかわり」

「いいかげんにしろ」


 結局出てくる小鉢を、今度はとられないように気を付けながら手元に引き寄せる。


(しかし)


 そうしながら、イザドラの横顔を盗み見る。


(べっぴん、ね)


 考える。


 マスターの言う通りこうしてみると、確かにイザドラは美人の部類にはいる。あれだけのことをされて、今も苛立ち混じりにみているのにそう思うのだから、実際中々のものなんだろう。(金髪がこの辺りだと珍しいのもあるとは思う)


 一応こういう酒場だ、女の身で来て厄介事にならないように、ディオが手入れしてあった鎧を着てくるように言ってあったが、正直あまり意味はなかったかも知れなかった。


 むしろ普通の美人が来るよりも、女だてらに板金鎧なんて着てきたせいで悪目立ちしている様な気がしてくるのだった。


「はいディオ、あーん」

「なんでそうなる!?」

「こっち見てるから食べたいのかなー、と」

「だからなんでその察し方でそうなるんだよ! 普通に「食べる?」 でいいじゃん!

「いいからちょっとくらい合わせろ」イザドラが声を潜める。「こういうとこで飲むんなら少しは芝居がいるだろう」


すかさずはいあーん、と差し出されたキャベツに戸惑うと、口に無理矢理突っ込まれた。


「えふっ!? おうふっ!?」

「もうダーリン恥ずかしがらずにー」

「誰がダーリンか!」

「はい、ぎゃばーん」

「どんな顔すればいいんだ……」


 いいつつも、今度は自分から(キャベツ突っ込まれたくなさに)口にいれる。


「そうそう、美人には悪い虫がたかるんだ。そうやって見せつけてせいぜい虫除け頑張ってくれ」

「飯時に虫とかたかるとかいうなよな……」

「お、美人は否定しないんだな」

「俺の爺さん曰く、偽貨ほど表は美しく繕われる」


 よって婆さんに騙された、と言ってはぶん殴られるまでがワンセットの金言だった。

そうして見た目ばっかりマシに生まれたパープリンが、ディオの母を見事に騙して引っ掻けた結果ディオはいるのだが。


「真理だねぇ、あとは実践が伴ってればこんな厄介事を抱え込まなくてもよかったのに。お祖父様が草葉の陰で泣いてるぞ」

「だから悪人は一度ドブに落として使うとも言ってたな。溝鼠みたいなのが強盗だと思うかよ。ずだ袋しまい忘れたのかと思ったよ最初見たときは」

「ま、取り入れるようにいくらかは芝居をした」

「やっぱりか」


 行き倒れて迷い込んだ、というには、イザドラの脅しや要求は計画的だった。


「考えりゃ行き倒れが鎧戸閉めるわけもねぇか。くっそ、どっからどこまで計算ずくだったんだ」

「徹頭徹尾だったんだがな、あれだ、きみの首ったま握ったあたりから計画が狂った」

「……悪人がいる」

「そのあまりのうなじの手触りのよさに」

「嘘つきがいる!」


 はは、とイザドラが笑う。


 珍しく朗らかだ。


「良い酒場だな。少し騒がしいが、料理がうまい」

「呑む相手が良いのさ」

「そういうのはな、そういう台詞を素面でも言える男の台詞だ」


 昼日中に練習でもするんだな、と言われる。


「せっかく目の前にあるんだ、たまには店を休んで遊べば良い。そういう洒落っ気がないから女っ気までないんだ」

「ほっとけ、店に来づれぇんだよ」

「ほら」とイザドラがディオのグラスに酒を注ぐ。「で、なんでだ。店主に気に入られて来づらい店があるか」

「なめられてるからな」

「よう金物屋ぁ!」


 甲高い声がした。


「おいおい上玉じゃんやべー似合わねー。金髪っつったら高っけぇんだぞいくら溜め込んでたんだおめぇよぉ。タライ売った金で買えんのー? 鋼鉄女にヘコヘコしてシコシコ稼いでんだなごっ苦労ぉー」


 ディオとイザドラの間に無作法に体をねじ込んだ男が言う。針金のような体に赤ら顔を乗せていて、髪を油で整えてるのか妙な光沢をしているが、酔っていくうちに崩れたのだろう、ボサボサのそれは驚くほどみっともなかった。


 よいどれのなかに石を投げたら、こいつじゃなくてもどうせ似たようなのに当たるだろう、というような、立派な立派な酔っぱらいだ。


「……おい、虫除け」

「なめられてるからな」

「そういうことか――、金物屋、ね。まああの店構えならそうもなるか」

「あーんは楽しかったよ」

「そうか、それを辞世の句にするといい」

「おーい、おいおいおい」


 酔っ払いが二人の会話をさえぎる。そのままディオに顔を近づけ、酒臭い気を吹きかけてきた。


 勘弁してほしい。


「おーい、なに無視してくれちゃってんのよー。何調子乗ってんの金物屋ぁー。やるー? やっちゃうー? おまえあの憲兵もいないのにフカしてんじゃねェよマジで」

「無視されてるのがわかるなんてな」


 イザドラが言うと、酔っ払いはディオから顔をそらす。意外だった、とでも言わんようなイザドラの皮肉な笑みがどう見えたのか、いやらしくにたぁ、と相好を崩した。

どうせこの男の耳にはまともに言葉が届いてないんだろう、とディオはおもう。わかりやすく足元がふらついていて、白目はどろんと濁っていた。瞳に光もなく、肌は土気色にも近くなっていて(きっと"左側"の安くて酷い酒ばっかり飲んでいるのだ)その癖にぎらぎらと汚い何かが体からにじんでいるようだった。


「うっく」


 と軽くえづいて、酔っ払いがカウンターに身を預ける。


 丁度ディオからイザドラの姿を隠すようになった酔っ払いは、ディオに背を向けたまま、喋る。


「おー、べっぴんだ。美人じゃねェか」

「どうも」

「へへ、なぁ、おい、"美人さん"よぉ」


 と、何かを含んだような声で酔っ払いが言う。


「えぇ、"美人さん"。わかるー? わかってるー? こういうところにさぁ、女が一人で来るってのは、どういうことかなぁ?」

「連れはいるんだが」

「一人前の男のことをよぉ、連れって言うんだよぉ。なぁ」


 酔っ払いの背中が軽く揺れるのを見て、笑っている、とディオは思う。


「なぁ、"美人さん"よぉ、俺達どっかであったことあるんじゃねぇのぉ」

「黴の生えたような口説き方だな」

「口説いてんじゃねェよ、なぁ、こんなとこに一人で来るんだからよぉ、そういう『お仕事』もしてくれたりするんじゃねぇのぉ?」


 げふっ、と下品な音をはさんでから、酔っ払いが続ける。


「幾らよ?」

 

 今迄で一番に下卑た声で言う。


「なぁ、コイツの倍出すからよ、俺の部屋こいよ」


 ディオからは酔っ払いの背中しか見えない。


「なぁ、"美人さん"よぉ――」


 なにかを含んだような酔っ払いの言葉と、背中に隠れて。


「そうだな――」





「いいぞ」



 イザドラの顔が見えない。

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