竜、誘う
「さて」
と食卓の上をぺろりと片付けて、イザドラは口元をナプキンで拭く。
「で、晩酌のつまみはなに?」
「あれ、ちょっと待って耳がおかしい聞こえなーい。ごめんね、もう一回」
「お酒が飲みたい」
「なんだよコイツマジ死ねよ!」
喚き散らしながらディオは頭を抱える。
「なんだもう。君はよく錯乱するな。落ち着け落ち着け深呼吸」
「錯乱もするわ! 何様だ! お前は王様か!」
「とりあえずお玉とエプロンと片づけ中の食器を持った君は宿屋の女将の風情だ」
「亭主関白の強盗ってのも見たことないぜ!」
「落ち着け落ち着け、ほら、吸ってー」
「…………スゥー」
「で、つまみは?」
「吐かせろ!」
なにが致命的って、こういうやり取りがちょっと楽しくなってる辺りだと思う。
思えば妹が出て行って以来、誰かと食卓を囲むといえばヴァレリーとの軽い昼食休みだけになっていた。友人と外に食べに行くことはあっても、こんな風に夕飯を親しげに(それも自分の作ったものをいかにもうまそうに)食べることなんて、ずいぶんと久しぶりだ。
知らないうちに人恋しさが積もっていただろうか。
悔しくなって眉をひそめる。
「面白い顔してないで! アルコール! アルコール!」
「お前ちょっとは感慨にふけらせろよ」
唐突に要求の仕方が幼児臭くなってるし。
いろいろと台無しだった。
「ここは客に酒の一献も出さんのか! 女将を呼べ!」
「いたら怖ぇわ」
いるとしたら今の自分だ。
「本音は?」
「欲しい」できれば美人で胸がでかくて戯れに裸エプロンとかしてくれる「個人的な女将が欲しい」
「ディオ……」ふ、と悲しげに笑ってイザドラが言った。「そろそろ大人になれよ?」
「だって! だって!」
「いいか、君の思ってるような女性なんてどこにもいないんだ。君は女性の皮をかぶった幻想を見ているんだ」
「イヤだ! 聞きたくない!」
「女は三人集まるととかく誰かの悪口を言うぞ?」
「嘘だ! お花とかニャンコの話をしてるってばっちゃが言ってた!」
「そして一人が抜けると、今度はその女の悪口を言うんだ」
「それはホントに聞きたくなかった」
イザドラの顔の影が濃くなってるのも信憑性を高めてて嫌だ。
昔何かあったんだろうか。
「うわー……。なんかホントに飲みたくなってきたじゃん。止めろよなー……」
「いいじゃないか、ほらほら、なんならつまみはなくてもいいから。なにかガッと来るのを飲ませてくれよ。火酒とかがいいな」
「ねぇ」
あつかましい面にきっぱりと言い放つ。
「なんだよ、王都名物だろう。近場なんだから流通してるはずだ」
「ありません」
「じゃあ他のでもいい。強いの」
「ございません」
「……ワインとか?」
「申し訳ありません」
「なんでじゃー!」
テーブルをひっくり返そうとしたところを骨をつかって押さえ込む。イザドラの強力をテーブルと背骨を通じて地面におしつける。
「家庭内暴力良くない!」
「家庭を守る甲斐性がないからそうなるんだ! 酒買ってこーい!」
「もうウチにはそんなお金ないって言ってるでしょ!」
「ないなら体でも売って稼げ! オレァ知ってんだぞ憲兵の若けぇのと何してんのかなぁ!」
「そ、そんなこと!」
「へっへ、どこを触ってもらってるんだぁ? どう開発されたのかみてやろうじゃねぇか」
「い、いや、やめてあなた!」
とかなんとか。
なにやってるんだ、と思わなくもない。
「へへへ、いい二の腕してんじゃねぇか兄ちゃん」
「暴力亭主から街のチンピラへの華麗なる転身!」
くるりとこちらに回りこんだイザドラに二の腕をさすられる。
「いやぁ、しかしなかなかいいな。そんなに太くないのにむちむちして」
「お前のツボがわからない」
そして微妙に恥ずかしい。
「こんな腕でインゴットを振り回したりできるのか……? いや、例の骨とかいうやつか。にしても細いな。街でたむろする若い衆といった感じだ」
「なんだそれ」
「いや、酒場にこう」
「酒の話にするつもりだな!」
揉みまわされていた腕を振り解く。「ああ!」「名残惜しそうな声出すんじゃねぇ!」
「だってなぁ、いいもんだぞ、人肌」
「したり顔で言うな!」
「君のはなんていうのか、働いている割にやさしい肌触りだ。もっと鍛冶場焼けしてると思ってたぞ」
「そんなテイスティングが出来るような経験が!?」
「戦場にいれば素手の取っ組み合いも増える」
独壇場だ。とイザドラはにやりと笑う。
「鎧ごと引きちぎれるぞ」
「二度とお前に触らせない!」
「そういうな、代わりに好きなところを触らせてやろうじゃないか」
「す、好きなところっ――!」
思わずごくりと唾を飲む。
「そ、それは本当に」
「好きなところだ」
「――ふくらはぎでさえもか!」
「……」
「えーって顔すんなよいいじゃん二の腕よりましじゃん!」
「君の業の深さを見た感じだ」
ふぅっとため息をつかれる。
「ま、ふくらはぎを触るのならついでにつま先も舐めてもらおうか」
「どういうセットメニューだそれ!」
「一回三十秒一日五セットでみるみる奴隷根性が身につくぞ!」
「俺の尊厳がシェイプアップされる!」
「ビクトリー!」
異次元の電波を受信したイザドラが拳を突き上げ、ついでにディオの顎も打ち抜いた。
もちろんぶっ倒れるディオ。
「あ、ごめんごめん」
「ごめんごめんじゃねぇ! お前自分の腕力わかって使え!」
「良い音したなぁ。あはは」
「こっちは空が割れたかと思ったけどな!」
実際、剣闘士みたいにとっさに後ろにぶっ倒れなかったら顎が割れていたかもしれない、そういう音だった。
というか、何が起きたか半分理解して避けたディオでも、死んだかもしれない、と少し思ったのだ。
キャンキャンと怒鳴りながらも、なるほどな、と思う。
これなら鎧だって引きちぎれるだろうし、戦場暮らしだって好き放題だ。
想像する。ちと土ぼこりの匂いのする戦場。怒号と剣戟の音。振り回されるクレイモアは人を引きちぎる。
イザドラは笑っている。鎧の中で筋肉を律動させ、飛び掛り、なぎ払い、時に剣を放り出してつかみ掛かる。握る、潰す。千切って捨てる。
力が全てまがまがしいとはいわない。ディオは元は同じ刃でが家庭を守る器具にも殺めの代物にも変わりえることを知っている。全てはそれで何をなされるかなのだということを。
そしてイザドラは、イザドラの体は、武器なのだ。
自分が商う。命を奪う。人をゴミくずにして尊厳を引き摺り下ろす、武器なのだ。
そう使われているのだ、と、思う。
「どうした」
「いや、なんでも」
「ぼっとされると心配だな。打った場所が場所だ」
「大丈夫だよ。覗き込むな」
すこしゾッとしてしまうから。
気まずい思いをディオは抱える。
「……なぁ、イザドラ」
「なんだ?」
「殺すって言うのは」
覗きこんでくるイザドラから、目をそらすようにして言う。
「生きるために殺すって言うのはさ」
「ディオ」
「…………」
「殺すというのは、生きるということだ」
「ああ――」
「相手を殺すということは、私が生きるということだ。そういうことだよ、ディオ」
「ああ、そうだな」
わかっている。
『大きい』ということを考えるためには『小さい』が必要なように。『熱い』『寒い』『近い』『遠い』『多い』『少ない』
すべては裏表だ。
表しかない硬貨は作れない。
そして硬貨の裏表のように、最も近く、決して交わらない。
『美しい』だけの世界はない。
「生きるために殺すんじゃない。生きて、殺して、生きるんだ。そこに優劣はない」
その言葉をどちらがいったのか、ディオにはわからなかった。
ため、ではなく。
ただ、そうあるのだ。
そうあるだけだ。
「――本当に、呑みたくなるな」
「いいじゃないか。ささ、どこかにあるんだろ。秘蔵の一本、出してくれよ」
「ホントにねぇんだよ」
ガリガリとディオは頭をかく。
「一人暮らしで朝がはえぇんだよ。呑みすぎて寝坊したら大事なんだ」
「あの憲兵が毎朝来るんだろ?」
「ふらっときて入れるような戸締りじゃねェよ。詰め所の倉庫より刃物があるんだぞ」
「だからこそなにか方法があるだろ。役所に合鍵でも預けてないのか」
「それを使うってのは書類が五、六枚必要で、その上憲兵が総出で来るんだよ」
その上ディオは一度飲んだらなかなか目の覚めない性質だ。呑むのはよっぽどで、次の日は休みにすると決め込んでヴァレリーにもそういい含めてからと決まっている。
「ふぅん、そんなものか。だが安心しろ。私は日の光が射すと必ず目を覚ます体質だ」
「うさんくせぇ」
「むしろ特技だな。職業病と言っても良い。戦場というのはそういうところだ」
なんせ便所も風呂もないのに、酒だけはどこからか集まってくるんだからな。とイザドラはいい、ディオの肩に手を回す。
「な、だから心配いらないって。私がいる限りどんなつぶれ方をしても日の出と一緒に起こしてやる。な」
「なぁもうくっつくなよ! さっきからやたらベタベタしてくんのは何でだ! いったろお前にはもう触らせたくねぇ!」
「そういって二度触らせる人間というのも私からすれば新次元なのさ」
「居直り強盗が親しげになるな!」
「違うな、行き倒れの旅人だ」
にや、とイザドラが笑う。「な、いいだろ。君だってたまには思いっきり呑めばいい。ちゃんと起こしてやるし明日の仕事を手伝ってもやるから」
「……ひょっとして寝込んでるうちに家捜しでもするんじゃねぇだろうな」
教えてもらえないからって、自分で探すつもりか、とディオは訝る。
連絡網が何らかの書面にまとめてあると踏んで、ディオを潰して見つけ出す腹積もりか。
「そっちも、まぁ、諦めたわけじゃないが」
「おい」
「どっちみち君の意に沿わないやり方はもうしないさ。布告を流されちゃ意味がないし、武器屋同士で紹介しないと連絡網なんてろくな役に立たないだろう」
「……わかってんなら、なんなんだよ」
「私に向かっておとなしくしてろといった、可愛くて面白い男と一献交わしてみたいのさ」
そういってイザドラはさらに笑う。
にや、からにたあ、と深まった笑みには、やはりろくなものを感じないが。
どことなく、悪いものは感じられなかった。
「だけどダメだな、ないもんは呑めねェよ。ウチには酒は一滴もない」
「目の前に"売るほど"あるじゃないか」
「なにいって――」
と、言ったところで、窓から怒鳴り声が割り込んだ。
ガラスの割れる音、叫び声。
「な、景気もいいみたいだしお邪魔しよう」
にたにたあ、と笑うイザドラと、どうせまた喧嘩だろう、向かいの酒場の喧騒に、ディオは心底顔を歪めた。