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竜、昂ぶる

 どこをどう走ってきたのか、イザドラが帰ってきたのはすっかり日も傾いた夕飯時だった。【アンズィに食わせてやる】と例の鶏の蜂蜜焼きをもって、ヴァレリーは詰め所に帰っている。


(また)

(この女と二人きりかよ)


「帰ってこなければ良かったのに、という顔だな」

「わかってんなら帰ってくんな」

「そうもいかない。相棒を人質に取られちゃあな」


 相棒、というのは例のクレイモアか。


あんな様になるまでほっておいてよく言う。という顔をディオがすると、イザドラは肩をすくめておどけた。「怖い顔をするなよ」


「そんなことより村中走り回って腹が減った。夕飯を出せ」

「いけしゃあしゃあにも程があんぞ!」


 思わず怒鳴ってから、一歩下がってディオはイザドラを指差す。


「いっとくがお前なんてな、間合いの取り方を間違えなきゃ怖くともなんともねぇんだよ。武器屋にゃあな、憲兵を呼ぶための呼子が渡されてんだ。吹かれたくなきゃ態度で示せ。大体お前は――」

「町中走ってきたが」


 唐突にイザドラが言う。


「花屋の娘は可愛かったな」

「……は?」

「その隣には赤ん坊がいた。母親は若かったな。向かいには老夫婦、友人かな? 年配のご婦人方がお茶会をしていたよ。お茶の話題に出ていた教会の神父もいい年、シスターも同じく、若者だってパン屋の前にいた男は華奢だったしその連れの女はもっと細かった。彼らの話も伺ったぞ。同年代の友人の名は全部網羅したんじゃないか。アレフ、ケイン、タップ、アークィにシャミーにキント、トム、ロビンにニコラ。コーフィル、ゼノラ、クリミラ、サムウィルとエレノア。ケビン、サトクリフ、ケッセル……」


 同年代どころか一つ前後――ディオ達が兄のように慕った、あるいは弟のように慈しんだ者の名前まで、イザドラは指折り数え上げていく。


「シミス、アンズィ、ヘィリア、タニア、ジェフリ、ヴァレリー。で、ディオヘル。――君の評判も、色々聞いたぞ」

「……おい」

「なぁ、この街の人間は全員、そういう風に間合いが取れるのかい?」


 そんなわけはない。


たった一瞬ディオの顔に走った引きつりを見て、イザドラは実に愉快そうにニタリと笑う。


「君は優しい男だなぁ。可愛いよ、うん、可愛い」

「――一日かけて人質探しか、陰湿だなこの蛇女……!」

「竜だ。残念ながら」


 飄々とそういって、イザドラが歩み寄る。


「怒るなよ、冗談だ。別にそんなことのために走り回ったわけじゃないさ――。もし帰ってきて例の女憲兵がいたら切るつもりの札だったが。バカ正直に一人で待っててくれたんだ。誠意には答えるさ」

「信用できるかっ!」

「信じてくれよ、取引相手だろう? それに、私だけ取引材料なし、というのも不安じゃないか。君に剣を握られ、この腕っ節も決定打にならず、あげくそっちには国家権力までついてるんだ」


 確かにそういう見方をすれば、イザドラの行動はいかにも決定的な取引に望む商人の努力のように見える。実際、ディオ自身もこの取引はこちらが取った、と思っていたのだ。圧倒的優位に立てたと。


それが、イザドラの一言でひっくり返る。


もしも、もしも街の人間を人質にとられたのならば。


ならば、


「もしもお前が、やってみたならな――やってみたなら。憲兵なんて、首に金がかかるなんてもんじゃない。二度とこの世で生きていけると思うな。この世の武器屋の、蔵に納まる刃の全てが、お前の敵だ」


 職として刃を持つ兵でもなく、職として刃を売る武器屋でもなく。


刃に関わらない者の血をその取引に少しでも匂わせるなら、容赦せずに武器屋はその相手に牙を向く。


それは武器屋が商売を続けるための最後のモラルであり、決して柚子ってはならない矜持だ。


 そこにイザドラが手を触れるなら。


「ギルドに布告を流すのか?」


 ディオの言葉に臆するそぶりもなく、イザドラは笑う。


「人相書はこう書いてくれよ。大剣を持つ若い女。膂力尋常ならざる。金髪は短く、薄い碧眼。容姿端麗。非常に美しくたおやか――」

「見つけ次第、殺してよし。と締めていいなら」

「……おいおい、もっと駄目だししてくれよ。ゾクゾクするだろ?」


 そんなにつれなくされたらさ、と、両肩を抱いておどけるイザドラ。


ディオからは、夕日が逆光になって、目元が見えない。


「まったくぞっとしない話だね。武器屋ギルド! 全国どころか国をまたいで早馬と駅伝をめぐらせて、あらゆる殺しの道具を統括、管理、監視する殺意と害意と悪意のギルド! そんなギルドに狙われちゃまったく生きた心地がしないってもんだ!」


 そこでイザドラは両手を解いて、あのクレイモアを振り回すとは思えない、優雅な、たおやかな動きで、ディオの顎に触れる。


そこ(、、)を紹介してほしいんだ」


 ようやく見えた目元はまるで笑っていなかった。


「『要求その4』だ。一日たったが、考えてくれたかな? 可愛い可愛いディオヘル君?」


 要求その4。


武器屋ギルドの連絡網をよこせ。と、そう言われて。


ディオはただ、首を横に振った。


昨日と同じように。


「――ディオ」

「武器屋ギルドは武器屋以外に加担しない」

「ディオヘル!」

「武器屋ギルドは武器屋以外に加担しない」

「――よこせって」


 イザドラの顔から余裕が消える。


「言ってんだろぉがよぉ!」


 顎を指でつままれる。


ミシリ、と嫌な音がした。


「力で手に入らないものがあることくらい、この年になればわかっているさ。にしてもな、ここまで強情なのは初めてだ! なに格好つけてんだこの根暗童貞刃物狂い! わかってるのか! 今私がちょっとその気になれば! 君は下顎とこの場でお別れだ! 一生水と粥で暮らしたいのかディオヘル・マッケンジィ!」


 ぐ、ぐぐぐ、とディオの顎が持ち上がっていく。気がつけば夕日もすっかり傾いて、最早店の中には光はなかった。


いや、それ以前に店の外にさえ明かりがない。日が沈んでから、月が昇るまでのわずかな間、家々が明かりをともし始めるほんのわずかな間。町中が闇に包まれる。


抜け落ちたように世界が黒くなって。


「武器屋ギルドは武器屋以外に加担しない」


 かくん。


想像した音よりはるかに軽く、ディオの顎はイザドラの手から離れた。


無事なまま。


「――女にここまで迫られて、よくまぁそんなに冷たく出来るな。君は」

「財産目当ての関係なんてごめんだね」

 


***



 実際のところ、イザドラはもうディオに手が出せない。


今までの要求ならば、最悪ディオをひり潰して、仕事場から自分のクレイモアを持って逃げ出してしまっても満たせているのだ。もちろんクレイモアは修理されないままだし、盟友を殺された武器屋ギルドの報復も怖いが、こと武力にかけてはイザドラに対抗できるものは早々いない。高々田舎の武器屋の若旦那が一人死んだところで、ギルドが総力を挙げて殺しにかかるものかどうかは怪しいものだ。損得の勘定が決定的に会わないのだから。


しかし、『要求その4』に限ればそうは行かない。


 イザドラが武器屋の連絡網――情報網をつかって何がしたいのかわかりはしないが、ここでディオを殺してしまえば決してその目的は達せられなくなる。こういうギルド間の連絡方法は単純に連絡先を知っているだけでは成り立たないのが普通だし、なにより、ディオの死体が店先に転がれば間違いなくその姿を見たヴァレリーから全国の武器屋ギルドに連絡がいきわたり、イザドラはこの世にある全ての武器屋に立ち寄れなくなる。駅伝式で次々乗り換えられる早馬よりすばやく移動できるのなら話は別だが、いくらイザドラの筋力でもそれは不可能というものだった。


だから、イザドラにはいまやアドバンテージはない。


人質を――冗談めかしていたとはいえ――ちらつかせたその行動は確かにディオをぎょっとさせたが、ディオはそれに『武器屋ギルドの総意』で答えた。こうなれば『人質をとろうとした事実』さえイザドラにとっては弱みになるのだ。激昂して凄んでみせたのは、演技半分、本気半分だったろう、とディオはにらんでいる。


そして演技のさらに半分は本気なのだ。


暴力は理屈を飛び越える、もしも力以外で思い通りにならないのなら、力で思い通りにすることもありえる――あるいは、余り言うことを聞かないとコントロールを失うぞ、と、イザドラは示したのだ。だから演技のうちの半分は、本気でやってやるぞ、という、演技だったはず。


ディオがそれに対してあくまで冷静に答え、『その演技はわかっている』と示したことで、ようやくあの場は完成した。


ひりつくような虚虚実実の駆け引きが、終了したのだった。


「二度とやりたくねぇ」


 と、夕食を所望したイザドラに甲斐甲斐しく給仕しながら、ディオは一人愚痴る。


「なんだよあの腹の探り合いっつか面倒臭いし辛気臭いし緊張するし消耗するしいいことなしじゃねぇかクソッなにがどーしてこうなったってんだ何にも俺は悪いことしてないぞきっちり食い扶持稼いで恥ずかしい真似もしてない妹を常々気にかける素敵おにいちゃんを地で言ってるのに右見ても左見てもトラブルばっかりじゃねぇかそもそもケチのつけ始めはあの親父だよあの親父の子供に生まれたことだよマジわけわかんねぇあの不良中年帰ってきたら埋める生めて蹴って水浴びせてしんなりしてきたら店の裏側に干してやる考えただけで腹が立つ腹立てたらなお疲れるあー疲れたもうやだやだしんどいのやだ!」

「あ、この鶏おいしい」

「わかる?」

「……頬に手を当てて小首を傾げるとか男がしないでくれるか」


 殺意が沸く。と言う口調が冗談っぽくなかったので、ディオは即刻ポーズを変える。お玉を右に、左手を腰に。


「残しちゃだめだZO☆」

「苛めすぎたか……」


 心底後悔した、哀れみ深い目をされると、なかなか答えるものがあった。


「ホントになぁ……」イザドラが食事をぱくつきながら言う。「なんだか、万事がイメージと違う」

「あん?」

「もっとこう、忌み嫌われながら、得るものを得て高飛びするつもりだったんだ」


 それがだ。「何だこの生ぬるい空気は――なぁ、私は強盗だぞ」


 つくつくと鶏に取り掛かりながら、イザドラはため息をついた。


わからない、理解に外れる。と小さな声で繰り返す。


「ため息をついているのが、不思議なんだ。こんなにのんびりと考え事をしているのが。非常事態のはずなんだ。これは。いつ憲兵がくるかわからない店で、私の目的も本性も知っている人間がいて、しかもそれが、私のうでっぷしで――私の唯一の財産でなんともならない相手なんだ。なのになんでこんなに落ち着いていられる」

「俺からあふれるジェントルなオーラが」

「え?」


 素で不思議そうな目を向けられた。


「…………」

「あ、うん、冗談だったのか。ああ、ああ、なるほどそういう意味か面白いなハハ」

「……ソウダヨ」

「ハハハ、愉快な奴め。ごちそうさま」


 笑いながら立ち上がったイザドラは、いつものとおりに大胆不敵で。


だが。


なんとなく、ぐらついているようにディオには見えた。


から。


「イザドラ」

「なんだ?」

「まだ、何も盗ってないだろ、お前は」


 命も返してもらったし、と嘯く。


「だから、行き倒れの旅人で、いいじゃねぇか」


 イザドラのほうは見ないまま、ディオは食卓の上を片付ける。


「……目一杯食いやがって、救民法適用されねぇとがっつり破産だっつーの。お前が旅人じゃないと申請通んねぇんだからよ、そういうことにしとけ」

「――フン」


 イザドラの表情はディオには見えなかったが。


「ほめられたとたんに評価が甘くなってないか」

「まぁそういう可能性もぬぐいきれない」

「案外簡単な人間だね、君」

「違う、ただの愉快犯だ」

「意味がわからないよ」


 まったく。「可愛いな、君は」


「勝手に言ってろ」


と、ディオは毒づいたつもりなのに、小さな声しか出なかった。


 チクショウ。


これじゃ照れてるみたいじゃないか。

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